美空ひばりさん、女性として初めての国民栄誉賞受賞者 [芸能]
美空ひばりさん(1937年5月29日~1989年6月24日)の命日です。昭和の歌謡界を代表する歌姫といわれ、女性として初めての国民栄誉賞受賞者でもあり、文字通り国民的スターでした。9歳でデビューし、その天賦の歌唱力で歌謡曲、映画、舞台などで活躍しました。
美空ひばりさんは、1937年に神奈川県横浜市で生まれました。
両親は音楽に精通しており、幼少期から歌と触れ合う機会が多かったようです。
9歳でデビューし、その天賦の歌唱力で天才少女歌手と謳われ、歌謡曲、映画、舞台などで活躍しました。
Copilotに、代表曲を聞いてみました。
1. 「愛燦燦」:穏やかなバラードで、家族愛をテーマにした名曲です。.
2. 「お祭りマンボ」:元気なマンボリズムで江戸っ子の気質を歌ったヒットソング。
3. 「真赤な太陽」:ロック調の歌謡曲で、ゴーゴーダンスを踊りながら歌った名曲。
4. 「リンゴ追分」:民謡調のほのぼのとしたメロディーで、美空ひばりの歌唱力が話題になった曲。
5. 「人生一路」:アップテンポで勢いのある応援歌で、勇気を与えてくれる名曲。
さらに、美空ひばりさんの最後のシングルであり代表曲でもある「川の流れのように」は、彼女の歌声を称える素晴らしい楽曲です。
これらの名曲は、今もなお多くの人々に愛されています。? どれも聴いて感動すること間違いなしですね!
2. 「お祭りマンボ」:元気なマンボリズムで江戸っ子の気質を歌ったヒットソング。
3. 「真赤な太陽」:ロック調の歌謡曲で、ゴーゴーダンスを踊りながら歌った名曲。
4. 「リンゴ追分」:民謡調のほのぼのとしたメロディーで、美空ひばりの歌唱力が話題になった曲。
5. 「人生一路」:アップテンポで勢いのある応援歌で、勇気を与えてくれる名曲。
さらに、美空ひばりさんの最後のシングルであり代表曲でもある「川の流れのように」は、彼女の歌声を称える素晴らしい楽曲です。
これらの名曲は、今もなお多くの人々に愛されています。? どれも聴いて感動すること間違いなしですね!
戦後史は、まさに美空ひばりさんの登場で幕を開けたといっていいかもしれません。
暴力団との関係をとぼける「不義理さ」はなかった
そんな昭和の歌姫が「失脚」したのは、暴力団との関係から。
暴力団に入って実刑判決を受けた、実弟のかとう哲也(本名・加藤益夫)問題の引責で、10年連続で紅組のトリを務めてきた紅白歌合戦を「卒業」。
美空ひばりさん自身も、山口組芸能部で出発し、後に企業化された神戸芸能社で育っています。
その上、田岡一雄山口組三代目組長が個人事務所の「ひばりプロ」の副社長でした。
ヤクザ、とりわけ田岡一雄組長との関係を否定するのは、なかなか悩ましいものがありました。
「私、ヤクザなんか知りません。みんな昔の話」ととぼけ、付き合いをきってしまうこともできたかもしれません。
しかし、美空ひばりさんは、そのような不義理をできなかったのです。
暴力団との関係を取りざたされ、仕事がなくなり、病気をした時に使うヘソクリ以外のお金がなかった時もあった、といいます(「日刊ゲンダイ」2011年2月23日付でニューラテンクォーター元社長の山本信太郎連載「元社長が語る夜の交友録」)。
「『世間はひばりのことを女王様のようにいい、さぞ裕福な暮らしをしているように思っていますが“お嬢”は苦労しているのよ……』といって、(ひばりの母の)喜美枝さんが僕に貯金通帳を開いて見せたのです。そこには400万円前後の残金しかありませんでした。『子供が病気になった時に病院代にだけは困らないようにこれだけは残しているんですよ』」
今とは貨幣価値が違いますが、いずれにしても不世出の大スターの資産としては少なすぎますね。
