猪狩ともか「まずは感謝の気持ちが大事」理解と支援は「感謝」が条件なのか [障害者]
伊是名夏子さん叩きがまだ続いているようですね。
まあ、苦労知らずの健常者は叩くだろうと思っていましたが、その中で、仮面女子というグループの、猪狩ともかという中途障碍者が、「まずは感謝の気持ちが大事」と述べたことは、ちょっと捨て置けないなと思いました。
そうしたら、案の定、障碍者の側から「まずは感謝の気持ちが大事」を批判するツイートが出ました。
私は障碍者ではないので、その人とは少しニュアンスが違うのですが、やはり感謝を「社会のルール」であるかのようにして、人を批判するロジックは断固反対します。
感謝は強制でも、なにかするときの条件でもないからです。。
まず、猪狩ともかが、「感謝しろ」と批判しているまとめサイトです。
次に、障碍者の側から「感謝するのが当たり前」という言い草に対する批判のまとめサイトはこちらです。
そもそも、今回の騒動の発端は、第三者のジャーナリストが書いているわけでもなく、TVカメラが回っているわけでもなく、伊是名夏子さんの個人ブログで、彼女自身が経験したことを彼女の言い分で書いているに過ぎないものです。
つまり、極端に言えば、車椅子の不自由さを描くために、彼女が一部、場合によっては全部創作したものかもしれないんですよ。
なのにあんたがた、何をアツくなってるの、その時点で彼女に踊らされてるだろ、というのがまず大前提のツッコミです。
次に、書かれていることが事実だとしても、それは彼女とJR職員のやりとりの話で、第三者の一般国民は誰も何も支障がないのに、なんで彼女の人格を執拗に叩くのか。
「障碍者のくせに」という思い上がったマウンティングであり、木村花さん事件を、何も反省していないということです。
第三に、伊是名夏子さんに同情できないという意見は、障碍者の側からも出ていますが、論点ずれてるでしょう。
そもそも彼女の個人ブログの話なんですから、同情しなくてもいいし、彼女が好きでなくても良いのです。
事前に予約すべきだとかハチノアタマとか、彼女の至らなさを指摘するのも間違いではありません。
ただ、それらはいずれも、「創作かもしれない彼女とJRの個人的なやり取り」を前提としたものであり、国民的議論をするようなものではありません。
本当に公益的客観的な問題は、バリアフリー法があるのに、エレベーターのない駅があったという事実だけでしょう。
それこそが、第三者には大切でしょう。
だから、何も障碍者手帳持ちだけじゃなく、高齢者や妊婦、ベビーカーをおす人にとっても、バリアフリーが広がると良いね、という方向にまとめる話です。
それが、全国民的な利益になる結論です。
そういう問題を後景に退けて、彼女の悪口のほうを優先している連中は、たぶん問題解決能力もなく、不平不満や悪口ばかり一人前の人間だと思います。
だめな奴ほど悪口が好きなのです。
ビジネスではもちろん、プライベートでも、そんな奴は信用できないから付き合いたいとは思わないですね。
今回は、「感謝しろ」論について一言します。
この感謝ってのが曲者です。
飯を食うときは手を合わせて感謝してから食え。
親や先祖があって自分があるから、生んでくれたことを感謝しろ。
そして、障碍者は社会に迷惑をかけているから感謝して当たり前。
どれもこれも、感謝する側・される側に上下関係を作り、人々の心や振る舞いに合理性もない圧力をかけて閉塞感をもたらします。
感謝させられちゃったら、もし、腐った食べ物だと気づいても、アレルギーを起こす食べ物だとわかっても、好きではないものでも、箸を置けないじゃないですか。
親は絶対感謝、文句を言うのは親不孝。
この韜晦趣味が、風通しの悪い親子関係を作り、毒親や、親が子に手をかける事件につながっているのです。
生んでもらったから感謝しろ?
逆でしょう。
親が、子供がほしいから作っただけでしょう。
親の裁量で子を生んだのだから、親の責任できちんと育てるのはアタリマエのことです。
それを感謝するかどうかは、子育てに対する評価の問題を含みますから、子の「内心の自由」なのです。
子が感謝できないと思ったとしても、それは「親不孝」なのではなく、親が自らの不明を恥じることではないのでしょうか。
感謝するメンタリティ自体を否定はしていません。
感謝したい人は大いにしてください。
ただし、「ねばならない」として強制できることでしょうか、という話です。
今回もそうですが、障碍者が感謝するなら「理解と支援」をしてやる、感謝しないならしてやんないという話ではないでしょう。
法律で決まったことを守らせるのに、「感謝」を条件にするというのは変です。
障害者の交通権は、「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律」で認められていることもネット民は知らないのかな?
