62歳でパソコンを始め、86歳で政府IT戦略の要人になった話 [社会]
今日付のYahoo!やエッセの更新記事で紹介されているのは、86歳プログラマー・若宮正子さん。
近年、何度かメディアの取材を受けていて、たぶんご存じの方もおられると思いますが、改めて記事をシェアします。
初出は『エッセ』で、Yahoo!のトピックスにも同じものが出ていますが、ここでは、エッセのOGPを貼り付けます。
若宮正子さんは、60代からパソコンを学び、80代でゲームソフトまで開発。
アメリカ・アップル社に招かれ、同社の最高責任者のティム・クック氏とハグをするまでに至ったという話です。
現在は、なんと日本政府からの要請で、デジタル改革ワーキンググループのメンバーとして平井卓也デジタル改革担当大臣のお手伝いをしています。
あらすじを簡単に書きます。
若宮正子さんは1935年(昭和10年)生まれ。
教育大付属(現筑波大付属)高校を卒業してすぐ、三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に入社。
今の学歴マニアからしたら、「超難関の国立大学付属なのに、どうして大学進学しないの?」と思われるかもしれません。
記事によれば、「女性に学問はいらない。そんな価値観がまかり通っていた時代」だったのです。
勤務先でも、「女性社員は『女の子』扱いで、固有名詞では呼ばれなかった」とか。
文字通りの「雌伏の時代」ですが、若宮正子さんは「ノンキャリ」でも本部の企画部に抜擢!
当時としては異例の昇進を果たし、定年まで勤め上げます。
ところが、62歳の定年で、第二の人生を始めようとしたときに、今度は母親介護が始まってしまいました。
社会と切れてしまうことを心配した若宮正子さんは、独学でパソコンを始めます。
まだ、インターネットの前のパソコン通信の頃です。
スマホゲームのプログラムに興味を持ったのは80歳。
「またも独学ですよ。近所でプログラミングの本を買ってきてね。わからないところは若いお友達に聞くの。コンピューターの勉強は老若男女関係なし! 好奇心さえあればいいんですよ」
記事の写真は、園遊会に招かれたときの服装で撮影されていますが、エクセルアートのドレスとショールに、同じくエクセルアートでデザインしたブローチとバッグを添えています。
そして、冒頭にご紹介したように、現在は政府のデジタル改革ワーキンググループのメンバーとして、平井卓也デジタル改革担当大臣のお手伝いをしています。
こちらは、2年前に行われた別のメディアのインタビューです。
記事を読んで感じたポイントは、以下のとおりです。
・人生やるかやらないか
62歳でパソコン、80歳でプログラミング。
「この歳で」と諦めるのか、年齢関係なく、新しいものへのチャレンジ精神をいだき続けるのか。
チャレンジすれば絶対にうまくいくわけではありませんが、何もしなければ何も起こりません。
・モノになるには忍耐力も大切
固有名詞で呼ばれない女性行員が、管理職に登用されたというのは、何よりも苦しい時も投げ出さないで頑張ったからだと思うのです。
プログラミングも、パソコンを始めてから20年近くたってから始めているわけです。
もし、パソコンに挫折したり飽きたりしていたら、それはなかったわけです。
何より、介護で社会と切れてしまっている環境には、励みになりますね。
・やっぱり「ほしのもと」も大事かな
率直に言って、この方は、育ちが格段に良いと思います。
なぜかといえば、昭和10年生まれの女の子に「正子」という漢字2文字を命名し、教育大付属に入れるご両親は、たぶん、かなり身分も文化水準も高いご夫婦ではないかと思います。
戦前生まれの女性は、カタカナ2文字の命名が当たり前でしたからね。
戦前は戸籍に身分が記載される時代で、その身分が、就職や結婚などに実際にモノを言ってました。
普通の家庭の子弟は、国立大学付属にも銀行にも、当たり前のように入ることなどはなかったのです。
こんにち若宮正子さんの姿は、ご本人の、努力や心がけによるものと思います。
が、その人格形成の前提となったのは、両親や環境だと思いますから、まあ86歳にして政府の一員という、ポテンシャリティのあるべきポジションに落ち着いたのかなと言うイメージです。
やっぱり人生は「ほしのもと」。とりわけ「親」だよな、なんて思ってしまいました。
みなさんは、いかが思われましたか。
老いてこそデジタルを。 - 若宮正子
60歳を過ぎると、人生はどんどんおもしろくなります。 [ 若宮 正子 ] - 楽天ブックス
近年、何度かメディアの取材を受けていて、たぶんご存じの方もおられると思いますが、改めて記事をシェアします。
初出は『エッセ』で、Yahoo!のトピックスにも同じものが出ていますが、ここでは、エッセのOGPを貼り付けます。
