『歌謡曲だよ、人生は』(2007年、ザナドゥー)を観ました。タイトルが興味深かったのですが、10話のオムニバス・ストーリーが、昭和時代にヒットした歌謡曲を題材にして構成されたというものです。まあ正直なところ、ほとんど期待はずれでしたが、シンプル・イズ・ベストを確認できるものもありました。(画像は劇中より)
10話の題材となった歌は、次のとおりです。
第1話…… 僕は泣いちっち(守屋浩)
第2話…… これが青春だ (布施明)
第3話…… 小指の想い出 (伊東ゆかり)
第4話…… ラブユー東京 (黒沢明とロス・プリモス)
第5話…… 女のみち (宮史郎)
第6話…… ざんげの値打ちもない (北原ミレイ)
第7話…… いとしのマックス/マックス・ア・ゴーゴー (荒木一郎)
第8話…… 乙女のワルツ (伊藤咲子)
第9話…… 逢いたくて逢いたくて (園まり)
第10話…… みんな夢の中 (高田恭子)
それに合わせたストーリーということですが、各話とも、演出経験の乏しい人たちということもあり、多くは空回り状態でした。
そもそも、ストーリー自体が、よくわからないものが何本かありました。
たとえば、第4話の『ラブユー東京』(黒沢明とロス・プリモス)は、古代の男女(←男にしか見えない)がモアイ像の前でいたわり合っている様子が描かれ、次のシーンでは急に現代の東京が出てきて、ヤクザっぽい男と掃除夫が、やはりモアイ像で出会うというのです。
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ムード歌謡(コーラス)、ロス・プリモス、東京ロマンチカ
『まいっちんぐマチコ先生』をご紹介した時に、「くだらない」というのは必ずしもネガティブな批評ではなく、「つまらない」という批評の方が失敗作であるから深刻だ、というようなことを書きましたが、この作品は「つまらない」ですらなく、もはや「意味不明」です。
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『まいっちんぐマチコ先生』「他愛ない」「くだらない」ニーズ!?
第9話の『逢いたくて逢いたくて』(園まり)は、ストーリー自体はまとまっていました。
アパートに引っ越してきた若夫婦(妻夫木聡、伊藤歩)が、前の住人の大量のラブレターを発見し、相手からの返事がないことに絶望して去っていったことを知ります。
それが、引っ越しパーティの最中に、女性から「イエス」の返信があったので、若夫婦は前の住人を追いかけるという話です。
でも、ネットが普及している現代では、これで共感を得られるでしょうか。
「歌は世につれ、世は歌につれ……」といいます。
歌謡曲は、普遍的な要素もあるかもしれませんが、その時代の価値観や世相によって構成されているものです。
現代の価値観に、40年も50年も前の歌を、ダイレクトにくっつけるというのは、かなり至難の業、ということではないかと思います。
そのため、クリエーターが少し考えすぎてしまったものもあったようです。
その中で、形になっていたなあと思ったのが、第5話の『女のみち』(宮史郎)です。
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宮史郎自身が出演する寸劇
宮史郎自身が出演しています。
銭湯のサウナ室で、若い男(久野雅弘)と、彫り物をした宮史郎が入っています。
宮史郎が、『女のみち』を諳んじ始めましたが、「すがって泣いた」の後の歌詞が出てきません。
そこで、男(久野雅弘)を脅しながら歌詞を思い出させようとしますが、歌がリリースされた頃、生まれてもいない男がスラスラ歌える歌ではありません。
男は、外に出て聞いたらどうかと言いますが、宮史郎は、外に出るとテンションが下がって歌いたくなくなるから、この状態で思い出して歌いたいと駄々をこねます。
そこで男は、だったら自分が外に出て聞いてくる、というと、「にいちゃんは逃げ出しそうだから信用でけん」と、それも拒否します。
そのうち、宮史郎は放屁をして、それをもろに受けた男が、「うっぷ」と口を抑え、そこから「ウブ」という言葉を思い出します。このへんは少し強引かな(笑)
クライマックスシーンは、銭湯の客の前で、宮史郎が歌詞を思い出してフルコーラス歌い、拍手喝采されます。
この話がいちばんおもしろかったですね。一番というより「唯一」と言ってもいいかな。
宮史郎が、音曲漫才をしていた、ぴんからトリオ時代のネタのようなストーリーです。
でも、こういうシンプルなストーリーだからこそ、違和感なく観ることができるのでしょう。
歌い手自身が、歌詞を忘れてしまうほど昔の歌である。
しかし、いい歌だから覚えている人もいるし、今歌ってもみんながノッてくれるのだ、ということを表現したかったのだと、観る者にもわかります。
まさに、本作が表現したかったのは、そういうことだと思うのです。
ほとんどがサウナ室のシーンなので、各話の中でもっとも手間もコストもかかっていないと思います。
シンプル・イズ・ベストというのは、こういうことをいうのだろうな、と思いました。
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