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出光佐三など『人生、晩節に輝く 長寿逆転突破力』(前坂俊之著、日経BP 日本経済新聞出版) [文学]

出光佐三など『人生、晩節に輝く 長寿逆転突破力』(前坂俊之著、日経BP 日本経済新聞出版)

人生、晩節に輝く 長寿逆転突破力(前坂俊之著、日経BP 日本経済新聞出版)は、凜々しく、清々しい晩年を送った先達の人生を紹介した読み物です。年齢を重ねて、さらに輝きを増す生き方とはどのようなものか。出光佐三など偉人たちの生き方からそれを考察しています。(文中敬称略)



「人生100年時代」を迎えるにあたり、シニア世代となってから、私たちはどう良く生きるか。

本書は、老齢となっても活躍した人々のドラマを、オムニバス形式で描きます。

経済人、政治家など、立場は違えど人生終盤に輝く人々には、地位や権力、金などに執着せず、柔軟な精神をもってことにあたるなど、共通点も多くあります。

登場人物は、御木本幸吉、渋沢栄一、出光佐三、鈴木貫太郎、山本玄峰、吉田茂、尾崎行雄、岩谷直治、葛飾北斎、南光坊天海、鈴木大拙、松永安左エ門、松下幸之助、安藤百福、蟹江一太郎、平櫛田中など。

すでに、他の書籍からご紹介した人もいますが、今回は出光佐三(いでみつ さぞう、1885年〈明治18年〉8月22日 - 1981年〈昭和56年〉3月7日)をご紹介します。

明治から戦後にかけての日本の実業家・石油エンジニア・海事実業家です。。

その名の通り、石油元売会社出光興産の創業者です。

順境で悲観し、逆境で楽観した石油王 出光佐三



出光佐三は、福岡県宗像市(当時は福岡県宗像郡赤間村)で、米穀商の家に生まれました。

生家の経済状況はあまり良くなく、幼少期から堅実な生活態度を身につけました。

中学卒業後、大阪商船学校(現・神戸大学海事科学部)に進学し、商業と海運に関する知識を学びました。

卒業後は、大阪の石油会社に勤めますが、当時の労働環境や会社の経営方針に疑問を感じ、自ら事業を起こす決意を固めました。

1911年(明治44年)、出光佐三は26歳で、出光商会を福岡市に設立しました。

事業の中心は、船舶用の潤滑油販売でした。

当時の日本では、石油業界は欧米企業が支配しており、日本企業は圧倒的に不利な立場に置かれていました。

佐三は「日本の自主独立」を強く意識し、外国資本に依存しない経営を目指しました。

佐三は、単なる価格競争ではなく「顧客本位」の精神を掲げました。

彼は商品の品質を徹底し、顧客との信頼関係を築くことを最優先したといいます。

特に、顧客企業が困難に直面している時には、資金や商品の提供を惜しまなかったといわれています。

彼は「社員は家族である」との信念のもと、戦争で倉庫や設備が破壊されてもリストラを一切行わず、全社員の生活を守りながら復興に取り組みました。

この方針は、のちに「人間尊重の経営」として語り継がれています。

1953年、出光興産はタンカー「日章丸」によるイランからの原油輸送を成功させました。

これは、イギリスを中心とする石油メジャー(いわゆる「セブン・シスターズ」)による中東原油の独占に挑戦したものでした。

日章丸は、封鎖されたイランの港から原油を運び出し、日本へ輸送しました。

この事件は、独占に風穴を開ける画期的な出来事であり、世界的な注目を集めました。

食っていけなくなったら、みんな一緒に乞食になろうじゃないか



佐三の経営哲学と功績は、次の4点にまとめられます。

1. 出光興産の創業と発展……日本初の石油自主開発企業としての地位を確立。
2. 日章丸事件……石油業界の独占に挑戦し風穴を開け、日本のエネルギー安全保障に貢献。
3. 人間尊重の経営……社員を家族と見なす経営哲学で、働き方の模範を示した。
4. 教育と文化への貢献……社員教育を通じて日本文化や倫理観の重要性を説いた。

社員を大事にして成功した創業者はほかにもいますが、やはり、クライマックスは日章丸事件でしょう。

1940年代から1950年代にかけて、中東では石油を巡る対立が深刻化していました。

イランでは、首相モハンマド・モサッデグが1951年に「石油国有化法」を成立させ、イギリス系の「アングロ・イラニアン石油会社」(現・BP)の石油採掘権を剥奪しました。

