SSブログ

日本航空123便墜落事故から35年、言及する書籍や議論は現在も [社会]

202306221415.jpg

日本航空ジャンボ機123便(ボーイング747)事故が520名の犠牲者を出して35年目を迎えます。これまでにも、公式発表とは違う真相が隠されているのではないか、といわれてきましたが、今回は事故報告を肯定する書籍も含めて紹介します。



日本航空123便墜落事故について


1985年8月12日18時56分、羽田空港を飛び立った大阪行き日航123便、ボーイング747SR型JA8119号機は、飛び立った直後に事故を起こし、長い迷走の末、群馬県多野郡上野村の御巣鷹山に激突しました。

乗員乗客合わせて524名中生存者は4名。

事故原因は、圧力隔壁の破損及び垂直尾翼の脱落による操縦機能の喪失、と発表されました。

しかし、それはつじつまが合わない原因とする主張が発表直後からあり、現在もその議論や論考する書籍は出続けています。

そこで、事故報告の肯定派、否定派に関係なく、綿密な取材や体験などが際立つと私が思った書籍をご紹介します。

日航機事故について述べ話題になった書籍


日本航空123便墜落の新事実



日本航空123便墜落の新事実目撃証言から真相に迫る』(青山透子著、河出書房新社)は、当時日本航空で働いていた客室乗務員だった著者が、目撃証言と文献から、公式な事故原因と残された証言記録の矛盾点を大きく5点挙げ、事故原因について別の可能性を指摘しています。

生存者の証言にもありますが、救出の人々がいったんは近くまで来たのになぜかそのまま戻り、一晩放っておかれたために、事故直後は息がある人まで亡くなってしまったことも改めて記述。

さらに、当時の首相動静記事によると、時の中曽根康弘総理は、御巣鷹山に行かずに軽井沢でプールで泳いでいたり、ゴルフしていたり、人間ドックを優先させたりしているとも指摘しています。

墜落の夏ー日航123便事故全記録



『墜落の夏ー日航123便事故全記録』(吉岡忍著、新潮文庫)は、事故からわずか1年後にまとめています。

後に指摘されることとなった疑惑そのものは言及されていませんが、事故からあまり時間がたっていないことで、当時の現場の状況が事細かに書かれているのが特徴です。

ボーイング社が、早めの幕引きをしたがっていたことがわかります。

事故の全容を俯瞰的に知ることができますが、残念ながら絶版のようですね。

といっても、それは書店にないというだけで、アマゾンのマーケットプレイスや、図書館にはまだあるはずです。

墜落遺体ー御巣鷹山の日航機123便



『墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便』(飯塚訓著、講談社+α文庫)は、犠牲者の身元確認の責任者だった元警察官の渾身のノンフィクション。

被害者の遺体を実際に検屍しているわけですが、死亡したのは520人なのに、回収された遺体は1000以上。

つまり、身体がそのまま残っている完全遺体だけでなく、離断遺体が多かったということ。

それと、現在なお疑惑として残っている、飛行機の燃料とは違う重油をかけて焼いていると思われることから、身元の判明は困難を極めたことが書かれています。

酷暑とひどい臭気の中で、当時の医師、歯科医師、看護師らと、家族のもとに遺体を帰すための作業をやり遂げた後に著者は空虚な涙を流したそうです。

日航機123便墜落 最後の証言



『日航機123便墜落 最後の証言』(堀越豊裕著、平凡社新書)は、事故調査に携わった関係者や別の墜落事故のパイロットら多くの米国人の証言をくわえ、また撃墜説など異論を唱える人の話も盛り込みながらも、日本の航空事故調査委員会が結論づけた事故原因は、確かではないかと結論づける書籍です。

つまり、多くの書籍はいうなれば「事故原因」の否定派、懐疑派ですが、本書は肯定派ということになります。



永遠の謎となるのか


原因については、日米調査チームの見解で最終報告がなされています。

ただし、上記の否定派の書は、証言以外にそこに決定的な影響を与える絶対的なものがあるわけではありません。

また、数々の書籍が指摘している疑惑が、完全にクリアになったわけでもないので、「やっぱり最終報告は正しかった」と、誰もが確信できるまでにも至っていません。

残念ながら、当時の政治の最高責任者、中曽根康弘氏は、一切語ることなくなくなりました。

たとえば、当時の自衛隊関係者で、肯定なり否定なりにつながる新事実の証言があれば、また議論は動くのかもしれませんが、たぶんそれはむずかしいかもしれませんね。

みなさんは、いかが思われますか。




日航123便 墜落の新事実: 目撃証言から真相に迫る (河出文庫) - 透子, 青山
日航123便 墜落の新事実: 目撃証言から真相に迫る (河出文庫) - 透子, 青山
新書885日航機123便墜落 最後の証言 (平凡社新書) - 豊裕, 堀越
新書885日航機123便墜落 最後の証言 (平凡社新書) - 豊裕, 堀越

