5月31日は東八郎さんの生まれた日です。 [芸能]
5月31日は東八郎さんの生まれた日です。
浅草フランス座などで活躍後、トリオ・スカイラインで寄席番組にデビュー。
その後はコメディアンとして、テレビドラマ、バラエティー、映画、舞台など幅広く活躍。52歳の急逝は惜しまれました。
5月31日が誕生日の有名人は、物故者も入れるとかなりの人数なんですね。
このブログでは過去に、東八郎さんの生まれた日であることを記事にしました。
東八郎さんは、昭和を代表するコメディアンの一人です。
萩本欽一さんの預かり師匠であり、東貴博(Take2)や東朋宏の実父です。
1964年に、小島三児、原田健二とトリオ・スカイラインを結成していますが、7年後に解散してからは単独で活躍。
単発のトーク番組を除くと、東八郎の遺作ともいえるのが『志村けんのバカ殿様』の家老役。
Wikiによると、志村けんさんは子供からバカにされることに内心憤慨していた時期があったそうです。
ところが、東八郎さんが、「子供にバカにされるのは芸人として当然のことで、怒っても仕方がない。分かる人は、演者がバカではないとちゃんと分かってくれている。むしろ芸人が利口面をしたがったり、文化人ぶったりするようになったらおしまいだよ」と諭され、大いに感激したというエピソードが書かれています。
教員の子弟として「笑い」に徹することにまだてらいが残っていた志村けんにとって、皇宮警察官の子弟でありながら「バカな演技」に誇りを持っている東八郎の話は、心にストンと落ちたようです。
志村けんさんがコメンテーターにもならず、映画監督もせず、お笑い芸人の領域から逸脱しなかったのは、これが理由なのでしょうか。
いいエピソードだと思いました。
東八郎さんは、その皇宮警察官の父親が“火宅の人”だったそうで、子供の頃からしなくてもいい苦労をずいぶんしたそうです。
そのため、中学を出ると独立しようと考え、田谷力三に弟子入り。
子どもが5人いるのも、寂しい家庭に育ったことと無関係ではないと、坂上二郎父子が司会を務めていた『二郎さんのOh!マイおやじ』(1975年4月6日~1976年3月28日、朝日放送/テレビ朝日)というトーク番組で打ち明けていました。
トーク番組での東八郎は物静かで、自分の預かり弟子(萩本欽一)の相方に当たる坂上二郎に対しても、折り目正しい口調だったのを覚えています。
芸と違う「素」を見せることについての是非はあるかもしれませんが、私は東八郎さんの人柄を知ることができてよかったと思いました。
しかし、そうした生き様をこれから存分に表現しようという52歳で早逝してしまいました。
浅草フランス座などで活躍後、トリオ・スカイラインで寄席番組にデビュー。
その後はコメディアンとして、テレビドラマ、バラエティー、映画、舞台など幅広く活躍。52歳の急逝は惜しまれました。
コメディアンはコメディアンでいいじゃないか。
5月31日が誕生日の有名人は、物故者も入れるとかなりの人数なんですね。
【??5/31誕生日】①
— Kench15?? (@Kench151) May 30, 2021
土方歳三・??14伊福部昭/曲
蔵原惟繕??・東 八郎
??37西村繁男/編・角 富士夫?
生沢佑一・??62日高のり子
??66八神 健??・田村明浩
??68鈴木京香・大村 厳?
??74有吉弘行・マック鈴木?
??76日高万里??
??80真鍋かをり・武智志穂
85松嵜 麗・89朝井リュウ??
??90 TOMOMI/SCANDAL pic.twitter.com/QfGiZpkhbV
このブログでは過去に、東八郎さんの生まれた日であることを記事にしました。
5月31日は東八郎さん(1936年5月31日~1988年7月6日)の生まれた日です。先ごろ亡くなった、志村けんさんが私淑していたコメディアンとして改めて評価されました。https://t.co/ec1Fx606Yr pic.twitter.com/uPWZW1EBkk
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) May 31, 2021
5月31日は #東八郎 さんの生まれた日です。トリオ・スカイラインで寄席番組にデビュー。その後はコメディアンとして、テレビドラマ、バラエティー、映画、舞台など幅広く活躍したものの、52歳で急逝しました。https://t.co/n1lQ73r6VN pic.twitter.com/I436JDKLEQ
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) May 31, 2021
東八郎さんは、昭和を代表するコメディアンの一人です。
萩本欽一さんの預かり師匠であり、東貴博(Take2)や東朋宏の実父です。
1964年に、小島三児、原田健二とトリオ・スカイラインを結成していますが、7年後に解散してからは単独で活躍。
単発のトーク番組を除くと、東八郎の遺作ともいえるのが『志村けんのバカ殿様』の家老役。
Wikiによると、志村けんさんは子供からバカにされることに内心憤慨していた時期があったそうです。
ところが、東八郎さんが、「子供にバカにされるのは芸人として当然のことで、怒っても仕方がない。分かる人は、演者がバカではないとちゃんと分かってくれている。むしろ芸人が利口面をしたがったり、文化人ぶったりするようになったらおしまいだよ」と諭され、大いに感激したというエピソードが書かれています。
教員の子弟として「笑い」に徹することにまだてらいが残っていた志村けんにとって、皇宮警察官の子弟でありながら「バカな演技」に誇りを持っている東八郎の話は、心にストンと落ちたようです。
志村けんさんがコメンテーターにもならず、映画監督もせず、お笑い芸人の領域から逸脱しなかったのは、これが理由なのでしょうか。
いいエピソードだと思いました。
“火宅の人”の息子で苦労した幼年時代
東八郎さんは、その皇宮警察官の父親が“火宅の人”だったそうで、子供の頃からしなくてもいい苦労をずいぶんしたそうです。
そのため、中学を出ると独立しようと考え、田谷力三に弟子入り。
子どもが5人いるのも、寂しい家庭に育ったことと無関係ではないと、坂上二郎父子が司会を務めていた『二郎さんのOh!マイおやじ』(1975年4月6日~1976年3月28日、朝日放送/テレビ朝日)というトーク番組で打ち明けていました。
トーク番組での東八郎は物静かで、自分の預かり弟子(萩本欽一)の相方に当たる坂上二郎に対しても、折り目正しい口調だったのを覚えています。
芸と違う「素」を見せることについての是非はあるかもしれませんが、私は東八郎さんの人柄を知ることができてよかったと思いました。
しかし、そうした生き様をこれから存分に表現しようという52歳で早逝してしまいました。
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