青木さやか毒親カミングアウトに批判、親で苦労しないとわからないのか [トレンド]
青木さやかが『徹子の部屋』に出演。母親に翻弄された告白が話題になっています。要するに「毒親だった」という話ですが、共鳴する意見がある一方で、ネットでは青木さやか叩きも。「親を大事に思わない子はおかしい」「親の悪口を言うな」といった声もあります。
「毒親」問題に賛否両論
徹子の部屋
— けいちゃん (@Kaysou07) June 29, 2020
〈青木さやか〉涙…亡き母との「深い確執」を#TVer #徹子の部屋https://t.co/oH4L8inabp
これは涙無くして見れなかった。青木さやかのカウンセリングだったと思う。
お母さんとの関係は良かったと話す黒柳徹子が、彼女の話を否定せず寄り添って聞いていたのが印象的。
両親とも教師の青木さやか。
2014年に父親を、2019年に母親を亡くしたが、母親からは愛情を得られなかったという話です。
番組では、子の自己肯定感を潰してしまうエピソードを話しています。
80点とっても、どうして100点じゃないんだ、と叱られるとか。
100点目指して激励することと、80点とった努力を評価することを両立させればいいのですが、毒親は勝手に理想を作って押し付け、ネガティブに不平不満と否定的な話だけをするのです。
それをやられてしまうと、子は成人してからも自分に自信がもてなくなり、たとえば私のように「決められない、断れない」ダメな人間になってしまうのです。
いずれにしても、「自分は母親に愛されませんでした」と、公共の電波で公言することは、大変に勇気がいることです。
昨今、毒親が話題になっていることもあり、共鳴するツイートはたくさんあります。
昼にたまたま徹子の部屋を見ていたんだけど
— 元太ユキ 7月6日19:00~配信ありライブ真昼の月夜の太陽 (@matsuri_yuki) June 29, 2020
青木さやかが親との確執について話していて泣けてきた
自分の家のサバイバルも大概だったけど自分というか母の親たちが毒親だったからそっちに重ねて感情移入した
そういう体験をアウトプットするってしんどいし嫌だけど誰かの心を楽にするよね
ところが、毒親告白を非難する意見も続々ありました。
青木さやか、母との確執「ご批判も」 https://t.co/AtpwezfaQ9 たぶん批判してる人は親がまともだった人なんだろうけど、実際に経験してないからわからない事柄なんだから、人のことにクチだすなって感じ。自分はラッキーだったって思っておけばいいじゃん。人に尊敬を強いてくんなよ。
— 仁科友里 (@_nishinayuri) June 29, 2020
まあ、一般論として、意見というのはいろいろあった方が健全だとは思います。
みなさんは、どちらですか。
ただ、私から見ると、青木さやかを叩いている人は、「親は子に対して絶対」という旧弊な価値観を克服できない憾みを指摘せざるを得ません。
子が、自分の親を「毒親」呼ばわりすることは悪いことである、とする意見の中で、上のOGPにあった批判から、私が見て気になる点をいくつかピックアップします。
子供を産めば親のありがたみが分かる
これは、逆もまた真なりではないでしょうか。
つまり、自分が子どもを授かったからこそ、改めて毒親の愚かさがわかるのです。
そして、子にとって自分は毒親であってはならない、ということにも気づくのです。
精神的に未成熟、アダルトチルドレンだ
思春期に、子が親に対して反抗する時期があります(反抗期)。
それが、今頃来たのだろうという人もいますが、反抗期と毒親であることを告白することは別の話です。
もちろん、反抗期という成長の道順を許さなかった威圧的な親なら、それ自体立派な毒親ですが。
わたしはむしろ、いつまでも親を怖がり声を上げられず、親を超えられない子の方が未成熟だと思います。
親を嫌いな親不孝は日本から出ていけ
毒親問題というのは、少なくとも親の好き嫌いの話とイコールではありません。