日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす

日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす

  • 作者: 青山透子
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2020/07/21
  • メディア: 単行本



nice!(229)  コメント(16) 
共通テーマ:学問

nice! 229

コメント 16

ナベちはる

35年も前となると、それを知っている人が徐々に少なくなるでしょうし中には「思い出したくない」という人もいるでしょうし…新証言が出ない限りは最悪風化なんてことになりそうな気がします。
by ナベちはる (2020-08-12 00:43) 

ヤマカゼ

壊れかたが、撃墜されたような感じで色々な物議がでていますね。いつの日か真相がはっきりする日くろのでは?
by ヤマカゼ (2020-08-12 05:16) 

KINYAN

35年前山中湖近くの民宿に家族旅行中の出来事で良く覚えています。
この年の10月に長女が誕生していることもあり、考え深いです。
by KINYAN (2020-08-12 06:11) 

我流麺童

尾翼が破壊されダッチロールした日航機が御巣鷹山に墜落した航空事故は今でも覚えています。人気者であった坂本九さんも亡くなりましたね。
by 我流麺童 (2020-08-12 06:21) 

pn

重油かけて焼かれた人に答えがあるのでしょうか?
ちょうど社会人1年目の事でした、九ちゃん乗ってたから衝撃度半端無かった。
by pn (2020-08-12 08:22) 

Rinko

大阪に住む知り合いと同姓同名の乗客名を発見し、とても心配した覚えがあります。結局別人でしたが、、、。
遺族の方々はいまだに無念でしょうね。
by Rinko (2020-08-12 09:51) 

Take-Zee

こんにちは!
早いものです、もう35年も前なんですね・・
キャンプから帰ってみんなでお疲れ会を
始めたら飛び込んできたニュースでした!

by Take-Zee (2020-08-12 13:21) 

ハマコウ

青山さんの本を読むと、報告の内容が大変疑わしくなってしまいました。

by ハマコウ (2020-08-12 15:34) 

扶侶夢

内容はまったく違いますが、戦後の下山事件を思い出させる様な、政治の絡んだ謀略の匂いのする事故(事件)になってしまいました。
本来は悲劇的な航空機事故として人々の涙を誘うものだった筈なんですが、その裏に日米の政治家たちの暗躍が見え隠れするのを知ってしまうと「人の命を越えた問題」になってしまいました。
by 扶侶夢 (2020-08-12 16:02) 

ヨッシーパパ

その翌日は、TVで墜落現場の悲惨な状況をワイドショーで中継していたのを覚えています。
by ヨッシーパパ (2020-08-12 17:43) 

kou

アメリカ軍の誤爆説などいろいろな推測がありますが、どれも真実に思えてきます。やはり政治決着したんでしょうかね・・・。
by kou (2020-08-12 18:38) 

gardenwalker

こんばんは
もう35年ですか、あの事故が起こった日も暑かったですね
その5年くらい前に羽田沖で機長が逆噴射で不時着事故もありました。
当時、飛行機に乗ったことのない私は飛行機は怖い乗り物だと思ってました。
by gardenwalker (2020-08-12 19:03) 

ようこくん

20歳の誕生日にカナダでテレビを見て驚きと恐怖に陥りました。「上を向いて歩こう」がスキヤキソングという名前で流れていたので坂本九さんが搭乗されていたことがわかりました。アメリカがからんでいるので真相がわからない(隠されている?)のでしょうね。当時のことを知る人たちも高齢化が進み、これから新しい真実が公表されるとも考えにくいですね。あれから35年とニュースで見ると、若い人たちは事故のことすら知らないのだろうと思いながら時の流れを感じてしまいます。
by ようこくん (2020-08-12 19:58) 

そらへい

この事故と同じ日の一年前に
父を亡くしたのでよく覚えています。
毎年このニュースが流れるので
父の命日を忘れることもありません。
35年経ったのですね。
どちらも強烈な夏の記憶です。
by そらへい (2020-08-12 20:15) 

Azumino_Kaku

こんばんは、「墜落の夏」は私も読みました。

御巣鷹の尾根に通じる登山道の近くはドライブやらサイクリングで通ることがありますが、まあ、垂直尾翼が吹っ飛んで、油圧系統が壊れた状態(でしたよね?)で、操縦士は本当によくもこんな山奥深くまで導いてきたと思います。

事故のあった日は、ほんとに暑い日でしたね。

by Azumino_Kaku (2020-08-12 22:28) 

Facebook コメント

Copyright © 戦後史の激動 All Rights Reserved.
当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます