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住友政友などを紹介した『遅咲きの成功者に学ぶ逆転の法則』(佐藤光浩著、文響社) [文学]

住友政友などを紹介した『遅咲きの成功者に学ぶ逆転の法則』(佐藤光浩著、文響社)

住友政友など、人生後半から新しい世界で成功した遅咲きの人々を紹介しているぶ『遅咲きの成功者に学ぶ逆転の法則』(佐藤光浩著、文響社)。古今東西で40代以降に転機が訪れた人々を通し、何歳になっても「人生はまだまだこれから! 」と思える一冊です。(文中敬称略)



本書『遅咲きの成功者に学ぶ逆転の法則』は、50代、60代で成功を収めた古今東西の人たちを特集しています。

65歳で無一文になってから、「フライドチキンの揚げ方」というノウハウの権利ビジネスで財を築いたカーネル・サンダース。

畑違いのセールスマンから転身し、マクドナルドを成功させたレイ・クロック。

コンプレックスを武器に新たな音楽を創造したスキャットマン・ジョン―。

「彼らの業績は、40代で迎えた転機が始まりだった!全てを捨て、ゼロから這い上がった不屈の男たちのドラマ!ビジネス・芸術・学問の世界にその名を残した遅咲きの巨人たちから、人生を逆転する法則を学ぶ」というのが本書のねらいです。

これまで、キヤノン創業者・初代社長の御手洗毅、三井グループの創業者・三井高利をご紹介しました。

今回は、住友財閥⇒グループの「家祖」である住友政友(すみとも まさとも、天正13年11月11日(1585年12月31日) - 慶安5年8月15日(1652年9月17日))にフォーカスします。

還俗しても僧侶の心を持ち続けた


住友政友が、どうして遅咲きだったかと言うと、40歳までは空禅という僧侶だったのです。

僧籍のある涅槃宗では、次期宗祖になるといわれていました。

ところが、涅槃宗は比較的小規模であり、朝廷の支援を得ることが難しかったため、次第に衰退しました。

そこで、天台宗が朝廷の宗教政策において優位な立場を保つために、涅槃宗を吸収し、その教義や修行法を取り入れることで、より多くの信徒を獲得し、自らの影響力を強化しました。

どちらも大乗仏教であることで、それも可能だったわけです。

ただ、会社でもそうですが、合併すると、吸収された方の幹部は冷や飯を食うことになります。

「天台宗と涅槃宗は別のもの。今更宗旨替えなどできるか!」

冷や飯組の政友は還俗といって、僧籍を返上して一般人になります。

そこで、人生再スタートとなったわけです。

ですから、普通の人の「40歳の転職」とも違うわけです。

一般の人は、何らかの社会人経験がありますが、政友は40歳まで、正業に就いていないわけですから。

現代とは平均寿命も違いますし、今でいうと、50歳を超えた「新社会人」といったところです。

住友政友は、出版社兼書店と薬屋の「富士屋」を開業しました。

商売のノウハウについては、義理の兄であり、胴の加工や精錬を行う「泉屋」の創業者である蘇我理右衛門を頼りました。

蘇我理右衛門は親戚であるだけでなく、涅槃宗の檀家だったそうですが、両家はお互いの子どもを結婚させるなど姻戚関係をより強固にして、事業も協力しあって発展させました。

政友には、涅槃宗時代の弟子たちが慕い続けるので、還俗後も、慈悲深く、清く生きることを説いたそうです。

そして、その教えは自らの事業にも反映され、

1.何事も粗略にせず、
2.浮利(まともでない方法による利益)を求めず、
3.倹約に努めて慎重に商売せよ

と家人に伝え、それが現在まで住友グループの「企業精神の根幹」として大切に守られ続けているそうです。


僧籍を取り上げられてからも布教活動し続けたのは、浄土宗の法然や、浄土真宗の親鸞と似ています。

だからというわけではないかもしれませんが、住友政友は没しても天台宗の世話にはならず、浄土宗の寺に埋葬されました。

現在、住友グループは、住友金属鉱山(金属・鉱山事業)、住友化学(化学工業)、住友電気工業(電線・自動車部品)、住友商事(総合商社)、三井住友銀行(金融)、住友不動産(不動産開発)など、工業や金融・不動産事業を行っています。

住友グループでは、住友政友を「商屋住友のルーツ」として「家祖」と呼び、蘇我理右衛門を「鋼製練業」をはじめた「業祖」と呼んでいるそうです。

良きパートナーで成功した



本書では、こうまとめています。

「彼が僧侶であったことが多くの人とのつながりを生み、僧侶として人々に教えていた『正直、慈悲、清浄』という精神が、現在の住友グループの反映にむすびついているのである。」

住友グループは、社名に「住友」とつきますが、三井や三菱のように、明確な持株会社を中心とした「財閥」の構造ではなく、各企業が独立した経営を行っているそうです。

ただし、共通の歴史や理念に基づいて、企業間で緩やかな連携があるといいます。

核になる金融(銀行)で、他のグループと組めるのも、「独立した経営」だからでしょうね。

思うに、住友政友が成功したのは、

1.僧侶時代の拠り所とした「正直、慈悲、清浄」を、還俗後も守ったこと
2.「精神家」である自分を補う「実業家」のパートナーを得たこと

にあったと思います。

人と信頼関係を築いて、ビジネスのパートナーとしてやっていくことは、すごく難しいことですが、それができたアカツキには、自分にとってもその人にとっても、WINWINの関係になれるわけです。

ただ、私にはちょっと見あたらないし、どうにも無理そうですが、みなさんは、ビジネスパートナーになり得る方は身近にいらっしゃいますか。

遅咲きの成功者に学ぶ逆転の法則
遅咲きの成功者に学ぶ逆転の法則
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おっつぁん

・住友のマーク、井桁は泉の「い」

そういう由来でしたか。


by おっつぁん (2024-12-02 23:23) 

yokomi

キーマンは「姉」とみました。それにしても僧を辞めて40歳から、更にはフライドチキンの社長は65歳で起業とは恐れ入りますね(>_<) 私などは遊び方々の仕事で起業しようとしましたが、ダメでした(>_<) まだ出来るかな(^_^;)
by yokomi (2024-12-02 23:27) 

HOTCOOL

住友グループの成り立ちがよくわかりました。
by HOTCOOL (2024-12-03 03:43) 

pn

弊社社長は倹約しすぎであれこれ困る(^◇^;)
by pn (2024-12-03 06:27) 

mutumin

信念とパートナーは大切ですよね!
by mutumin (2024-12-03 06:55) 

まつき

本の帯の言葉が刺さりますね!
by まつき (2024-12-03 10:14) 

AKAZUKIN

何か小さくでもいいから「咲かせたい」と、今も思っていますが・・
どうなるかなぁー?無理かもー?と思っている私です。^^;
by AKAZUKIN (2024-12-03 11:58) 

十円木馬

現役時代は、ビジネスパートナー営業という、プロパーでは足りない人と技術力をを補ってくれる優秀な会社を開拓することも重要なミッションでした。
by 十円木馬 (2024-12-03 15:08) 

老年蛇銘多親父(HM-Oyaji)

私はこれまで住友グループの方に接して、今も住友政友の家訓の精神を色濃く引き継いでいるのは住友金属鉱山の方だなと感じました。

住友政友の文殊院旨意書、京都鹿ケ谷にある泉屋博古館あたりに保管されているのではと思いますよ。
by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2024-12-03 16:28) 

センニン

こんばんは。
遅すぎることはない、とは確かにそうかもしれませんがなかなかそうはいかないですね。
意志の弱い人はそのまま潰れてしまいそうです。
過ちを改めるのに遅すぎることはない、ということも言われますね。
by センニン (2024-12-03 18:23) 

夏炉冬扇

小倉にあるデパート井筒屋。井ですね。
by 夏炉冬扇 (2024-12-03 21:00) 

かずい

住友政友の人生、学びが深いですね!40歳で僧侶から商人へ転身し、現在の住友グループの基盤を築いた話は感動的です✨。彼の信念が現代にも受け継がれていることに感銘を受けました!(^^)
by かずい (2024-12-03 21:44) 

いっぷく

みなさん、コメントありがとうございます。

> そういう由来でしたか
知らない人も多いのでは。

> キーマンは「姉」とみました
頼れるきょうだいがいるのは心強いですね。

> 住友グループの成り立ちがよくわかりました
私もです。

> 弊社社長は倹約しすぎ
なにか信念があってのことでしょうか。

> 信念とパートナーは大切
協力しあえるパートナーがいるということは素晴らしいです。

> 本の帯の言葉が刺さります
私も自分に言い聞かせています。

> 何か小さくでもいいから「咲かせたい」
まだまだこれからです。

> 人と技術力をを補ってくれる優秀な会社を開拓
難しい仕事ですね。

> 京都鹿ケ谷にある泉屋博古館あたりに保管されているのでは
来春まで休館のようです。

> 意志の弱い人はそのまま潰れてしまいそう
最後はその人次第ですね。

> 小倉にあるデパート井筒屋
住友のマークのほうが横長ですね。

> 住友グループの基盤を築いた話は感動的
姉夫婦と助け合って、というところがいいですね。

by いっぷく (2024-12-04 11:49) 

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