自分の血縁探しは自分の内面と向き合うこと、遺伝子検査血縁判明 [社会]
今日は久しぶりに、NHKヒューマンの動画(2019年7月初掲載)が、Facebookのタイムラインに流れてきたのでシェアします。自分の血縁探しは、自分の内面と向き合うことでもあるとして、遺伝子検査で幼い頃別れた父を探した女性の話です。
新たに叔父との繋がりができた
タイトルは、「もう一人じゃない。暗闇に光が差した」。
“家族のつながりを探して”知らないワタシと出会う旅、というリードが入っています。
都内の会社に勤める西本亜紗さん(25)は、アメリカ人の父と日本人の母に生まれましたが、生後まもなく両親が離婚。
「お母さんを嫌な気持ちにさせたら嫌だなと思って」子供の頃は父親のことは触れずに来ましたが、どうしても知りたかった。
そこで、日本を出た父を探すため、アメリカの遺伝子検査サービスを利用。
唾液を送ると、世界中の利用者から血縁関係のある人がわかるそうです。
その結果、父親の弟が判明。
父親はすでに病死していたこともわかりました。
「亡くなってたって聞いて、少し泣いたのは覚えています。会ったことない人に泣くんだと思って……。それだけ、心のなかで会いたかったのかなって」
しかし、新たに叔父との交流ができました。
父親が叔父にあてた当時の手紙には、生まれた娘を誇りに思う、と書かれていました。
たぶん、それがわかっただけでも、西本亜紗さんの心は多少なりとも救われたでしょう。
「どうしてそんなに私によくしてくれるの」と問う西本亜紗さんに、叔父は、
「君を見つけた時、突然素敵な贈り物をもらったような気持ちになったんだ。君のお父さんはもう……(亡くなったから、自分が)守りたいと思ったんだ」
動画は、世界に私のことを気にかけ、自分も気にかける相手が増えたことで、西本亜紗さんの世界を広げてくれた、とむすんでいます。
行方のわからない父親がいても、そのままでいいじゃないか、相手の都合もあるかもしれないし謎は謎として残しておけ、誰が親だろうが関係ないよ、そんな過去のことより今の自分がどう生きるかを考えたほうがいい、という意見もあるでしょう。
でも、西本亜紗さんは自分の意志を貫いて、父親との関係をはっきりさせたいという自分の心と向き合いました。
その結果、自分の人生も豊かになったということです。
人生観が大きく開けていくこともある
先日、私は自分の先祖をたどったら、曾祖叔父が高橋是清の留学にあたって世話役をつとめていたことがわかったと書きました。
⇒高橋是清、「日本のケインズ」と我が曾祖叔父の“結び切り”
私に限らず、昨今、自分の先祖探しが流行しているのも、今回の西本亜紗さんの思いに重なる部分があるんじゃないかと思います。
その記事に対して、こんなコメントが有りました。
>家系図が示しているのは、血の繋がりではなく、
>家産共同体としての「家」の継承記録だからね。
>ルーツを辿るのは家に縛られてる証拠
これは違いますよ。
まあ、控えめに「一概には言えない」としておきましょうか。
「家」は、江戸時代に武士階級の家父長制的な家族制度が確立し、それをもとに明治時代の旧民法で全国民的な家制度として定めたものですから、江戸末期~昭和までの日本人の先祖図が、「家」系図になるのはアタリマエのことであり、自分の先祖を調べることが、別に家に縛られている、もしくは家制度を未だに支持している人とは限りません。
そもそも「家」の継承の基本はれっきとした「血の繋がり」です。
考えても見てください。
自分に親戚はどのくらいいるんだろうか、と素朴に思っただけで、その人は即「家」に縛られている人になってしまうんでしょうか。
そんなことないでしょう。
昨今の家系図ブームは、「かつての『家柄』や家意識のための先祖調査ではなく、近親者を中心とした個人的な家族史への志向や、先祖の故郷を巡る先祖ツーリズム」(https://mainichi.jp/articles/20180921/k00/00e/040/297000c?inb=ra で関西学院大学文学部の山口覚教授)といわれています。
さまざまな「ほしのもと」の中で、自分が誰とつながっているのか、なぜ現在の親族関係となっているのかを知りたくなる事情というのがあるのです。
別に、何々家とか、家柄がどうだ、などということはどうでもいいのです。
自分の親以前やや祖父母や従姉妹はとこを知りたいだけなのです。