80歳で始めたプログラミングで政府のデジタル改革ワーキンググループのメンバーに
若宮正子さんは、60代からパソコンを学び、80代でゲームソフトまで開発。
アメリカ・アップル社に招かれ、同社の最高責任者のティム・クック氏とハグをするまでに至ったという話です。
現在は、なんと日本政府からの要請で、デジタル改革ワーキンググループのメンバーとして平井卓也デジタル改革担当大臣のお手伝いをしています。
あらすじを簡単に書きます。
86歳プログラマー・若宮正子さんの暮らし。「趣味以外は質素です」 https://t.co/13DGYiONIF
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) April 30, 2021
若宮正子さんは1935年(昭和10年)生まれ。
教育大付属(現筑波大付属)高校を卒業してすぐ、三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に入社。
今の学歴マニアからしたら、「超難関の国立大学付属なのに、どうして大学進学しないの?」と思われるかもしれません。
記事によれば、「女性に学問はいらない。そんな価値観がまかり通っていた時代」だったのです。
勤務先でも、「女性社員は『女の子』扱いで、固有名詞では呼ばれなかった」とか。
文字通りの「雌伏の時代」ですが、若宮正子さんは「ノンキャリ」でも本部の企画部に抜擢!
当時としては異例の昇進を果たし、定年まで勤め上げます。
ところが、62歳の定年で、第二の人生を始めようとしたときに、今度は母親介護が始まってしまいました。
社会と切れてしまうことを心配した若宮正子さんは、独学でパソコンを始めます。
まだ、インターネットの前のパソコン通信の頃です。
スマホゲームのプログラムに興味を持ったのは80歳。
「またも独学ですよ。近所でプログラミングの本を買ってきてね。わからないところは若いお友達に聞くの。コンピューターの勉強は老若男女関係なし! 好奇心さえあればいいんですよ」
記事の写真は、園遊会に招かれたときの服装で撮影されていますが、エクセルアートのドレスとショールに、同じくエクセルアートでデザインしたブローチとバッグを添えています。
そして、冒頭にご紹介したように、現在は政府のデジタル改革ワーキンググループのメンバーとして、平井卓也デジタル改革担当大臣のお手伝いをしています。
「シニアにこそITを使ってほしい」「人生100年時代、特に重要なのは金融とIT」「私は創造的でありたい」。世界最高齢のプログラマーと呼ばれた若宮正子さん(84)に迫ります。https://t.co/5WHZFKcoyf
— 日本経済新聞 電子版(日経電子版) (@nikkei) November 17, 2019
こちらは、2年前に行われた別のメディアのインタビューです。
やっぱり「ほしのもと」は大事なのかな
記事を読んで感じたポイントは、以下のとおりです。
・人生やるかやらないか
62歳でパソコン、80歳でプログラミング。
「この歳で」と諦めるのか、年齢関係なく、新しいものへのチャレンジ精神をいだき続けるのか。
チャレンジすれば絶対にうまくいくわけではありませんが、何もしなければ何も起こりません。
・モノになるには忍耐力も大切
固有名詞で呼ばれない女性行員が、管理職に登用されたというのは、何よりも苦しい時も投げ出さないで頑張ったからだと思うのです。
プログラミングも、パソコンを始めてから20年近くたってから始めているわけです。
もし、パソコンに挫折したり飽きたりしていたら、それはなかったわけです。
何より、介護で社会と切れてしまっている環境には、励みになりますね。
・やっぱり「ほしのもと」も大事かな
率直に言って、この方は、育ちが格段に良いと思います。
なぜかといえば、昭和10年生まれの女の子に「正子」という漢字2文字を命名し、教育大付属に入れるご両親は、たぶん、かなり身分も文化水準も高いご夫婦ではないかと思います。
戦前生まれの女性は、カタカナ2文字の命名が当たり前でしたからね。
戦前は戸籍に身分が記載される時代で、その身分が、就職や結婚などに実際にモノを言ってました。
普通の家庭の子弟は、国立大学付属にも銀行にも、当たり前のように入ることなどはなかったのです。
こんにち若宮正子さんの姿は、ご本人の、努力や心がけによるものと思います。
が、その人格形成の前提となったのは、両親や環境だと思いますから、まあ86歳にして政府の一員という、ポテンシャリティのあるべきポジションに落ち着いたのかなと言うイメージです。
やっぱり人生は「ほしのもと」。とりわけ「親」だよな、なんて思ってしまいました。
