遷延性意識障害から高次脳機能障害に「回復」した経過をまとめた [遷延性意識障害]
植物人間が歩いた!話した!ごはんも食べた!遷延性意識障害からの生還(みおなおみ著、市井文化社)は、社会復帰リハビリの記録 https://t.co/C59GC6qyda #遷延性意識障害 #植物人間
— まめだぬき (@mame365march) January 31, 2023
遷延性意識障害から高次脳機能障害に「回復」した長男について、受傷から11年間の経過をまとめたKindleを妻が上梓しました。ひとつは、まさに障碍についてのリハビリについて、もうひとつは、「回復」後の進路選びについてです。
火災が長男を狙い撃ち、遷延性意識障害に
遷延性意識障害から、高次脳機能障害に「回復」した長男についてまとめたKindleをリリースした、ということをご報告する記事です。
『植物人間が歩いた!話した!ごはんも食べた!遷延性意識障害からの生還-リハビリと学習の記録1: ~遷延性意識障害から転学まで~』というタイトルです。
が、その前に、どういう経緯でそうなったのかをダラダラ書くことにします。
忘れもしない、2011年5月26日の夕方6時過ぎ
SSブログ(当時はSo-netブログ)をはじめて、ちょうど1年ぐらいたったときです。
我が家は、消防車10台が駆けつける火災を経験しました。
私が、実家+買い物に行っていたときで、帰ってくると家の中はは炎で真っ赤に。
救急車が到着したときは、どす黒い煙で家中真っ黒で何も見えませんでした。
妻と2人の子どもが、シートにくるまれて救急隊によって運び出され、それぞれ別々の救急車に運ばれました。
意識不明の重体、というやつです。
そのとき、救急隊の人からは、「全力は尽くしますが、むずかしいと思ってください」と、言われました。
誰のことか。
たぶん、3人全員でしょう。
この事故については、メディアの報道被害にあっていることは何度か書いているので、今回はそこは割愛。
その後、刑事に警察に連れて行かれて事情を聞かれました。
が、ネットのデマのお陰で、事情を聞かれる時間が長引いてしまい、なかなか面会に行けなかったのですが、そもそも3人の病院は、私には知らされていませんでした。
事情を聞かれている途中で、別の刑事が入ってきて、なにやらボソボソ耳打ち。
すると、私から事情を聞いていた刑事は、「下のお子さんが収容された病院から連絡が入っているので、行きましょう」と言います。
私は覚悟を決めて、「遺体の確認ですか」と聞いたところ、刑事は予想外の答えが帰ってきたような表情でいったんかたまった後、「いやいや、私たちは何も聞いていません。ただ、病院から呼び出しがあっただけです」と否定しました。
車で病院に移動中、妻の搬送先を聞きました。
その際、絶縁中である妻の身内に知らせるべきか、刑事に相談していました。
妻からはいつも、もしこういうことがあっても、知らせるな、とは言われていたんです。
ま、結局答えは出なかったんですが、妻の意向を当面尊重し、もし亡くなったら、そのときはまた人に相談して考えたらいい、というような話でした。
下の子の病院に着くと、まず担当医の部屋に通されました。
話を聞くと、一酸化炭素が早く抜けたので、命は助かったようでした。
よかった、と思いました。
どういう病室かわからなかったのですが、たぶん救急患者の部屋だと思います。
おでこに氷嚢をちょこんとのっけた次男が寝ていました。
顔には、火の粉の火傷が若干……
ああ、火災は夢ではなく現実にあったんだなあと、改めて思わされました。
刑事には、このまま妻の搬送先に行きたいと伝えたところ、「規則としてそれはできない。先ほど事情を聞いた警察に戻るまでは車でお送りします」と言われました。
その警察についたのが午前1時。
さすがに疲れたので、朝電車が動き始めたら行こうと思いました。
いやー、そういう状態ですから、自分で車を運転して、という気にはなれなかったですね。
警察の玄関に、火災のときに見かけた警察官がいたので、そこで長男の収容先も聞きました。
そして実家に帰り、明るくなるまで休んでいようかと思っていたところ、ピンポーン。
えっ、こんな夜中、誰だろうと思って戸を開けると、同じ区内に住む母の妹が泣いていました。
息子(つまり私の従弟)が、ラジオのニュースで火災を知ってかけつけたというのです。
夜中に、おばが一人でこれるはずもなく、表の道には、従弟と叔母の夫が乗っている車が止まっていました。
