鶴田浩二さん、甘さと翳りを兼ね備えたトップスター [芸能]
鶴田浩二さん(1924年12月6日~1987年6月16日)は、昭和を代表する映画俳優の一人として数多くの映画やドラマに主演しました。今日は祥月命日です。映画では任侠映画の様式美、テレビでは長いセリフできちんと決着を付けるガードマンなどを演じました。(画像は『週刊現代』2014年9月20・27日号より)
鶴田浩二さんは、1924年12月6日に静岡県で生まれ、戦後を代表するスターとなりました。
彼は甘さと翳りを兼ね備えた美貌で一躍トップスターに躍り出し、任侠映画や戦争もので見せた渋い魅力で長らく日本映画界を代表するスターとして君臨しました。
また、独特の哀愁を帯びた声と歌唱法で知られる歌手でもありました。
左耳に左手を添えて歌う独自のスタイルは、22歳の時に薬の副作用により左耳が難聴になってしまったため、左耳が聴こえづらいことから音を良く聞くために左手を添えていたそうてす。
マイクをハンカチで包むのは、自分の手汗がマイクにつかないようにする気配りだったそうです。
Copilotに代表作を尋ねると、次の作品が出ました。
1. 人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊……戦争映画で、鶴田さんが主演した作品です。
2. 明治侠客伝 三代目襲名……任侠映画で、彼の渋い魅力が光る作品です。
3. 人生劇場シリーズ……長寿のシリーズで、鶴田さんが主演した作品群です。
4. 次郎長三国志シリーズ……侠客の物語で、彼の演技が際立つ作品です。
私は、『人生劇場シリーズ』と『次郎長三国志シリーズ』とともに、NHKドラマ『男たちの旅路』も挙げたいですね。
男たちの旅路
45年前『男たちの旅路』というテレビドラマがあった。身体障害者に対する当時の社会の厳しい現実を真正面から描いた作品だったが、今回の車椅子に間する一連の騒動で改めて、このドラマ内のセリフを思い出した。45年経っても、この社会は何も変わらないのだろうか…#山田太一 pic.twitter.com/Qgkn07UCoa
— M16A HAYABUSA (@M16A_hayabusa) March 17, 2024
『男たちの旅路』は、特攻隊の生き残りであるガードマン・吉岡晋太郎(鶴田浩二)と、若い同僚(森田健作、水谷豊、柴俊夫ら)による、仕事で経験したいろいろな人との関わりから、人間の価値観や信念とは何かを追求したドラマです。
自らも特攻隊の生き残りだった鶴田浩二。生きたくても生きられなかった仲間たちを見送った者として、高度経済成長を経て絶対的貧困から脱した日本の中で、どこか軽薄になっていく時代の風潮や、戦後生まれの若者たちの態度が認められない。そんな葛藤をリアルに演じています。
一方では水谷豊らが、戦後生まれの価値観で鶴田浩二と対立しています。
が、決して水谷豊の生き方や主張も間違ってはおらず、視聴者は世代間の相克と人間の価値観の奥深さを考えさせられます。
このドラマが印象深いのは、作品の核となる葛藤や相克について、きちんとセリフで決着をつける誠実なところです。
毎回、ストーリーが展開して、佳境に入ると、鶴田浩二とその回のメインゲストが対話をするシーンになります。
ゲストが自分(たち)の主張を行う。
すると、鶴田浩二は、例の声で、「そうでしょうか」とやんわり否定して、おもむろに自分の意見を述べ始めます。
そのシーンが長い。
観念的な芝居や禅問答ではなく、とにかくまじめに突き詰めていくのです。
第1回で、自殺をしかけた桃井かおり演じる女性に対して、鶴田浩二演じるガードマンは、説得の会話になんと9分以上しゃべっています。(YOUTUBEにもアップされていますね。著作権者への許諾は知りませんが)
こういうドラマもあっていいな、と当時思いましたね。
鶴田浩二襲撃事件
「鶴田浩二襲撃事件は…鶴田浩二が暴力団・山口組三代目の組員に襲撃・暴行を受けた事件。この後、芸能界では『山口組・田岡一雄の機嫌を損ねるととんでもないことになる』と恐怖を植え付けることとなり、山口組が芸能界での勢力拡大」https://t.co/uWulpacSYK
— 諸野脇 正 (@shonowaki) January 18, 2016
鶴田浩二襲撃事件は、ウィキペディアにも書かれていますし、触れざるを得ないでしょう。
1953年1月6日、大阪市天王寺区の旅館「備前屋」で、鶴田浩二が暴力団・三代目山口組の組員に襲撃・暴行を受けた事件です。
