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御木本幸吉、エジソンも絶賛した日本の元祖ベンチャー起業家 [文学]

御木本幸吉、エジソンも絶賛した日本の元祖ベンチャー起業家

御木本幸吉など、人生晩年も活躍するを紹介しているのは『人生、晩節に輝く 長寿逆転突破力』(前坂俊之著、日経BP 日本経済新聞出版)です。年齢を重ねて、さらに輝きを増す生き方とはどのようなものか。偉人たちの生き方からそれを考察しています。(文中敬称略)



「人生100年時代」を迎えるにあたり、シニア世代となってから、私たちはどう良く生きるか。

本書は、老齢となっても活躍した人々のドラマを、オムニバス形式で描きます。

先日は、出光佐三をご紹介しました。


今回は、御木本幸吉(みきもと こうきち、1858年3月10日(安政5年1月25日) - 1954年(昭和29年)9月21日)にフォーカスします。

江戸時代に生まれ、昭和まで長きにわたって活躍した実業家です。

世界で初めて養殖真珠の生産に成功し、そのブランド化(ミキモトパール)などで成功した人物です。

45歳で真珠の養殖に成功



御木本幸吉は、志摩国答志郡鳥羽城下の大里町(現在の三重県鳥羽市鳥羽一丁目)で。代々うどんの製造・販売を営む「阿波幸」の長男として生まれました。幼名は吉松。

小さい頃から両親の苦労を見て育ったので、1杯8厘のうどんで財産を築くのは無理とさとり、14歳で家業の傍ら青物の行商を始め、商売において常に新しいアイデアを模索していました。

1878年(明治11年)には20歳で家督を相続、御木本幸吉と改名します。

ちょうどその歳の3月、東京、横浜への旅により、天然真珠など志摩の特産物が中国人向けの有力な貿易商品になりうることを確信、海産物商人に転身したことが、後の真珠王へのスタートとなります。

幸吉の住む伊勢志摩地方は、古くから真珠の産地として知られており、天然真珠が特産品です。

しかし、天然真珠は、文字通り自然の産物ですから供給が不安定でした。

そこで幸吉は、真珠を人工的に生産する方法があれば、より多くの人々がその美しさを楽しめると考えました。

1888年、30歳になった幸吉は、20歳の時に結婚した妻のうめと共に、本格的に真珠養殖の研究を開始しました。

うめは、鳥羽藩士族・久米盛蔵の娘で才女であり、頭脳面でも起業家・幸吉の良きパートナーだったそうです。

時代は明治になったため、公然としていた身分格差が緩み、結婚できるようになったのです。

1890年(明治23年)、幸吉は東京帝国大学の箕作佳吉教授と当時大学院生だった岸上鎌吉をに訪ね、学理的には養殖が可能なことを教えられ、試行錯誤を繰り返しながらも前向きに取り組みました。

絶滅寸前だった真珠を作るアコヤガイを養殖し、1893年には半球状の養殖真珠の生産に成功しました。

その後も研究を続けた幸吉は、1905年には、真円真珠の養殖にも成功します。

さらに幸吉は、真珠を国内外で広めることに注力しました。

1904年にはパリ万国博覧会に真珠を出品し、その美しさと品質が世界的に評価されました。

以後、「ミキモト」の名前は真珠の代名詞となり、国際的なブランドへと成長していきました。

ミキモトパールは、世界の真珠市場の、なんと6割を占めるまでになったといいます。

それだけでなく、真珠養殖は伊勢志摩地方の重要な産業となり、地域経済の発展に大きく寄与しました。

また、彼の活動は、日本の他の沿岸地域でも真珠養殖が広がるきっかけとなりました。

御木本幸吉が築いた真珠養殖業は、現在も日本を代表する産業の一つです。

また、彼の経営理念や挑戦の精神は、後進の企業家や技術者に多くの影響を与えています。

「ミキモト」の名は、世界の宝飾業界で今も輝き続けており、幸吉の生き様と功績は永遠に記憶されるべきものです。

キーワードは改名、アイデンティティの否定ではない



御木本幸吉の転機は20歳で、キーワードは改名であると思いました。

何しろ、「身分違い」の妻と結婚したのも、家督を相続したのも、真珠をビジネスの対象と意識したのも、すべて20歳に改名してからですから。

御木本幸吉はたぶん、家督を相続した時、両親が一所懸命働いても暮らしが楽にならなかった今までの貧乏な御木本家を、結婚した自分が家長として変えるんだという決意のあらわれとして改名し、そこから「真珠をビジネスに」というひらめきにつながったのだと思います。

私がこれまでご紹介してきた人生の成功者は、事情は様々ですが、数十年の人生の間に、たいてい苗字か下の名前が変わっています。

成功者たちの多くは、本人の意図や自覚に関わらず、改名は人生のステップアップや、もしくは再スタートの契機になっています。

字画が良いとか悪いとか、そういう姓名判断占いの話ではないんですよ。

何が何でも「人生を変える」決意表明のあらわれとして、改名しているわけです。

私も2019年に、「読み」だけですが改姓しました。

それだけでも心機一転の爽やかな気持ちになりましたが、不明だった祖先の解明ができて人生観に影響を与えたり、40年遅れで学業復帰したりと、いささか遅きに失したヨワイではありますが、いままで不完全燃焼だった人生が、自分なりに良い方向に開けつつある実感を得ています。