家には母がいて、事情を完全には把握していない、というよりあえて何も話していないので、玄関で話せないからと、車の中に入れてもらい、そこで事情を話しました。
そして、妻の収容されている、大学病院まで連れて行ってもらいました。
妻は、第三次救命救急病棟に搬送されていました。
第三次というのは、現代医学における救急医療の最後の砦ですよ。
入院中の、身元引受人になってもらった従弟とともに担当医に話を聞いたところ、妻は心肺停止で、搬送されてから息を吹き返したとか。
そりや、第三次になるわけです。
救急隊の人が、「全力は尽くしますが、むずかしいと思ってください」と言うわけですよ。
だって、心臓が止まっているんだから。
そして、明け方になってまた実家に戻り、ほとんど寝ないまま、今度は火災の現場検証です。
警官が50人ぐらいきて調べていました。
途中、何度も長男の病院から電話がかかってきまして、「連絡を密に取りたいから早くきてくれ」というんですけどね。
まるで、私が病院に行くのを嫌がっていて、それを咎めるみたいに言われました。
私だって、行きたいのはヤマヤマでしたが、現場検証には立ちあわなければならないんですよ。
長男の病院に駆けつけたのは、もう夜になっていました。
当然、ICUです。
ただ、その時点では、2~3日で目を覚ましそうな話だったんですけどね。
ところが、その後、心肺停止の妻は、息を吹き返した後はだんだん回復してきたのに、長男はいっこうに目を覚ましませんでした。
ときおり、高熱や痙攣を起こし、腕も足も硬直して曲がらなくなりました。
そして、結局、遷延性意識障害と診断されてしまいました。
諦めないこと、それに尽きる
以下の6項目が3か月以上続いた場合を「遷延性意識障害」といいます。
自立移動ができない
自立摂食ができない
し尿失禁がある
声を出しても意味のある発語ができない
簡単な命令にはかろうじて応じることはできるが、意思疎通はほとんどできない
眼球は動いていても認識することはできない
長男は、わずか7歳にして、これらを全部満たしてしまったのです。
呼吸だって、自力ではできずに酸素吸入器をつけていました。
そこから、どうやって、どんなリハビリをしたのか、ということが、本書『植物人間が歩いた!話した!ごはんも食べた!遷延性意識障害からの生還』には、まとめられています。
意思疎通もできず、昏睡、体も動かせないのですから、本来ならリハビリのしようがないですよね。
そこで、まずは覚醒をさせることです。
長男が入院していた、権威ある国立病院では、昼夜を問わず「措置」という覚醒の手立てを施したのですが、長男にはびくともしませんでした。
それが、あるブロクで紹介されていた、遷延性意識障害の父親を覚醒させたというある方法を私も試したところ、何と長男は目を覚ましました。
最初は、嫌がる素振りの反応を示したので、これはイケるかなと思い、毎日続けたところ、こちらからの呼びかけに反応するようになりました。
具体的にどんなことをしたかは、本書をご覧ください。
その間、私は、ネットで『遷延性意識障害からの回復例』というコンテンツを発見。
どこそこの病院で、どんな措置を施したら、どう回復して、患者はその後どうなったか、ということが一覧にまとめられていました。
私は、その中で、長男に措置できそうなケースをリストアップしました。
それは、後々、リハビリのメニューに役立ちました。
さらに、名前の出ていた医療従事者に、図々しくも大学病院のソーシャルワーカーの方につないでいただきました。
書籍も、「植物人間から生還した」関連を読みまくりましたが、いちばん元気づけられたのは、この書籍です。
オートバイの交通事故で頭をうち、脳がびまん性軸索損傷(DAI)という大怪我をしてしまった松本朋之さんが、遷延性意識障害となってしまったものの、家族や友人の励ましや医療スタッフの懸命な治療やリハビリによって、重い高次脳機能障害を残しながらも社会復帰したことを、当時の担当医の宮城和男さん(当時王子生協病院)がまとめたものです。
そして、覚醒後の具体的なリハビリメニューについては、やはり本書をご覧いただけると幸甚です。
遷延性意識障害のお子さんに思い悩む方々に申し上げたいのは、とにかく諦めないということです。
どんな情報でも積極的に採り入れ実践する。
どんなことがあっても、植物人間から脱却させるのだ、という強い意志を持つことです。
そうしたことも、本書には書かれています。
論より証拠で、まずは本書をご覧ください。
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