みなさんは、いかが思われましたか。
老いてこそデジタルを。 - 若宮正子
60歳を過ぎると、人生はどんどんおもしろくなります。 [ 若宮 正子 ] - 楽天ブックス
「人生やるかやらないか」とはいえ80歳でプログラミングを独学で学ぶということはなかなか出来ないので、感服するばかりです…
by ナベちはる (2021-05-01 00:56)
園遊会に呼ばれたり、80歳過ぎて政府に入ったりして、人生100年時代の広告塔的存在ですね。
もちろん、ご本人の経歴は事実ですが。
by おっつぁん (2021-05-01 01:20)
本当にすごい方ですね。
自分なんかまだまだだなと感服しました(*´ω`*)。
by 萌田かずきち (2021-05-01 01:57)
おはようございます。
学ぶのに年齢は関係という現れですね^^
by 楓 (2021-05-01 05:16)
確かに好奇心を大事に思える人生に導いた(のか?)「親」が良かったのかもしれないけど、それでも弊社の60代に聞かせてやりたい生き方だ(^_^;)
by pn (2021-05-01 06:27)
いっぷくさんコメントありがとうございます(*^_^*)
この藤棚はテニスコート1面分位に広がっていますが元は1本の樹で、途中3本に枝分かれして藤棚を構成しています。門の外からの撮影で、カメラアングルが制限されもやもやした気分でした(>_<)
by きたろう (2021-05-01 07:42)
60代から始まって・・爺はそれより前から始まって
今でもブログが精一杯なのに頭のいい人は頭が良いんですね。
by 旅爺さん (2021-05-01 08:34)
自分には無理だな~
って最初から諦めるのがダメなんですよね(..;)
by kou (2021-05-01 08:45)
自分を見つめることは大事ですが
こういう方を知ると
自分への偏見や先入観が
いかに自分自身に悪い作用しているか
わかるような気がします。
by そらへい (2021-05-01 10:57)
すごい方ですね〜。
by ぴーすけ君 (2021-05-01 17:07)
立派な方がいるものですね。
by JUNKO (2021-05-01 17:15)
すごい人がいるもんですね。
パソコンを使い倒すのも難しいのに、
プログラムを作るなんて、出来るものではありません。
小学校では、パソコンの操作のみならず、プログラムを組む
授業が行われているそうです、老兵は去り行くのみです。
by kohtyan (2021-05-01 18:38)
昭和な時代なのに、(女性で)定年まで銀行に勤めていたと
言う根気が凄い。そう考えると、地味な勉強なんて、楽し
くて仕方ないんだろうなと思ったり。
by tai-yama (2021-05-01 18:39)
この方の『ほしのもと』は、恵まれていたのですね。
独学というのは無素晴らしいとは思いますが、スタートラインには恵まれていたと思います。
でも、ボクはそんなに頑張れないのでは?と自分で思います。
by なかちゃん (2021-05-01 19:06)
努力の人ですね
でも全てが楽しいんだろうなあ
憧れます
by たぃ (2021-05-01 19:24)
もちろん「ほしのもと」は大事ですが、それはおまけのようなもので、実際はご本人のたゆまぬ努力とやる気でしょうね。ご性格がいいというのもあると思います。
by coco030705 (2021-05-01 22:29)
みなさん、コメントありがとうございます。
>by coco030705 (2021-05-01 22:29)
>それはおまけのようなもので、
>実際はご本人のたゆまぬ努力とやる気でしょうね。
「おまけ」などという軽いものだったら、この方は大学に進んでいたと思います。
就職したのは戦後ですが、まだ国民の間には、家庭環境や社会的な価値観(身分や性差)で人生が決まってしまう戦前の考え方が残り滓のように残っていた時期です。(令和の今ですら残っているし)
昨今の新自由主義で格差は広がりましたが、戦後の機会均等という考えが浸透したのは、まだまだずっと後のことで、まだこの頃は、努力できるのも、努力が何をもたらすかの認識も、家庭環境や文化的水準で全く違っていたと思います。
by いっぷく (2021-05-02 00:10)
家庭環境は大事ですね。人格形成や嗜好、思考、身分など様々なハンデが付きまといます。
今でこそ身分的なハンデは少なくなってきましたが、それでもやはり人間の基礎部分は家庭で作られますから、そこで不利を負ったら巻き返すには相当の能力や努力が必要です。(ただし、無理ではない)
by Caelum (2021-05-02 20:25)