『江分利満氏の優雅な生活』武蔵小杉在住60年代サラリーマン [懐かし映画・ドラマ]
『江分利満氏の優雅な生活』(1963年、東宝)を鑑賞しました。山口瞳の同名小説が原作。テレビ版『青春とはなんだ』を手がけた、鎌田敏夫の師匠である井手俊郎が脚色を、『ダイナマイトどんどん』(1978年)や『ジャズ大名』(1986年)が個人的には印象深い岡本喜八監督を、そして主演が小林桂樹という興味深い作品です。
『江分利満氏の優雅な生活』は、まあ簡単にいえば、“中の上”あたりにいる類型的サラリーマンの日常に対する独り語り、それも「ぼや記」といった趣きです。
オープニングとラストにミュージカルの手法を採り入れたり、アニメーションが出てきたり、背景がストップモーションになったりしますが、肝心の物語としての起承転結はほとんどなく話は進みます。
もともと原作がそういうものなのですが、それをそのまま映像にするというのは、観客に対する岡本喜八監督の挑戦だったのかもしれません。
「淡々とヤるけど、ついてこれる?」という感じかな。
観客のニーズやトレンドにのっかるのもありですが、あえてそれとは違うものを見せるというのも、意外性があって面白いですよね。
同名の原作、山口瞳の『江分利満氏の優雅な生活』は直木賞を受賞しました。
原作では「東西電機」に勤務していることになっているのですが、映画では「サントリー」と実在の社名が出ています。
著者山口瞳自身の話なんですよ、ということを強調したかったのでしょうか。
ネタバレ御免のあらすじ
『江分利満氏の優雅な生活』より
江分利満(小林桂樹)は36歳。サントリーに勤務する宣伝マンですが、おひとりさまで飲み屋に行っては日々の生活を面白くないとボヤき、女給(塩沢とき)にも愛想を尽かされています。
妻は新珠三千代。父親は東野英治郎、母親は英百合子。息子は子役で矢内茂。
自宅はテラスハウスの社宅。家族5人暮らせる立派な家です。
にもかかわらず、ボヤいている江分利満。
その江分利満に、小説を書けと勧めるのは、雑誌社の編集者(横山道代、中丸忠雄)。
飲み屋で、酒の飲みっぷりがいいから、きっと面白い小説が書けるというのです。
そこで江分利満は、小説とも随筆ともつかない、自分の家族をモデルに、独白を加えた文章を書き始めました。
妻とは昭和24年に結婚。江分利満の給料は8000円、妻は4000円。
2人合わせて1人前だから結婚するしかなかった……と。
給料の足し算だけで結婚するわけないと思いますが、そこは江分利満にかかるとボヤキ節になってしまうようです。
父親は戦争成金になったり、事業が失敗してどん底の生活になったり。
江分利満の母親は、自分の葬式の際の食事まで心配して亡くなります。
それでも、「ぼくは再婚するから骨は拾わんよ」とノーテンキな父親。
そんなことを書いたら、何と直木賞を受賞。
その時の祝いの席でも江分利満は人にからんでいます。
しかし、自分がボヤいているのは、決してどん底ではないことを江分利満はわかっています。
だからこそ、つけたタイトルが『江分利満氏の優雅な生活』だったわけです。
山口瞳といえば平和主義者。仔細なことをボヤける平和な我が国を、独自の筆致で喜んでいるのです。
60年代の“ムサコ”こと武蔵小杉が舞台
江分利満家のロケ地は、神奈川県川崎市川崎区木月大町まではっきりしています。
この頃は「川崎区」はつかずに、川崎市木月大町でしたが。
法政通りの近くで、最寄り駅は東急東横線の武蔵小杉か元住吉。
法政大学の運動場と法政二高があるので、武蔵小杉から元住吉に続く商店街は「法政通り」といいます。
実は武蔵小杉は、今や神奈川県では横浜に代わってトレンドの街になっているらしいのです。
国交省発表による公示地価の上昇率は、バブル期全盛の88年に迫る勢いといわれています。
きっと、都心へ続く地下鉄と直通の目黒線が、武蔵小杉まで乗り入れ、さらに少し離れたところを走る横須賀線が、かなり無理をして武蔵小杉の駅を作ってつなげたために、一大ターミナル駅になったからだと思います。
公共交通機関は街の発展に欠かせませんからね。
今のムサコと、当時の武蔵小杉を比べてみるのも面白いかもしれません。
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