『BOX 袴田事件 命とは』人が人を裁くことの危うさ [懐かし映画・ドラマ]
『BOX 袴田事件 命とは』(2010年、スローラーナー)を観ました。袴田巌さんが、自白を強制され死刑判決を受けたものの、昨年、死刑及び拘置の執行停止並びに裁判の再審を命じる判決が出た事件の映画化です。警察の強引な取り調べや、判決が判事の「多数決」で決められる様子が描かれています。
事件については、ネットにたくさん出ています。
1966年6月30日未明、清水市の味噌工場が放火され、焼け跡から一家4人が刺殺された焼死体が出てきました。
立松刑事(石橋凌)は、近所の聞き込みや、元プロボクサーという前歴などから、従業員の袴田巌(新井浩文)を犯人と目星をつけます。
しかし、物証がない逮捕は、すでに間違いの始まりです。
自白に辻褄を合わせなければならないので、刑事は、無理に「うたわせる」ために相当ひどい取り調べをしたことが描かれています。
しかも、捏造の疑いのある証拠まで登場します。
主任判事・熊本典道(萩原聖人)は、供述がくるくる変わっている警察の取り調べに疑問を持ちますが、石井裁判長(村野武範)、高見判事(保阪尚希)は有罪との結論。
「多数決」で袴田巌の死刑が決定します。
人の命が、判事3人の「多数決」で決まってしまったのです。
物証なき逮捕⇒自白強要の取り調べ⇒多数決で死刑
不条理のフルコース。
怖いと思いませんか。
思わない?
思わない人は、自分に限ってそんなことはないだろう、とたかをくくっているのでしょう。
でも、誰でも、ある時突然、そのフルコースに乗せられてしまうかもしれないのです。
たとえば、名もなき一庶民の私は、4年前、火災で突然妻子が意識不明の重体になっただけでなく、
近所の人々の無責任な放言で、放火犯にされたかもしれないのです。
⇒私が放火犯にされた「事件」の真相
ですから、この映画を見て戦慄が走りました。
袴田事件、「近所の聞き込み」なんかで目星をつけるこの刑事はダメですね。
でも、ダメなのは、刑事だけではないでしょう、たぶん。
もし現在、こういう事件の報道があると、一部ネット民は、裏も取らずに容疑者を無責任に断罪します。
そして、冤罪の可能性が出てくると、今度は一転して「マスゴミ」などと言い始める。
でも、その「マスゴミ」の字面で遊んだ自己批判は、一切ないんだよな。
そりゃ、裏を取らないマスコミも悪いけど、私達がそのようなときに求めるべきは、取り調べの可視化であって、
誰か、何かを標的にして糾弾することじゃないでしょう。
2人のリアリティが作品をより興味深くした
映画としての見どころは、袴田巌役の新井浩文と、冤罪を疑いながら死刑判決の判決文を書いたことを悔やむ、主任裁判官・熊本典道役の萩原聖人です。
警察の拷問のような取り調べでは、刑事がガンガンと新井浩文の前額部を机に叩きつけるシーンがあるのですが、蹴りと違ってゴマカシがきかないので、寸止めをしていません。
新井浩文は、三白眼で無抵抗にされるがまま……。
裁判のシーンで、ある証人が、「袴田さんて、あれでしょう。誰もまともに付き合っていなかったと思いますよ」と述べています。
警察による、容疑の先入観には民族差別意識が含まれており、それが取り調べに影響を及ぼしていた、と高橋伴明監督は見たのです。
それを新井浩文が、体を張って演じているリアリティが、なんとも切ないですね。
萩原聖人自身も、かつて「冤罪」に苦しんだ経験があります。
⇒小沢一郎氏裁判、萩原聖人裁判と共通する「挙証責任のあり方」
民事なので「冤罪」という表現は正しくないのですが、1993年の暮れ、地方公務員の男性が、4人組の1人に顔や胸を殴られたとし、それが萩原聖人と似ているからと、萩原聖人を相手に民事訴訟、および傷害罪で刑事告訴(のちに不起訴)まで起こされたことがありました。
自称被害者は、判決公判前に開かれた第14回口頭弁論で、「今となっては(殴られたという)記憶が思い浮かびません」などと述べ、自分の訴えを立証できませんでした。
ところが、萩原聖人が事件当日夜のアリバイを明らかにして反証しなかったために、一審の裁判長は、萩原聖人に請求通りの支払いを命じました。
結局、二審で順当な判決が出ましたが、立証不成立は請求棄却という民事訴訟の大前提に、則っていない第一審判決は、萩原聖人にとって「冤罪」と例えるにふさわしいものだったでしょう。
人が人を取り調べ、人が裁くことの重さを考えさせられました。
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