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ジャイアント馬場13回忌、空白の27時間を明らかにする [スポーツ]

ジャイアント馬場の13回忌(1999年1月31日に亡くなる)に合わせて、「東京スポーツ」が30日付の終面を全て使い、「12年目の真実、ジャイアント馬場さん急死公表までの謎」というタイトルで特集記事を掲載している。内容は、当時、死去から正式発表までの間には「空白の27時間」が存在するが、その間に何があったのかという話である。

ジャイアント馬場が亡くなったのは31日午後4時4分。明確な箝口令が敷かれていたわけではないが、「余計なことは言わない」という現役時代からの馬場イズムと、元子夫人の「密葬後に公表」という希望からそうなったという。

ただ、遺体を自宅に運ぶため、ジャンボ鶴田、三沢光晴、百田光雄といった主力選手、役員よりも先に合宿所住まいの若手4選手には事態が知らされた。

ジャイアント馬場の側近だった和田京平レフェリーには「今日だけは伏せてくれ」と言われたが、「悲しむも何も、何の感情を持つ余裕もありませんでした。それほど突然だったんです。だから自分から誰かに話すということもなかった」という若手選手の話が出ている。

当時の若手というのは、橋誠や森嶋猛、丸藤正道、金丸義信らのことだろうか。

ところで、ジャイアント馬場というと、ネット掲示板などでは金銭的なことが揶揄される。

亡くなった安達勝治(ミスターヒト)が、「金の使い方を知らないのがアントニオ猪木、金の使い方を忘れたのがジャイアント馬場」と誹謗したり、ザ・グレート・カブキが「ギャラアップは500円だった」と暴露したり、秋山準がローンを組みたいから固定給にして欲しかったのにしてもらえなかったという話が和田京平の本に書かれたり、その昔は門茂男が、「全日本プロレスは巡業に参加しても試合を組んでもらえない限りギャラはもらえない(つまりケガで休んだらギャラはない)」と自著で解説したりと、お金にまつわる話がいくつも出てくる。

そのため、パソコンの前のネットワーカー達は、ジャイアント馬場と会ったこともなく全日本プロレスを取材したこともないくせに、「ジャイアント馬場は守銭奴」「全日は安いギャラ」といった書き込みが決まって行われる。これは、昭和プロレスを語る上での約束事のようになっている。

だが、私はそれらの決めつけに対してもともと懐疑的だった。

その懐疑が正しいらしい、ということがわかったのは、昨年2月に発行されたムック、『プロレス真実一路』(宝島社)の、「新資料発掘! G・馬場『ケチ説』を覆す全日本系レスラーの『真実のギャラ』一覧」という記事である。

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かつて、天龍源一郎らが、全日本プロレスからメガネスーパー直営のSWSに大量移籍したとき、個々の選手は全日本プロレス(および日本テレビ)と契約中の保有選手だったため、裁判に発展した。

その際、移籍選手の移籍前のギャラが明らかになったが、SWSの引き抜きは全日本プロレスだけでなく新日本プロレスにも及んでいたため、はからずも両団体の同格の選手の報酬比較ができた。

すると、全日本プロレスの所属選手は、新日本プロレスの同格の選手よりもむしろギャラが高いことがわかったという話である。

同誌には、各選手の試合数で割った1試合当たりのギャラ一覧が出ている。

報酬だけでなく、当時の全日本プロレスは、年間契約のレスラーも社員並みに社会保険や厚生年金があった。阿修羅原が現在、故郷長崎で年金生活を送れるのは、現役レスラー時代に厚生年金の加入者だったからである。

鶴見五郎のようなフリー扱いの選手は、それらがない分、ギャラに上乗せされ、しかも「ドル建て」で計算したため、元国際プロレス勢の中では、ラッシャー木村に次ぐ高給取りだった。

全日本プロレスが当時試合給であったのは事実かも知れないが、休んだから即お金がもらえなくなるというわけではなく、所属選手ならそのシリーズの試合給は全額保障、その後も一定期間は一定割合が出ることになっていた。

全日本プロレスの方が新日本プロレスよりも待遇が悪いようにいわれたのは、

1.年俸制ではないこと、
2.新日本プロレスに比べて営業力が弱かったため、より不安定なイメージがあったこと、
3.ジャイアント馬場がタニマチを持つ従前のごっつぁん体質を嫌ったため、スポンサーをつかまえることを推奨していた新日本に比べて選手たちが実質的に「使える金」は少なかったこと

などが考えられる。

そして、全日本プロレスは馬場夫妻の個人商店だったため、雇用に対するセンスがいささか古いところがあった。

正確に言うと、ジャイアント馬場は「ケチ」ではなく「シビア」だったのだろう。

これは、アメリカ遠征時代のグレート東郷らのビジネスライクなやり方や、一方で力道山の都合で動くどんぶり勘定だった日本のプロレス界での経験から、「いいかげんでお人好しな金銭感覚ではダメだ」と考えたのかもしれない。

それにしても、ファミリーを売り物にする古くてシビアな個人商店……これは、ジャニーズ事務所と重なるものがある。

1964年のジャイアント馬場

1964年のジャイアント馬場

  • 作者: 柳澤 健
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2014/11/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


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