小林一三など【保存版】日本近代史最重要偉人100人(水野大樹著、SMABOOK) [文学]
小林一三などの功績をまとめた【保存版】日本近代史最重要偉人100人(水野大樹著、SMABOOK)は、歴史に名を残す人々100名の生きざまと功績を、全314頁にまとめています。今回は漫画ではありませんが、大きな字でわかりやすくまとめられています。(本文中敬称略)
本書は、「明治維新、大正、昭和初期……、現代日本に不可欠だった歴史人物データファイル」というサブタイトルがついています。
政治、軍事、学問・思想、文学・芸能、財界の各分野からピックアップされています。
今回は、その中で、小林一三(1873年(明治6年)1月3日~1957年(昭和32年)1月25日)をご紹介します。
実業家、政治家、阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者です。
小林一三というと、堤康次郎、五島慶太なども合わせて思い浮かびます。
三人は、日本の鉄道業界において非常に重要な役割を果たした実業家です。
それぞれ、阪急電鉄、西武鉄道、東急電鉄を創業し、鉄道事業を中心に多角的な経営を展開しました。
三人の経営手法には共通点があります。
鉄道を敷設しただけでなく、周辺の都市開発や観光事業、流通事業などをセットで行っていることです。
そして、観光・エンターテインメント、文化事業などにも関わっていることです。
五島慶太以外は、政治の世界にも入っています。
三人は鉄道事業を通じて、日本の都市開発や経済発展に大きな影響を与えたため、「三大実業家」と称されています。
宝塚は自ら脚本も執筆
1913年7月1日、 小林一三が宝塚歌劇団の前身である「宝塚唱歌隊」を結成しました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) June 30, 2024
宝塚新温泉にある日本初の屋内プール「パラダイス」が閉鎖された後、跡地を活用した温泉場の余興として、少女達が歌を披露する組織が結成されました。
小学校卒の少女に、大卒者並の給与が支払われたそうです。 pic.twitter.com/m1F919xI0R
小林一三の出身は山梨県韮崎市。
裕福な商家に生まれましたが、幼少期に母を失い、父とも生き別れ、おじ夫婦に育てられました。
この経験が、人間形成に大きな影響を与えたとされています。
慶應義塾時代には、文学青年として小説家を目指していました。
靄溪學人というペンネームで、「練絲痕」という小説を山梨日日新聞に連載していたほどです。
この経験は、後に宝塚歌劇団の脚本を書く際にも役立ちました。
大学卒業後は三井銀行に勤務。
といっても、初出勤が3ヶ月遅れるというエピソードがあります。
年末に友人のところに遊びに行ったまま帰ってこず、熱海で遊んで暮らしていたためです。
このような自由奔放な一面もありましたが、彼を推薦した高橋義雄という大物の存在があったため、特に問題にはなりませんでした。
1907年に、阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道の設立に参画し、1910年に運行を開始しました。
これが後の阪急電鉄となり、沿線の住宅開発とともに発展しました。
「乗る人がいなくて赤字になるのなら、乗る客を作ればいいのだ」という新しい発想で、郊外に住宅地を開発。
サラリーマンがマイホームを持てるように、「頭金で2割、残りを10年間で払い込む」という住宅ローンの元となるアイデアを考案し、当時としては新しい鉄道ビジネスを生み出しました。
そして、鉄道事業を中心に、不動産事業、流通事業、観光事業を一体的に進める「私鉄経営モデル」を確立。
このモデルは、後に全国の大手私鉄や民営化したJRが採用しました。
たとえば、住宅地分譲など沿線開発に力を入れ、1929年に阪急百貨店(現・阪急うめだ本店)を開業し、ターミナルデパートの先駆けとなりました。
また、駅から直結する商業施設を作るというアイデアを実現し、阪急百貨店を設立しました。
これにより、駅ビルと百貨店が一体化したターミナルデパートの先駆けとなりました。
1914年には少女のみの歌劇団を作るというアイデアを思いつき、宝塚歌劇団を設立しました。
自身が脚本を書き、「紅葉狩」や「ダマスクスの三人娘」などの作品を上演しました。
1932年には、東京日比谷に東京宝塚劇場を設立。
これがのちの映画会社東宝になり、日本の映画産業にも大きな影響を与えました。
政治家としては、第二次近衛内閣の商工大臣や戦災復興院総裁を務め、戦後の復興にも尽力しました。
