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岡八朗、昭和40年代の吉本新喜劇の座長、晩年は闘病生活 [懐かし映画・ドラマ]

岡八郎、昭和40年代の吉本新喜劇の座長、晩年は闘病生活

今日は岡八朗さん(岡八郎、1938年4月16日~2005年7月26日)の命日です。花紀京と共に“オクメの八ちゃん”として吉本新喜劇の二大巨星と呼ばれ、新喜劇の黄金時代を築いて長きに渡って君臨。晩年はアルコール依存症や脳挫傷の後遺症で苦しんだことを、弟子のオール巨人が書籍で振り返っています。



岡八朗とは誰だ


岡八朗(2003年まで岡八郎)は、高校卒業後、2年間のサラリーマン生活を経て、宝塚映画⇒花菱アチャコに師事⇒吉本新喜劇へ第1期生として入団しました。


いったんは漫才に転向したこともあるそうですが、すぐに戻っています。

岡八朗の吉本新喜劇での役柄は、大衆食堂の店主、工事現場の労働者が多かったと思いますが、「くっさー」「えげつなー」「隙があったらかかってこんかい!」「ガオーっ」といった定番ギャグも馴染みがあります。


最初は、垢抜けないギャグでバカバカしいなと思いましたが、今見ると、なんか笑ってしまいますね。

明石家さんまや、間寛平が、これらのギャグを使っていました。

ところが、1988年、木村政雄本社制作部次長(当時)によって、ベテラン座員が大量に去ることになり、花紀京、岡八郎といった大御所すらも「勇退」という形で退団を強いられました。

以来、その活躍する姿を見る機会はなかったのですが、岡八郎の弟子であるオール阪神・巨人の巨人が、2014年に『師弟~吉本新喜劇・岡八朗師匠と歩んだ31年~』(オール巨人著、ヨシモトブックス、ワニブックス)という岡八郎についての本を上梓したことで、改めて注目されました。

本書には、弟子として9ヶ月ついていた師匠・岡八朗への溢れ出る思いとともに、その後の自分の31年の芸能人生を振り返っています。

話題になったのは、往年の新喜劇スター岡八郎が、晩年のアルコール依存症や脳挫傷で、復帰がままならないまま老いていく苦悩も率直に振り返られていたことです。

岡八朗師匠と歩んだ31年



『師弟~吉本新喜劇・岡八朗師匠と歩んだ31年~』によると、鶏卵卸業を経営していたオール巨人の父親は、ある人に左目をつぶされましたが、損害賠償もとらず、後ろ足で砂をかけていった元従業員の復帰も許す人間だったそうです。

「人間としてちょっと甘かったのかもしれないけれど、とても優しい大きな人間」と、オール巨人は自分の父親を尊敬しています。

その巨人が、師匠として岡八朗を選んだのは、愚直であり、人を許す広く大きな心をもつ人柄が、自分の父親に似ていたからだったそうです。

オール巨人が、今ならスキャンダルになるようなしくじりをしても許しています。

といっても、別に岡八郎がけじめのない無原則な人というわけではありません。信頼関係を大切にしてくれたからだといいます。

そして、オール巨人も、愚直で広く大きな心をもっているようです。

たった9ヶ月間の弟子だったにもかかわらず、オール巨人は、妻と息子を亡くして、娘が海外で生活している岡八郎の晩年のお世話もしています。

ちょうど本書が出た頃、NHKが岡八朗を特集する番組を放送したので、私も見ました。

同書には、台詞覚えが早かったのに、すでにその頃は1~2行の台詞が入らなかったと書かれています。

たしか、興行する建物の立派さを見て、岡八朗がオクメをパチクリとびっくりするような仕草をしていたのを見て、さすが喜劇役者のサービス精神だなあと私は当時思っていましたが、あれはギャグではなくてリアルの戸惑いだったのかと思ったら、なんとも切なくなりました。

何より、この頃のオール巨人は、テレビや舞台の仕事をたくさん抱えていたときで、岡八郎のお世話との両立はさぞ大変だったろうと思います。



懐かしい昭和の吉本新喜劇


今は、NSCの卒業生が、どこの局でも掛け持ち出演していますが、彼らはあくまでもテレビタレントであり、芸人と呼ぶのは正直なところしっくりきません。

芸や風格などは、師弟関係の中で育った漫才師にこそあるのかもしれません。

私は東京の人間なので、吉本新喜劇に詳しいはずがないのですが、朝日放送や毎日放送経由で見られるテレビ放送によって、1970~1980年代ぐらいまでの吉本新喜劇に出ていた人たちはわかります。