これに対し、イギリスはイラン産石油の輸出を阻止するため、経済制裁やイラン港湾の封鎖を行いました。

結果としてイランは石油輸出ができず、経済が困窮していました。

それに対して、出光興産がイランの石油を日本に輸入することでエネルギー供給を確保しようと考え、出光興産が所有する大型タンカー「日章丸」で、西側諸国の港湾封鎖を突破して、イランの原油を日本に運び出したのです。

この成功により、イランは石油を輸出することが可能になり、経済的に一息つくことができました。また、出光興産は日本独自の石油供給ルートを確立し、エネルギーの安定供給に大きく貢献しました。

結果として成功はしましたが、イランのアバダン港は、イギリス軍によって封鎖されており、極めて危険な状況にあったそうです。

もちろん、輸送計画は綿密に練られたそうですが、最終的には、運を天に任せる一か八かの賭けですよね。

そして、出光佐三は、賭けに勝ったわけです。

成功者は、やはり人生の中で、大きな勝負をしているんですね。

私ごとき小心なビビリは、出光佐三の立場だったとしてもなかなか同じことはできませんでしょうが、まあ歳も取ってきましたし、今更ですが、今後自分の人生で何か勝負どころにあたったら、「当たって砕けろ」の気持ちで、がんばってみようかい、という気持ちになりました。

みなさんは、「当たって砕けろ」の心境になったご経験はありますか。

人生、晩節に輝く 長寿逆転突破力 (日本経済新聞出版) - 前坂俊之
人生、晩節に輝く 長寿逆転突破力 (日本経済新聞出版) - 前坂俊之

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コメント 12

おっつぁん

武士道精神ですな。
by おっつぁん (2024-12-03 23:32) 

HOTCOOL

海賊と呼ばれた男、ですね。
by HOTCOOL (2024-12-04 04:07) 

mutumin

こういう方が本当のボスですね。
今はこういう上に立つ人がいないですから、貴重な考え方です。
by mutumin (2024-12-04 06:20) 

夏炉冬扇

出光佐三、高校時代学校で講演しました。郷土の人です。
by 夏炉冬扇 (2024-12-04 08:31) 

pn

イギリス軍艦相手にするんだからなぁ、戦後間も無いからとは言えとんでもない決断力。
by pn (2024-12-04 10:04) 

Jetstream

出光佐三と出光興産のこと、学ばさせて戴きました。
中東のオイルや天然ガス利権に関わる欧米の思惑で日本は翻弄されてきましたね。リスクはあるけど当たって砕けろという政治家や実業家の欠如が日本を没落させているのでしょう。
by Jetstream (2024-12-04 12:26) 

MINA

出光って苗字だったんですね~。

私はイチかバチかと思ってもビビって賭けにでられないです。
そういう度胸ってどうやったらつけられるのか・・・。
by MINA (2024-12-04 13:41) 

十円木馬

出光佐三の経営哲学が立派で、脈々と受け継がれているのでしょう。
日経平均株価の構成銘柄の一つになっているのも頷けます。
by 十円木馬 (2024-12-04 14:08) 

センニン

こんばんは。
出光と言えばタンカーとアポロのマークがまず浮かびますが、身近なところではガソリンスタンドです。
しかしそのスタンドも普段車で走る範囲には全くなくなってしまいました。
外資系も合併が進んで昔とは様変わりです。
by センニン (2024-12-04 17:57) 

夏炉冬扇

ソバ打ちに使います。
by 夏炉冬扇 (2024-12-04 20:36) 

かずい

出光佐三氏の「人間尊重の経営」哲学、特に社員を家族と見なし、困難な時期にもリストラを行わず全員の生活を守った姿勢に深く感銘を受けました。現代の企業経営においても学ぶべき点が多いと感じます。
by かずい (2024-12-04 21:59) 

いっぷく

みなさん、コメントありがとうございます。

> 武士道精神ですな
出光佐三自身は士族ではないようですけれどね。

> 海賊と呼ばれた男、ですね
小説、そして映画化されましたね。観てみたいです。

> こういう方が本当のボス
ついていこうという気になります。

> 郷土の人です
そうでしたか。

> とんでもない決断力
使命感もあったのでしょうが実行する勇気もすごいです。

> リスクはあるけど当たって砕けろ
いまはリスクを避ける人が多いのでは。

> ビビって賭けにでられない
そういう人は多いと思います。

> 経営哲学が立派
多くの経営者は見習うべきと思います。

> 普段車で走る範囲には全くなくなってしまいました
ガソリン入れようと思って走っていてもなかなか見つからないと焦りますね。

> ソバ打ちに使います
何食分になるんでしょうね。

> 現代の企業経営においても学ぶべき点が多い
人間を尊重しない経営はいずれ破綻すると思います。

by いっぷく (2024-12-07 11:52) 

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