そもそも、子による毒親の告白というのは、「親を嫌い」だからではなく、むしろ逆ではないかと私は思っています。
どんな悪い親でも、自分にとってはたった一人の親だから、子は親を選べないから、など、親を見限れないからこその批判や不満なのです。
たとえば、青木さやかさんは、悪性リンパ腫で倒れた母親が入院する地元名古屋の病院へ、車で片道5時間かけ通い、最初は嫌々行っていたものの、最後は母の手を握れるまでになったといいます。
親をあきらめたくないんです。
だからこそ、正常で健全な親子関係を持ちたかった、という心の叫びなのです。
親に期待せず、ダメな親だと失望した結論が出ている人は、毒親という総括自体しません。
むしろ親のことなど思い出したくない、考えたくない、関わりたくない、という態度であるはずです。
命がけで生んで健康に育てくれた人間を憎んではならない
毒親という指摘自体は、べつに憎んでいるわけではないんですよ。
たとえば、毒親はどうして毒親なのか。
それは、おそらくは祖父母も毒親だったからであり、自分にとっては毒親でも、一方では犠牲者でもあるのかもしれません。
そう考えると、少なくとも毒親に対する憎しみは減り、「毒」の真の原因にもアプローチできます。
出産が命がけなのはそのとおり。
ただし、子は生んでくれと頼んで生んでもらったのではなく、あくまで子を生んだのは親の判断です。
つまり、親が責任もって子育てするのは、別に奇特なことではなく当たり前の話なのです。
親に感謝し、親を大切にする心は美しいと思いますが、自分の価値観の絶対的上位に置き、自分の人生を犠牲にするまでは必要ないと思います。
だったら、「命がけで生んでくれた親」が「死ね」と言ったら、子は死ななきゃならないのでしょうか。
どうしてもそうしたい人はそうすればいいですが、一般にそれは通らない話です
成人しているのにいつまで自分の不幸を親のせいにするのか
この言い分にこそ、私は根本的な認識違いというか違和感があります。
「ほしのもと」を軽視しすぎです。
子の人生は、たしかに子自身の判断で進んでいるのでしょう。
しかし、その判断のもととなる価値観を刷り込んだのは誰でしょうか。
子が、親のしつけや環境を100%払拭して、同一人生の中で全く新しい自分の価値観を確立するのは、残念ですがほぼ不可能であると私は思います。
人生とは、ひっきょう、親が刷り込んだ価値観や「ほしのもと」と自分が自覚した価値観や努力とのせめぎあいと言っていいかもしれません。
ですから、自分の親が毒親なのか、なぜそういえるのか、を考えることは、自分の生き方や考え方と向き合うことにもつながると思うのです。
毒親って何の事かわからない?
徹子の部屋の青木さやかの気持ちめちゃくちゃわかる。彼女を批判する人は多分一生わからない。毒親って何の事かわからないくらいに親と仲良くて愛されて育ったんだろう。それは素晴らしい事。
— ぷりん (@HhDZRRbg0fjTaGw) June 29, 2020
感謝とか頭ではわかってるけど無理なんだよね。距離おいても苦しいし。簡単に他人になりたい。
一般に、毒親というのは、ネグレクト、過干渉、暴力・威圧等によって、親の価値観で子のそれを支配してしまうことを言います。
ネグレクトや虐待は、比較的わかりやすいのですが、わかりにくいのは過干渉や威圧です。
しかし、親の意図が入り込んだ関与はすべて、過干渉や威圧といえます。
「良かれと思って」大学に進むことを勧めた。
でも、その子にとっていいかどうかは、その子自身が自覚的に答えを出すことです。
「子供のほうが」自分で(家業の)あとを継ぐと「言ってくれた」
親孝行という価値観で威圧され、両親に忖度して不本意ながらそう決めたのかもしれません。
結婚に反対したのは、威圧ではなく「アドバイス」で軽く言っただけだ。
親子は、互角の友人関係とは違います。親から子への「アドバイス」は、親の意図や自覚に関わらず、子にとっては「聞かなければ親不孝になるのではないか」というプレッシャーを生じるものです。