伊是名夏子さんの人格が、気に食わないのは自由。
でも、だからエレベーターは作らなくていいのでしょうか?
そのエレベーターは、明日のあなたが利用するかもしれないんだって、わかんないのかな。
猪狩もとかという人にマジレスすれば、彼女は芸能人であり、事故のことも知っているファンもいて、暖かく迎えられているからそういう綺麗事が言えるんです。
ほとんどの車椅子の人は、感謝とは正反対の、恨みつらみを社会や周囲に抱きながら大変な思いをして暮らしているんです。
そういう人たちの身になって物を言うべき人が、たとえ善意とは言え、軽々しく自分の環境が全てのような物言いをしても、叩く連中にその部分を都合よく切り取られるだけです。
感謝は自発的な行為であって、「べき」とか「ねばならない」と求める性質のものではない、というのが私の結論です。
まあ、苦労知らずの健常者は叩くだろうと思っていましたが、その中で、仮面女子というグループの、猪狩ともかという中途障碍者が、「まずは感謝の気持ちが大事」と述べたことは、ちょっと捨て置けないなと思いました。
そうしたら、案の定、障碍者の側から「まずは感謝の気持ちが大事」を批判するツイートが出ました。
私は障碍者ではないので、その人とは少しニュアンスが違うのですが、やはり感謝を「社会のルール」であるかのようにして、人を批判するロジックは断固反対します。
感謝は強制でも、なにかするときの条件でもないからです。。
いったい何がいちばん大事なことなの?
まず、猪狩ともかが、「感謝しろ」と批判しているまとめサイトです。
【芸能】「仮面女子」猪狩ともか、車いす乗車拒否騒動に「まずは感謝の気持ちが大事」と持論 猛バッシングに苦言も [砂漠のマスカレード★]
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) April 11, 2021
https://t.co/PPUBvaN7kj pic.twitter.com/g29ob4dEK6
次に、障碍者の側から「感謝するのが当たり前」という言い草に対する批判のまとめサイトはこちらです。
【車イス男性】事前連絡、お願い、感謝するのが当たり前。この言説を障害当事者に突きつける優生思想丸出しの人達に怒りが収まらない★2 [potato★]
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) April 11, 2021
https://t.co/eXOcIbJkSX pic.twitter.com/e9BQYUyU23
そもそも、今回の騒動の発端は、第三者のジャーナリストが書いているわけでもなく、TVカメラが回っているわけでもなく、伊是名夏子さんの個人ブログで、彼女自身が経験したことを彼女の言い分で書いているに過ぎないものです。
つまり、極端に言えば、車椅子の不自由さを描くために、彼女が一部、場合によっては全部創作したものかもしれないんですよ。
なのにあんたがた、何をアツくなってるの、その時点で彼女に踊らされてるだろ、というのがまず大前提のツッコミです。
次に、書かれていることが事実だとしても、それは彼女とJR職員のやりとりの話で、第三者の一般国民は誰も何も支障がないのに、なんで彼女の人格を執拗に叩くのか。
「障碍者のくせに」という思い上がったマウンティングであり、木村花さん事件を、何も反省していないということです。
第三に、伊是名夏子さんに同情できないという意見は、障碍者の側からも出ていますが、論点ずれてるでしょう。
そもそも彼女の個人ブログの話なんですから、同情しなくてもいいし、彼女が好きでなくても良いのです。
事前に予約すべきだとかハチノアタマとか、彼女の至らなさを指摘するのも間違いではありません。
ただ、それらはいずれも、「創作かもしれない彼女とJRの個人的なやり取り」を前提としたものであり、国民的議論をするようなものではありません。
本当に公益的客観的な問題は、バリアフリー法があるのに、エレベーターのない駅があったという事実だけでしょう。
それこそが、第三者には大切でしょう。
だから、何も障碍者手帳持ちだけじゃなく、高齢者や妊婦、ベビーカーをおす人にとっても、バリアフリーが広がると良いね、という方向にまとめる話です。
それが、全国民的な利益になる結論です。
そういう問題を後景に退けて、彼女の悪口のほうを優先している連中は、たぶん問題解決能力もなく、不平不満や悪口ばかり一人前の人間だと思います。
だめな奴ほど悪口が好きなのです。
ビジネスではもちろん、プライベートでも、そんな奴は信用できないから付き合いたいとは思わないですね。
今回は、「感謝しろ」論について一言します。
「感謝」に気をつけろ
この感謝ってのが曲者です。
飯を食うときは手を合わせて感謝してから食え。
親や先祖があって自分があるから、生んでくれたことを感謝しろ。
そして、障碍者は社会に迷惑をかけているから感謝して当たり前。
どれもこれも、感謝する側・される側に上下関係を作り、人々の心や振る舞いに合理性もない圧力をかけて閉塞感をもたらします。
感謝させられちゃったら、もし、腐った食べ物だと気づいても、アレルギーを起こす食べ物だとわかっても、好きではないものでも、箸を置けないじゃないですか。
親は絶対感謝、文句を言うのは親不孝。
この韜晦趣味が、風通しの悪い親子関係を作り、毒親や、親が子に手をかける事件につながっているのです。
生んでもらったから感謝しろ?