早逝の真相
美空ひばりが闘病中に
— ひがしあらた (@higasiarata) August 29, 2022
ハワード・C・ヤングという詐欺師のような男に引っ掛かって、怪しげな民間療法で命を縮めた
ちゃんとした西洋医学を ずっと受診していたら、もしかしたら80歳の美空ひばりの歌が聴けたかも知れない#美空ひばり
美空ひばりさんは享年52歳。
死因については、「謎の治療師」に関わったことで、芸能界を代表する二大スターが結果的に命を失った出来事を振り返らざるを得ません。
「二大スター」とは、演技のできる歌手・美空ひばりと、歌える女優・高峰三枝子です。
「謎の治療師」の治療内容は、玄米おにぎりプラス特製茶による食事療法と腸のマッサージでした。
おにぎりといっても、その大きさはゴルフボール大で、1日に食べる量は1個か2個。
さらに「特製茶」には、下剤として用いられるセンナが使用されており、飲むと数時間後には下痢を起こすというものです。(『週刊文春』1990年8月16、23日合併号)
1987年に、両側大腿骨骨頭壊死と慢性肝炎で入院、退院後自宅療養を続けていた美空ひばりさんは、「どんな病気でも完全に治せる」という「謎の治療師」の言葉に、半信半疑ながらもこの絶食療法とも言える治療を取り入れました。
ところが、いったん60パーセントまで回復した肝臓の機能が、10パーセント以下にまで悪化。
再入院し、医師団の治療を受けるも、89年6月24日に死去しています。
栄養失調ですよね。
1990年5月27日、脳こうそくで急逝した高峰三枝子さんも、「謎の治療師」の治療を受けていた1人です。
外出する時でも、必ず「特製茶」をポットに入れて持ち歩いていたと言われます。
結果、JRの混浴CMで見せたあの豊満な肉体が、別人のようにやせ細って……。
『週刊文春』では。「謎の治療師」の正体追及キャンペーンを1990年8月にスタート。
無資格治療、無許可でのセンナの輸入・販売という薬事法違反、経歴詐称などを明らかにしていき、ワイドショーなどで取り上げられるようになりました。
そして、「謎の治療師」は、2003年3月17日に出入国管理及び難民認定法違反(資格外活動)で逮捕されました。
が、美空ひばりさんも高峰三枝子さんも、もう戻ってきません。
美空ひばりさん、どんな曲が思い出されますか。
夏の百選・レコジャケOTAKARAファイル - 草野 直樹
歌のうまさ、抜群でしたね。
by 夏炉冬扇 (2024-06-24 20:36)
お祭りマンボかなぁ
それにしても、怪しい治療も信じてしまうと抜けられないんですかね
by mau (2024-06-24 23:19)
裕次郎の我が人生に悔いなしもだけどあの時期にどんな思いで川の流れのようにをレコーディングしたんだろう?
by pn (2024-06-25 06:25)
おはようございます!
昔は各地に興行に行くと地元の親分さんには
ご挨拶。 皆さん言わないだけですよ (^_^)!
by Take-Zee (2024-06-25 07:06)
ひばりさん、まだ52歳だったのですね。。
若すぎますね。。
by AKAZUKIN (2024-06-25 12:03)
享年52歳は余りにも早く悔やまれますが
その陰にそんなペテン師がいたんですね
ひばりさんの好きな歌は「みだれ髪」です
「悲しい酒」もジンときます
by ムサシママ (2024-06-25 13:54)
大天才でした。
映画俳優として天才。
やっぱり子供の時のひばりですね。
by HOLDON (2024-06-25 15:47)
歌がうまかったと言うことぐらいしか・・・
by mm (2024-06-26 04:54)