ダイエーを作ったカリスマ経営者・中内功の野望と誤算に迫る経営史 [経済]
久しぶりにYouTubeチャンネル偉人エピソード『ダイエーを作ったカリスマ経営者・中内功の野望と誤算に迫る経営史』をご紹介します。中内功(なかうち いさお、1922年8月2日~2005年9月19日)は、日本の実業家で、ダイエーの創業者として知られています。(文中敬称略)
ダイエーという商号は現在もあるので、利用されている方もおられるのではないでしょうか。
その創業者、中内功について、YouTubeではその生涯と功績、転落をまとめた動画がたくさんアップされています。
その中で、いつぞやもご紹介した、偉人エピソードチャンネルからご紹介します。
YouTubeチャンネルの『偉人エピソード』に最近ハマっています。偉人や黒幕といわれた陰の実力者など傑物のエピソードを紹介する動画を配信しています。褒めちぎったり貶めたりせず、一人の人間の生き様を追う肩の凝らないヒューマンヒストリー動画です。https://t.co/do3zSjMHhO pic.twitter.com/Xi2Oe4qLic
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) June 24, 2024
「今回は、敗戦の焼け跡が残る神戸の小さな薬局店からスタートし、わずか15年で小売業界において日本初の1兆円企業を築き上げ、その後流通業界に革命をもたらしたカリスマ経営者、中内功の波乱に満た人生を紹介しています。」というナレーションから始まっています。
かつては、価格破壊のスーパーとして、大変な勢いがあったダイエーですが、いつの間にか経営状態は悪化し、中内功は失脚。イオン傘下に入ったものの、残っている店舗の現在の経営状態はいまだ上向いてはいないそうです。
Copilotに、その人生と功績をまとめてもらいました。
生い立ちと教育
中内功は大阪府西成郡伝法町(現・大阪市此花区)で生まれました。兵庫県立神戸高等商業学校(現・兵庫県立大学)を卒業後、日本綿花(現・双日)に入社しました。
戦争体験
第二次世界大戦中、フィリピン戦線に従軍し、過酷な戦争体験をしました。この経験が彼の人生観や企業理念に大きな影響を与えました。
ダイエーの創業
戦後、1957年に大阪市旭区千林駅前に「主婦の店ダイエー薬局」を開業しました。これがダイエーの始まりです。その後、食品、衣類、日用品を取り扱う総合スーパーとして全国にチェーン展開し、1972年には老舗百貨店三越を抜いて「小売業日本一」を達成しました。
流通革命
中内は「価格の決定権を製造メーカーから消費者に取り返す」ことを信念とし、価格破壊を推進しました。これにより、日本の流通システムに革命をもたらし、消費者主体型の流通システムを確立しました。
晩年と遺産
1990年代以降、バブル経済の崩壊や阪神・淡路大震災の影響でダイエーは経営危機に陥りましたが、中内は再建に尽力しました。晩年は流通科学大学の学園長として後進の育成に力を注ぎました。
中内功の功績は、日本の流通業界に大きな影響を与え、現在の消費者主体型の流通システムの基礎を築いたことです。
経済環境の変化や経営方針の対立などから失脚
(新着)
— 店舗経営の『成功と失敗の事例集』【公式】ピープル・ビジネス・オンライン ?半世紀以上の積み重ね (@PBO_Official001) March 11, 2024
商業経営の原理原則
第14回 中内功から柳井正に引き継がれる教え
◆ 商店街で「主婦の店ダイエー薬局」からスタートし、前人未到の小売業初、売上1兆円達成
◆ 現在、ユニクロをも支え、世界で実践、検証されている『商いの真理』#笹井清範#ピープル・ビジネス#がんばろう企業公式
ダイエーグループは、一時は300社以上のグループ企業を抱え、総従業員数10万人、グループ売上げ5兆円を超える巨大な組織へと成長しました。
しかし、栄光の影には暗い影も潜んでいました。
彼の強烈なカスマ性と独裁的な リーダーシップは成功をもたらす一方で、やがて組織の柔軟性を奪い、凋落を招く要因となってしまいます。
ダイエーは、その成長と成功にもかかわらず、内部の問題や経営の失敗により転落。
中内は会社に莫大な負債を抱えたまま、志半ばでダイエーを去ることになります。
最終的には、田園調布の豪邸も処分し、その後倒れて亡くなったため、遺体が帰ってくる自宅すらありませんでした。
中内功の失脚にはいくつかの要因がありました。
1980年代後半から1990年代初頭にかけて、ダイエーは積極的に多角化を進めました。しかし、バブル経済の崩壊により、多くの事業が不良債権化し、経営が悪化しました。要するに手を広げすぎました。
1995年の阪神・淡路大震災もダイエーに大きな打撃を与えました。
多くの店舗が被災し、従業員もなくし、復旧に多額の費用がかかりました。
中内の経営方針に対する社内外の反発もありました。
特に、価格破壊を推進する中内の方針に対して、取引先や一部の社員からの反発が強まりました。
これらの要因が重なり、1990年代後半には経営権を失い、2001年にダイエーの会長職を辞任しました。
中内功の失脚は、経済環境の変化や経営方針の対立など、複数の要因が絡み合った結果と言えます。
中内功が「失敗」したからこそ現在の激安店がある
2005年に83歳で亡くなった「主婦の店・ダイエー」の創設者、中内功さんは、二度と戦争を起こしてはならないという信念を持っていたという。こんな警句を残している。
— 藤田和芳 (@DWMK_fujita) May 17, 2024
「人々の日々の暮らしが姿を消し、『お国のために』が前面に出て来たとき、戦争が始まった。流通が消え、配給が登場した」
というわけで、現在の全国規模のスーパーは、イオンの一強状態になってしまった……と思ったら、調べてみると、思ったほど「寡占状態」というわけではなかったんですね。
ランキング | 企業名 | 国内マーケットシェア |
1位 | イオンリテール | 7.77% |
2位 | ライフコーポレーション | 3.57% |
3位 | イトーヨーカ堂 | 3.25% |
4位 | オーケー | 2.58% |
私からすれば、オーケーストアにかなうものなし!