逆でしょう。
親が、子供がほしいから作っただけでしょう。
親の裁量で子を生んだのだから、親の責任できちんと育てるのはアタリマエのことです。
それを感謝するかどうかは、子育てに対する評価の問題を含みますから、子の「内心の自由」なのです。
子が感謝できないと思ったとしても、それは「親不孝」なのではなく、親が自らの不明を恥じることではないのでしょうか。
感謝するメンタリティ自体を否定はしていません。
感謝したい人は大いにしてください。
ただし、「ねばならない」として強制できることでしょうか、という話です。
今回もそうですが、障碍者が感謝するなら「理解と支援」をしてやる、感謝しないならしてやんないという話ではないでしょう。
法律で決まったことを守らせるのに、「感謝」を条件にするというのは変です。
障害者の交通権は、「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律」で認められていることもネット民は知らないのかな?
伊是名夏子さんの人格が、気に食わないのは自由。
でも、だからエレベーターは作らなくていいのでしょうか?
そのエレベーターは、明日のあなたが利用するかもしれないんだって、わかんないのかな。
猪狩もとかという人にマジレスすれば、彼女は芸能人であり、事故のことも知っているファンもいて、暖かく迎えられているからそういう綺麗事が言えるんです。
ほとんどの車椅子の人は、感謝とは正反対の、恨みつらみを社会や周囲に抱きながら大変な思いをして暮らしているんです。
そういう人たちの身になって物を言うべき人が、たとえ善意とは言え、軽々しく自分の環境が全てのような物言いをしても、叩く連中にその部分を都合よく切り取られるだけです。
感謝は自発的な行為であって、「べき」とか「ねばならない」と求める性質のものではない、というのが私の結論です。
「親切」を受けたら「お礼」の気持ちを心がける。
なんかそれだけな気も。損得が混じり過ぎているのが
根本的な原因でもある気がしたり・・・
by tai-yama (2021-04-11 23:32)
情けは人の為ならずですね。
by おっつぁん (2021-04-12 00:12)
「感謝」に関する損得を考えてしまうのがいけないのかもしれませんね。
by ナベちはる (2021-04-12 00:20)
話それちゃいますが車椅子が乗れるエスカレーターがあった方が便利じゃないかなと、もちろんエスカレーターでは健常者は歩かないのが前提で。
エレベーターの床面製を大きくするよか効率良さそうな気がするんだけどなぁ。
by pn (2021-04-12 12:09)
全盲の弁護士、大胡田誠さんのインタビューが出ました。
全く同感です。
「『ありがとう』と言うべきだ」という意見は、そういう意見もあるだろうし、僕もそれが望ましいと思うけど、それは枝葉にすぎなくて、本来考えるべきは今この日本において、障害があると自由に好きなところに行けないんだという問題が明らかになったとことです。これをどうするかということを考える必要があると思います。
https://globe.asahi.com/article/14328837?fbclid=IwAR09LtV3y-aU6_ieajX2neon3csg8ilbEF766MFBLfs9WNnkypXp7YPwerU
by いっぷく (2021-04-12 17:55)
まだ続いていたんですね。
本人がブログにあげるのは自由だし スルーすればよいことなのに 親切心なのかも知れませんが わざわざ批判を書き込むのがよくわかりません。
by ぴーすけ君 (2021-04-12 18:14)