ひとつの例ですが、毒親にとことん悩まされる人は、ふとこんなことに気づきます。
自分をこれだけ苦しめる親だが、これは、親も祖父母から同じようにされたからではないか。
とすれば、曽祖父母も毒ではないのか。さらに高祖父母も……
そうやって遡ると、一族がみな「毒」である可能性も出てきます。
自分はそんな一族、宿命に生まれたのか。
だったら、自分の中にも「毒」が受け継がれているのではないのか。
ふと絶望しそうになる自分を留保して、先祖の血縁を確認することで、「毒」が「遺伝」ではなく別にあることがわかる場合があります。
昔の戸籍には、〇〇会社で働いていたとか、変死した(自殺)とか、その人の生き様を想像できるストーリーが書かれていることがあるからです。
先祖代々を恨んでいたけど、真相は別のことだった、という真実を知ることで、自分の心が救われることがあります。
西本亜紗さんのように、実は海の向こうで血縁があったことで、自分は一人ぼっちではないことを知り、人生観が大きく開けていくこともあります。
養子縁組のところでも書きましたが、血縁というのは良くも悪くも生涯変えることが出来ませんから、揺るぎない価値があるんでしょうね。
「会ったことない人に泣くんだと思って……。それだけ、心のなかで会いたかったのかなって」という西本亜紗さんの言葉が印象に残ります。
人生に何らかの悩みを抱えている人は、謎が残る身内探し、先祖の真相探しをすることで、自分というものを見直せ、それによってモヤモヤしていたものが吹っ切れることがあるかもしれません。
他人のプライバシーを覗いてはいけませんが、自分のプライバシーは、その方が良いと思うなら覗いてみるのも人生に対するひとつの突破口になるかもしれません。
めんどうな遺伝子検査をしなくても自分の遺伝子がわかる本 - 植前和之
遺伝子の謎 今一番知りたい100の真実 (ナショナル ジオグラフィック別冊)
- 出版社/メーカー: 日経ナショナルジオグラフィック社
- 発売日: 2020/07/16
- メディア: ムック
自分の知らなかった血縁関係を知ること、不安ですが自分自身の持つ悩みを解決する一番の手法かもしれませんね。
by ナベちはる (2020-08-02 00:36)
必然か偶然か、父母両方の家系図を知る機会を得ました。
父は4年半前に亡くなった際、遺産分割協議書が必要な為、専門家による相続税申告書作成により父方の戸籍を入手しました。母方は奇遇ですが、昨年土地区画整理準備会から手紙が届き、土地区画整理事業を進めるに当たり土地所有者の調査結果、私が法定相続人の一人であるとの通知がありました。所有者は江戸時代の方なのですが母の高祖父に当たり、詳細な相関関係を知ることとなりました。資料を見返すことで、ご先祖様の在りし日の姿を思い巡らせています。
by 十円木馬 (2020-08-02 08:00)
じーちゃんは九州から伊豆大島に婿に来たって話を聞いて九州に見た事も無い親戚居るんだなと。兄弟沢山いたらしいからそこらへん歩いてる人も誰かしら親戚なんじゃね?と思った。人類皆兄弟って大げさではない気が(笑)
by pn (2020-08-02 09:13)
>そもそも「家」の継承の基本はれっきとした「血の繋がり」です。
家系を辿る事は「自分探し」の基本ですね。時として見たくもない自分を発見することもあるから避けようとする人が多いけれど、事実を知り葛藤することで新しい成長が始まります。
私なんか祖父が家庭を捨てて大陸に渡って消息不明になっていた事を知ったときには絶望的な気持ちになりましたね(苦笑)
by 扶侶夢 (2020-08-02 11:20)
遺伝子は生物のタンパク質の設計図ですが、まだまだわからないことがありますね。父親に会いたいと思う感情もそうですし、同胞に対して愛情はわくけど性欲はわかないなんていう気持ちも遺伝子に組み込まれているのだと思います。ざっくりいうと種の保存(子孫繁栄)のためなんだと思います。
by SGW (2020-08-02 11:22)
血縁関係がはっきりすることは画期的なことですが、不安も伴うでしょうね。
by やおかずみ (2020-08-02 16:23)
濃密な血縁関係で縛られている田舎でも
最近は繋がりがかなり希薄になってきている気がします。
我が家は祖父が起こした家なので三代前までははっきりしていますがその前となるとかなり曖昧ですね。
by そらへい (2020-08-03 20:47)