ただし、このことが原因で、戦後の公職追放により一時的に政治の舞台から退くことになりました。
小林一三のビジネスモデルや経営手法は、現在も多くの企業に影響を与え続けています。彼の功績は、鉄道事業だけでなく、都市開発や文化事業にも広がり、日本の経済発展に大きく貢献しました。
顧客志向の注意と配慮
以前に阪急電車の
— タエナカノヌノ~最高級国産ベルベットを糸から作っています。 (@taenakanonuno) March 8, 2024
椅子をさせていただいた。
ほかの鉄道は、
海外の安い生地で椅子を
つくるように。
でも阪急は変えなかったんです。
そこには創業者の小林一三氏の
遺言があった。
お客様を本当によいものでお迎えしたい
「阪急クオリティ」
とよばれるその精神は
今も大切に受け継がれている pic.twitter.com/t4yxtcmMTs
経営者としては非常に厳格であり、細部にまでこだわる性格といわれました。
なにしろ小説家で劇作家ですから。
ただ、それゆえに顧客志向の注意と配慮が行き届いており、商品開発においても独特の才覚を発揮したといえます。
小林一三は、本書にも、「『大衆第一主義』という言葉で表される、大衆を主人公とした社会の実現を目指した」と書かれています。
人間ですから、多面的であり、成功の裏には多くのエピソードもあったと思います。
冒頭の「三人」でいえば、五島慶太の経営手法から「強盗慶太」とか言われたりね。
でも、鉄道敷設や周辺の都市開発は、確実に社会に貢献していますよね。
それはやはり第一義的に評価すべきではないでしょうか。
「小林一三」や「阪急阪神ホールディングス」には、どんなイメージがありますか。
【保存版】日本近代史最重要偉人100人 (SMABOOK) - 水野大樹
今の宝塚は創業者の想いが届いていませんね。
by HOTCOOL (2024-08-05 03:38)
小林一三氏は名前だけは何となく知ってましたが、何をしたか、ここで初めて知りました。色んなアイデアを生み出すインスピレーションを持ち、実行する方だと感心しました。素晴らしい方です。そしてここで勉強させて貰っています。
by mutumin (2024-08-05 04:18)
利用者を作ればいい、その発想が凄いわ確かにそうだわ。
by pn (2024-08-05 06:18)
おはようございます^^
知っているのは名前だけ。
五島慶太さんのことはつい最近日経の「私の履歴書」に東急の方が書かれていた折、そのお名前が登場しました。
by mm (2024-08-05 06:25)
おはようございます!
今日も暑そうですが、何処へ出掛けようか
物色中です (^_^)!
by Take-Zee (2024-08-05 07:06)
こんばんは。
2015年に NHK が「放送90年ドラマ 経世済民の男」として高橋是清、小林一三、松永安左ェ門を取り上げました。
高橋是清はオダギリジョー、小林一三は阿部サダヲ、松永安左ェ門は吉田鋼太郎が扮しました。
大河ドラマ『いだてん』より前でしたが阿部サダヲの演技はちょっと軽いかなという印象を持ちました。
by センニン (2024-08-05 18:19)
みなさん、コメントありがとうございます。
> 創業者の想いが届いていません
この先どうなっていくのでしょうね。
> インスピレーションを持ち、実行する方
社会の発展に大きく貢献しましたね。
> その発想が凄い
やはり時代を切り拓く人はすごいです。
> そのお名前が登場しました
東急の人の話だから小林一三の名前は出なかったのでしょうか。
> 何処へ出掛けようか
くれぐれも熱中症には気をつけてください。
> 阿部サダヲの演技はちょっと軽い
その番組は見ていませんが、阿部サダヲは最近よくテレビに出ているみたいですね。事務所の力でしょうか。まだ若手かと思っていましたが、もう50歳過ぎているんですね。
by いっぷく (2024-08-05 21:43)
大阪では阪急電鉄を良く利用しているので小林一三の話を良く見聞きする機会が有ります。
電車のシートは関西では一番だと思いますし、日本初の今で言う住宅ローンや駅ターミナルビルを作り名物のライスカレーも手掛けたりと様々な視点から見る事で生み出された物が多く残存していますね。
阪神淡路大震災の際にやっつけの補強工事をせず時間が掛かっても基礎からやり直す等、「走っているのが当たり前」の鉄道が止まってしまった時の不便さを鑑みるとこのやり方が正しいのだと思います。
by アコモ (2024-08-10 04:51)