芸能興行を手掛けていた山口組が、鶴田浩二の興行を持ちかけたとき、マネージャーである兼松廉吉が、「スケジュールが詰まっている」と断りながら、後日、菓子折りと5万円を持参して、近くで公演を行うと挨拶に来ました。
それに三代目が不快感を示し、意を組んだ山本健一若衆(後の若頭)らが、鶴田浩二を襲った事件です。
堂々と興行でwinwinになろうとしたのに、「はした金」を包んできたことは、自分たちを「カスリを取るシノギ」しかできないと、バカにされたように思ったようです。
三代目は、美空ひばりさんの個人事務所であるひばりプロの副社長であり、また美空ひばりさんは興行会社である神戸芸能社(山口組)に所属していました。
神戸芸能社はそのほか、田端義夫、高田浩吉、里見浩太朗、 山城新伍、橋幸夫、三波春夫、北条喜久子らの興行権を持っていました。
さらに、三橋美智也、江利チエミ、清川虹子、伴淳三郎といった面々も、三代目との交際は公然としていました。
山本健一若衆は、別の事件で服役していたとき、美空ひばりさんが慰問に来て、「ケンちゃん、しっかりおつとめして早く出てきて」と呼びかけ、ヤマケン若衆が感動したというエピソードもあります。
いずれにしても当時は、暴力団と芸能界のつながりは深かった、というより暴力団が直接芸能界で事業を行っていたということです。
鶴田浩二さんの作品は、何を思い浮かべられますか。
傷だらけの人生 - 鶴田浩二, 石山健二郎, 北村英三, 工藤明子, 遠藤辰雄, 小沢茂弘, 村尾昭
芸能界の有名な方の名はよく存じていますが、お仕事を見たことがほとんどないわたくし。
歌手の場合はテレビから流れてきますが映画関係は観たこと全然ないです。
by mm (2024-06-16 06:41)
鶴田浩二、よく映画見ました。昔は。
エアコンなぞ無縁の日本家屋でしたが、温暖化です。
by 夏炉冬扇 (2024-06-16 06:51)
おはようございます。
鶴田浩二はあまり知りませんが、
左耳に左手を添えて歌う歌い方は記憶に残っています。
あれにそんな意味があるとは知りませんでした。
by 安奈 (2024-06-16 08:41)
おはようございます!
この人・・あの名優”高田浩吉さん”の御弟子??
それで”X田浩X"をいただき、芸名になったと
聞いています (^_^)!
by Take-Zee (2024-06-16 08:46)
大河ドラマの山河燃ゆが印象残ってるなぁ、外務大臣役で懲役60年とかで天羽と面会してる時生きて出られないみたいなセリフ言うんだけどその時の枯れ具合というか哀愁というかがですね、記憶に残ってます。
by pn (2024-06-16 08:58)
何となくヤクザ映画に出ていた方という印象です。
難聴だったとは知りませんでした。
わざとらしく感じていましたが理由があったんですね。
by エンジェル (2024-06-16 11:12)
みなさん、コメントありがとうございます。
>高田浩吉さん”の御弟子??
仰るとおりですね。
by いっぷく (2024-06-16 14:04)
鶴田浩二さんの映画は見たことがありません
芸能界とおヤクザさまがズブズブの関係だったんですね
無法者に芸能界が牛耳られていたと思うと恐ろしくなります
戦争を経験している男性はとうとうと自分の意見を述べることは余りなかったように思います
昔の男性は兎に角無口なイメージがあります
by ムサシママ (2024-06-16 15:40)
鶴田浩二は映画と共に歌も低音で素晴らしい俳優でしたね。
by お散歩爺 (2024-06-16 18:11)
今はYouTubeで、昭和20年台の映画も無料でたくさん観ることができはまっています。最近も鶴田浩二さんと美空ひばりさんが共演する『あの丘超えて』を観ましたが、大学生役の鶴田さんはかっこよかったです。
by 十円木馬 (2024-06-16 19:18)
鶴田浩二さん、亡くなって、もう40年以上になるのですね。
30年続いた平成が終わったのだから当然のことなのだけど、今さらながらそんな時が過ぎたのだなと感慨深く感じています。
昭和代表する俳優で歌手、以前はあまり好きではありませんでしたが、今は、その思い出に懐かしさを感じると共に、忘れられないものとなっています。
by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2024-06-16 19:45)
お名前は存じてますが、みたことは無いかも知れません
by mau (2024-06-16 22:09)