しかし、これからは戸籍に「読み」が入るため、私のような「読み」の変更すら容易にできなくなります。

現在では、婚姻こそが唯一、姓を変えられる人生のビッグチャンスです。

賛否は自由ですが、少なくとも、そんな素晴らしい機会を、「人格を否定」などと言い募る夫婦別姓推進者は、家制度を否定している私ですら、すごく残念に思います。

1月には、立憲民主党が選択的夫婦別姓法案を出すそうですが、その結果がどうなろうとも、改姓で人格が失われるとか、そういう後ろ向きな発想ではなくて、偉人たちのように、改姓を人生の飛躍の契機にしてやろう、ぐらいのアグレッシブな気持ちになれないものかな、と思う次第です。

ミキモトパール、お持ちですか。

人生、晩節に輝く 長寿逆転突破力 (日本経済新聞出版) - 前坂俊之
人生、晩節に輝く 長寿逆転突破力 (日本経済新聞出版) - 前坂俊之
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おっつぁん

真珠が貝で養殖できるのが、今も不思議ですな。
by おっつぁん (2024-12-08 23:47) 

mau

改名、なかなか勇気が入りそうです
叔母が漢字だけ変えました
by mau (2024-12-09 01:04) 

HOTCOOL

人生晩節が大切なのですね。
by HOTCOOL (2024-12-09 03:36) 

mutumin

私は次女ですが、姉が結婚して家を出た事もあり、家を継いだ形になり、実家には居ましたが、結婚して夫側の名字になりました。
でも結婚前から焼物を始めてましたので、名字は古いままで使っていたので、色んな部分(例えば電話、郵便)で不便でした。
結婚して10年目に子供が出来た事で、主人に返り婿になって貰い、元の名字になったといういきさつがあります。私的には良かったのか?悪かったのかはわかりませんが、あまり変化はありませんでしたね。ただ元の性になった時、離婚したのか!と勘違いされました。
by mutumin (2024-12-09 06:07) 

夏炉冬扇

ふるさとは愛するものです。損得ではないですね。
by 夏炉冬扇 (2024-12-09 08:03) 

pn

まん丸のやつってどう作ってんだろ?
by pn (2024-12-09 12:45) 

MINA

真珠が養殖可能とは言っても実際にはできるかどうかわからないのに決断できたのすごいなって思います。
しかも何年がんばればできるって言えるものでもないのに。
by MINA (2024-12-09 15:05) 

十円木馬

以前紹介されていた牧野富太郎、そして今回の御木本幸吉、何れも長寿で、地道に研究を続け花開く、誠に素晴らしいですね。
今年の年末年始は鳥羽のホテルで過ごす予定です。
御木本幸吉記念館はまだ行ったことが無いので、時間が許せば元日に
寄ってみようと思います。
by 十円木馬 (2024-12-09 15:24) 

センニン

こんばんは。
以前は真珠そのものが稀にしか見られないものだったので大層高価で、一つ見つけると漁師はかなりいい暮らしができたそうです。
今でもたまにハマグリから出てきたりします。

そんな真珠は歪なものが当たり前。今のような真円のものなんてあったかどうか。
歪な真珠をバロックと言いますが、音楽や建築の分野のバロックはここからきています。
バロック真珠の大きいものはその形を何かに見立ててペンダントなどに仕立てることがあります。三重県の真珠島に行くとそれらを見ることができます。

養殖真珠が世界に出て行った時、天然でないから紛いものだとして業界から非常な攻撃にさらされたそうです。
その急先鋒は Tiffany。
Tiffany が扱った美しく丸い真珠は高層ビル一棟ほどの値段だったと伝わっています。

養殖真珠の品質が天然と変わりないものだと証明されて以来丸くてきれいな養殖真珠の人気はどんどん高まり今に至っています。

真珠は年数をかけるほど真珠層が大きくきれいになり、値段も高くなります。
真珠のあの美しい光沢は真珠の成分の色ではなくて蝶の羽と同じ構造色で、層と層の間で反射した光が見せる現象です。その層が重なるほど複雑な反射が生じます。

大きく美しい真珠のうち最上級のものはネックレスでなく王冠やティアラに仕立てられます。
ネックレスにするには糸を通す穴を貫通させなければなりませんが、王冠にするには穴は片側だけでいいのでキズが全く内容雨なものはこうしたものに使われるそうです。

by センニン (2024-12-09 18:08) 

かずい

御木本幸吉さんの真珠養殖の成功は、彼の挑戦心と革新的なアイデアが生んだ奇跡ですね!特にエジソンとの会談エピソードが印象的で、日本の技術力が国際的に評価された瞬間に感動しました
by かずい (2024-12-09 21:09) 

いっぷく

みなさん、コメントありがとうございます。

> 今も不思議です
自然の不思議というやつですね。

> なかなか勇気が入りそうです
自分の名前が気に入っているとそうかもしれませんね。

> 人生晩節が大切
晩節を汚さないようにするどころか、晩節に輝くというのはなかなかできることではないと思います。

> 色んな部分(例えば電話、郵便)で不便
本名と通り名が違うのは不便かもしれませんね。

> 損得ではない
おっしゃるとおりです。

> まん丸のやつ
真珠を形作るのは貝なのに、いびつなのとか真円とかを人が選んで作れるものなのか知りたいです。

> 何年がんばればできるって言えるものでもない
まったくですね。生きているうちに完成しないかも、とは思わずにあきらめず取り組んだのでしょう。

> 何れも長寿で、地道に研究を続け花開く
やはり成功には長寿も必要な条件ですね。

> 今でもたまにハマグリから出てきたりします
ハマグリからも真珠がとれるんですか。アコヤ貝だけではないのですね。

by いっぷく (2024-12-09 21:54) 

いっぷく

> エジソンとの会談エピソードが印象的
あの発明王エジソンが絶賛したということは、真珠の養殖はそれだけ困難をきわめることだったのでしょうね。

by いっぷく (2024-12-09 22:02) 

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