轟二郎さん、25歳で高校生役を演じた“チャレンジボーイ” [懐かし映画・ドラマ]
轟二郎さん(1954年8月19日~2020年8月2日)の訃報で持ちきりです。『金曜10時!うわさのチャンネル!!』のイジられ役、「僕」を「ボキ」と自称した『翔んだカップル』の先輩役、『びっくり日本新記録』の本名によるエントリーなど1980~90年代にかけて活躍しました。(上の画像は下のOGPより)
轟二郎とは誰だ
轟二郎さん 大腸がんで死去 65歳 https://t.co/wELIQZtQRv #日テレNEWS24 #ntv #日テレ
— 日テレNEWS / 日本テレビのニュース・速報 (@news24ntv) August 6, 2020
轟二郎は、静岡県出身。
スタントマンからタレントとしてテレビに登場します。
最初にレギュラー出演した『金曜10時!うわさのチャンネル!!』は、和田アキ子や湯原昌幸、ザ・デストロイヤーらが抜けた後、タモリや山城新伍とともにレギュラー入りしますが、もっぱら寸劇で、やはりレギュラー出演していた魁三太郎にいじめられる役でした。
その意味では、轟二郎も今風に言うと「リアクションタレント」といっていいかもしれません。
スタントマン出身らしい、チャレンジ精神の持ち主として、イジラレ役を頑張っていました。
その後、『たのきん全力投球』『モーニングEYE』のリポーターに出演。
そして、下記の『翔んだカップル』に出演しました。
翔んだカップル
轟二郎といえば『翔んだカップル』
— オリオン太郎 (@orion_taro) August 6, 2020
石原軍団に入る前の秋山武史、売れる前の柳沢慎吾や佐藤B作やベンガルも出てた。NG集て、あのドラマが元祖なんだよね。
轟二郎さん死去 65歳 pic.twitter.com/26jyPG0qhQ
『翔んだカップル』(1978年3月19日号~1981年3月11日号、週刊少年マガジン)は、昭和50年代の少年マンガ誌に連載された柳沢きみおの学園ラブコメです。
内容は、全編コメディーで、しかも回を追うごとにドタバタぶりが独り歩きして、原作からかけ離れていきました。
まあ要するに、“しょーもない”ドラマでしたが、エンディングでは毎回メイキングを流した(善し悪しは別としておそらく テレビ初の試み?)り、モノマネと下世話な話好きな柳沢慎吾を同級生役で抜擢したりと、ドラマの新しいスタイルを作ろうというチャレンジ精神を感じました。
轟二郎は、原作にない、ボクシング部の田代勇介(芦川誠)の先輩役としてレギュラー出演。
山葉圭(桂木文)に一目惚れしたため、3人が一つ屋根の下に住む展開に。
原作のキモは、圭と勇介が一緒に暮らすところにあるわけですが、この時点で原作の趣旨を決定的に逸脱していますが、轟二郎は持ち前の「チャレンジ精神」で好演。
それだけでなく、圭役の桂木文とは熱愛報道で週刊誌を賑わせ、ドラマでの片思いを実生活で成就させてチャレンジ精神を結実させてしまいました。
さらに、やはりレギュラー出演していた水島びんとコント百連発というコンビを組んだこともあります。
びっくり日本新記録
轟二郎さんの訃報にがっかりしている。
— Saitoh Masaya (@MS3110) August 6, 2020
ドラマよりも何よりも私のイメージは『びっくり日本新記録』のチャレンジボーイ・三浦康一。毎回本名で出場。厳しい結果に終わることも多いんだけど、たまに健闘されて、稀に優勝(つまり日本記録を樹立)しちゃう。飾らない、優しいお兄さん、という印象だった。 pic.twitter.com/tfobtRqS2d
『びっくり日本新記録』(1975年10月5日~1985年10月6日、よみうりテレビ)とは、毎回風変わりな競技に一般人をエントリーさせ、優勝者を進行役が「おめでとーっ、日本一ー」と感動的に称えるエンディングで締める感動スポーツバラエティです。
そこで毎回、参加していたのが轟二郎です。
一般人エントリーの建前だからか、「三浦康一」という本名で登場していました。
この番組の出演こそ、チャレンジ精神を標榜するタレントとしてのハイライトかもしれません。
こういう場合、大会を賑わすサクラ的存在なので、まさか優勝はしないだろうと思っていたら、Wikiによると「逆立ち相撲」で日本一に輝いたこともあるそうです。
リアクションタレントとして、わざとらしいもなく、笑われてなんぼと思っていたのか、決して驕ったり居丈高な態度をとったりもしなかったので、視聴者の評価も決して悪くなかったと思います。
最近は故郷の静岡で活動
【追悼・ #轟二郎 (タレント/享年65)】
— しがない三四郎 (@shinya_bokudake) August 6, 2020
謹んでお悔やみ申し上げます、合掌??
?『びっくり日本新記録』〔YTV読売テレビ〕
??『翔んだカップル』〔フジテレビ〕@retoro_mode pic.twitter.com/BI4TN15ABp
21世紀になってからはあまり見かけなくなりましたが、「結婚式の司会から地方の番組のMCまで幅広く活躍していたが、脳梗塞を患い、静岡県に帰郷。治療と療養に専念した時期もある」とWikiには書かれています。
そして、静岡のローカルラジオ局でパーソナリティをつとめていたとか。
さらに、2016年には静岡新聞でコラムを執筆し、ポータルサイトNiiicheでも週1で連載コラム執筆を担当するなど、文筆家としても活動していました。
寄稿の依頼があるということは、そのチャレンジ精神に貫かれたタレント活動について書いてほしいということだったんでしょうね。
静岡新聞なので拝読する機会はありませんでしたが、地元で活躍されていたのなら何よりでした。
それにしても、65歳はちょっと若かったですね。
轟二郎さんの生前のご遺徳、お偲び申し上げます。
金曜日のプリンセス - 長瀬康男, 久保田真悟, 轟二郎, カレンダーず
アカレンジャーの最初の中の人って都市伝説なんだろうか?
それはさておきボキですよボキ、まねしたっけなぁ(^_^)
by pn (2020-08-06 22:30)
懐かしい轟さん
ご冥福をお祈り致します。
by みうさぎ (2020-08-06 23:09)
まだまだ若い65歳で逝去された轟二郎さん。
ご冥福をお祈りします。
by 我流麺童 (2020-08-07 06:20)
轟二郎さん、まだ65歳でしたか・・・。
名前とお顔はしっかり記憶にあります。
ご冥福をお祈り致します。
by kou (2020-08-07 07:57)