同じ商品が、イオンよりもずっと安いです。
ただ品揃えが万全ではないので、補助的にサミット、西友、イトーヨーカ堂、イオンなどをのぞいてみる、という感じです。
オーケーは、価格が近隣のスーパーの中でいちばん安いうえに、会員になれば、さらに購入額の3/103を割引してくれます。
ダイエーに何があったのか、業界内部はわかりませんが、中内功の「失敗」に学んだことで、さらなる激安店としてオーケーは発展できたのでしょう。
みなさんは、「ここはお勧め」という激安店を利用されていますか。
流通王 中内功とは何者だったのか - 大塚英樹
安いところ…西友と業スーに行ってます
by mau (2024-09-01 01:05)
栄枯盛衰ですね。
by HOTCOOL (2024-09-01 04:07)
私は物によってお店を変えますが、業務スーパーが時には100均より安かったりしますね。
by mutumin (2024-09-01 04:40)
おはようございます。
ダイエーの凋落にそんな裏があったとは知りませんでした。
てっきりイオンに乗っ取られたせいとばかり…
田舎なので、あまり選択肢がないですw
by 安奈 (2024-09-01 06:02)
同じ人間がいつまでもトップに君臨していると、
時代について行けずに組織は崩壊してしまうのでせうか。
中内氏も堤氏も。。。
by 猫の友 メルティー (2024-09-01 06:16)
おはようございます!
大手スーパーにはそれなりの恩恵も受けてきたとは
思いますが、採算に合わないからと言って一歩的に
閉店は困ります。
地元の商店街を蹴散らしてきたわけで、地元に
商店街はなくなっています。
by Take-Zee (2024-09-01 09:26)
多分OKの安さへのこだわりとダイエーの安さの概念が違うんじゃないかな?まあ何にせよOKがナンバーワンだよね(^∇^)
by pn (2024-09-01 10:44)
カリスマ経営者の最大のネックは、後継者の育成にあると思います。引き際を見誤ると晩節を汚す事が多いのではないでしょうか。
ちなみに、私の地元のイトーヨーカドーも来年1月一杯で閉店する事が決まりました。
by 十円木馬 (2024-09-01 12:31)
私はダイエーで育ったようなものです。
大阪だけでも4か所転居。
その駅前、すべてダイエーがありました。
全部無くなったようです。
モノが良く安かった・・・・
でもだんだん高くなってきて・・・・
他のスーパーなんか目じゃ無かった・・・それが悪かったのでしょう。
今関西でのダイエーの名残はLAWSON
やっぱり経営、まずかったのでしょうね。
by HOLDON (2024-09-01 14:43)
こんばんは。
昔城山三郎の『価格破壊』を読みました。
千葉にもダイエーはありました。
S48年に開店し H10年に一旦閉店、翌年再開、H13年にまた閉店という経緯をたどりました。
ずいぶん昔ですが駐車場から車が落ちるという事故がありました。
H9年にダイエー系列の「十字屋ショッカー」から「メディアバレー」に変わった PCショップもありましたが H13年にはこれも閉店してしまいました。
H13年は、S25年に「奈良屋」として開店した百貨店が「ニューナラヤ」として移転した(さらにその後三越になった)のち「セントラルプラザ」としてオープンした商業施設が閉店した年でもあります。
その近く、中央公園の向かいに S51年、田畑百貨店の後にパルコも来ましたがそれも8年前に閉店してしまいました。
このあたりは旧千葉駅(現東千葉駅)から栄町を通って真っ直ぐの位置で近くには千葉神社もありますのでかつての中心地だったわけですが、すっかり様変わりです。
by センニン (2024-09-01 19:46)
ダイエー、覚えてます。
時代の人だつたんでしょうね。
by 夏炉冬扇 (2024-09-01 20:15)
みなさん、コメントありがとうございます。
> 西友と業スー
我が家の近くにも業務用スーパーがありますが、店舗が狭いので品揃えがあまりよくありません。
> 栄枯盛衰ですね
まったくです。
> 業務スーパーが時には100均より安かったり
100均が必ずしも安いとは限りませんね。
> あまり選択肢がない
競合店がないとあまり安くならないのでは。
> 時代について行けずに組織は崩壊
組織に柔軟性がないと生き残れないのでしょう。
> 地元に商店街はなくなっています
まったくですね。スーパーがなくなったからといって昔の店が復活できるわけではないですからね。
> OKがナンバーワン
激安価格を維持するためか品揃えは限られていますけどね。
> 最大のネックは、後継者の育成
中内功も例外ではなかったということでしょうか。
> 他のスーパーなんか目じゃ無かった
モノが良くてどこよりも安い、ダイエーの一番いい時代の消費者だったんですね。
> 千葉にもダイエーはありました
ずいぶん目まぐるしく閉店と開店を繰り返しているのですね。
> 時代の人だつた
まさにその通りですね。
by いっぷく (2024-09-01 22:00)
中内さん はめられたと言う印象があります。ビールを大量に仕入れて安く売ろうとしたことに反発されて。
by mm (2024-09-02 13:16)
九州ではダイエーがすべてイオン・マックスバリュになってしまいました。毎年九月になると、店内でエンドレスに『いざゆけ若鷹軍団』がかかっています。
by 坪井 (2024-09-13 22:33)