花紀京、岡八郎、船場太郎、山田スミ子、原哲男、木村進、間寛平、桑原和男、井上竜夫、池乃めだか、島田一の介、帯谷孝史、中山美保、内場勝則、未知やすえ、島木譲二ぐらいまでは名前が出てきます。

でも、情報が当時よりも多い、今の新喜劇は、メンバーの顔と名前が一致しません。

たぶん世代によっても異なると思いますが、吉本新喜劇、ご覧になったことありますか。




師弟 ~吉本新喜劇・岡八朗師匠と歩んだ31年~ (ヨシモトブックス) - オール巨人
師弟 ~吉本新喜劇・岡八朗師匠と歩んだ31年~ (ヨシモトブックス) - オール巨人

泣いた分だけ笑わしたる - 岡 八朗, 市岡 裕子
泣いた分だけ笑わしたる - 岡 八朗, 市岡 裕子

吉本新喜劇名場面集 1959‐1989

吉本新喜劇名場面集 1959‐1989

  • 出版社/メーカー: データハウス
  • 発売日: 2020/07/26
  • メディア: 単行本



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コメント 10

犬眉母

腰を引いて、ガタガタ足踏みしながら、
肘から先だけを相手に向けて「隙があったら
かかってこんかい!」と叫ぶギャグは、
小市民の粋がりをこっけいに描いていて、
今見ても笑ってしまいます。
当時の吉本新喜劇は、ドリフの笑いとも違う
独特の笑いの空間だと思いました。

by 犬眉母 (2020-07-26 20:58) 

ナベちはる

吉本新喜劇がテレビ放送されている地域に住んでいますが、放送がある毎週土曜日の正午には自然と吉本新喜劇が放送されるチャンネルに合わせています。

どの週の放送を見ても面白いので、「吉本新喜劇はお笑いに関しては間違いない」という印象があります。
by ナベちはる (2020-07-27 01:10) 

ヤマカゼ

お名前とオダブツのジョーさんの右上の写真は記憶にあります。
by ヤマカゼ (2020-07-27 06:29) 

pn

芸風も私生活も間寛平と被ってます(^_^;)
新喜劇の人達はお人好し集団だね(笑)
by pn (2020-07-27 07:36) 

念仏親父

懐かしいですね。

土曜日だったか日曜日の午後は、吉本でしたね。
新喜劇だったか、「あっちこっち丁稚」だったかな。
木村進、コメディNo.1、山田スミ子、観てました。
岡八朗さんも時々出ていたかと。

88年にベテラン達の勇退があったとは、
知りませんでした。(この時も今も関東ですので。)
by 念仏親父 (2020-07-27 12:21) 

十円木馬

岡さんに限らず、横山やすしさんや、松竹新喜劇の藤山寛美さん等、アルコールが起因して早世される役者さんは少なくないですね。単に酒が好きというわけでなく、芸を極める上での緊張やプレッシャーから逃れたいという思いもあったのではないかと思います。
by 十円木馬 (2020-07-27 14:40) 

みうさぎ

懐かしいですっ岡さん
オール巨人さんの良いお話ですねっ
人間性が出てます。
漫才も大好きでしたが
素敵なお話ためになりました。

by みうさぎ (2020-07-27 14:48) 

beny

 懐かしいオクメ。芸風は間寛平が引き継いでいる??
by beny (2020-07-27 18:34) 

ヨッシーパパ

名前はよく覚えていますが、どんな方だったか、さっぱり忘れています。
by ヨッシーパパ (2020-07-27 19:06) 

そらへい

奥目のハッちゃん、好きでしたね。
子供の頃、吉本新喜劇でよく笑わせてもらいました。
1988年でしたか、これも好きだった花紀京とともに
急に姿を見られなくなったのは残念でした。
この頃以前の吉本の芸人さんは
ひどい晩年を送られた方が多かった気がします。

by そらへい (2020-07-28 20:47) 

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