あなたの不用意な一言で、子の人生がひっくり返ることもあるのです。
親御さんは、こうした経験がなかったか胸に手を当てて考えてほしいです。
子は親を乗り越えるもの
これ、毒親の典型なので、青木さんの態度で正解。
— かぴゅーん☆ (@capyunpyun) June 29, 2020
親を大事にしない子供は親不孝
って言っちゃう人はわかってない人。
無理矢理仲良くしたところで、自分の子供にそれを強要するようになるだけ
。
どこかで止めないと。
(*‘ω‘ *)☆
青木さやか 実母との確執語るhttps://t.co/xeoJEL5o2o
青木さんの話は大変興味深いんですが、分かる人はわかるという感じで、一方で、親で苦労したことのないお幸せな人々に、ともすれば燃料を投下する行為になってしまったのは残念です。
上のツイートにもあるように、決定的に親で苦労した経験がないと、そりゃ、長く暮らしていればいい思い出だってあるだろうし、情もあるでしょうから、毒親議論にはナイーブに抵抗を感じる人もいるかも知れません。
もとより、視聴者なんて、無責任にタレントをいじっているだけですから、そこに、ガチな話を向けても、きちんと向き合う人のほうが少ないんじゃないかと思います。
でも、自分の人生を改めて見つめ直す上で、毒親を毒親と見定めることは必要な道順であり、少なくとも他者に非難されるようなことではないと思います。
結論を述べれば、私は、子は親を乗り越えるものであり、その一環としての冷徹な親批判として毒親の指摘があるのだと思います。
好き嫌いとか複雑な情は措いて、事実と道理に基づいて自分の親が毒親かどうかを見定めることが出来ますか。
冒頭のイメージ画像
Photo by Jonathan Borba on Unsplash
従妹がまさにこういうことでずっと悩んでいて
うまくいっていた時もあったのですが ちょっと前にとうとう実家を出ました。
従妹の母、つまり私にとっては叔母ですが
叔母はそれで怒り狂って 叔母のことは大好きでしたが
ああ…毒親だなぁ…って思った次第です。
私は母には感謝はしていますが 嫌な思いをしたことも多く
今は諸々の事情から実家にはほとんど帰っていません。
電話なんかはしますよ。母の日にはプレゼント送ったり。
母がもし要介護などになったら、実子なのでできる範囲で扶助はするつもりです。まぁ、その程度の思いです。
「親を大事にしないのは親不孝」の意見に愕然です。
こういう人は自分も毒親になってしまうのでは…と思います。
「子は親に感謝すべき」という言葉もたまに聞かれますが
「すべき」は違うと思うんです。
感謝は自然に湧き上がってくるもので義務ではない。
自分が親に感謝したいのであればすればいいけど、それは他に強要することではない。
感謝できない人だっています。
いっぷくさんの「親をあきらめたくない」という言葉、私もすごく共感します。(自分はもしかしたら諦めたのかも…)
by ミケシマ (2020-07-02 23:20)
生きてるうちに、腹を割って話し合わなかったのが悪い、
みたいな批判もありましたね。でもそれはどうなんでしょう。
子どもが小さいうちは威圧するし、大人になってから言っても、
もう済んだ事として取り合ってくれないのでは?
何を言っても不毛だから、「毒」なのでしょうし。
by 犬眉母 (2020-07-02 23:30)
他人の家のことはわからない。自分の親ですらわからない事が多い
by mau (2020-07-03 00:02)
この番組は見ていませんでしたが、すごくわかります。
わたしも「なんで一番じゃないの?」と平気で言う父
が大嫌いでした。クラスで二番の成績を取ったのにで
すよ?
なんでも自分の理想を押し付けて他人と比較する父が
大嫌いでした。でも、愛情を感じていなかったかとい
うとそうではなかったので、毒親だとは思っていませ
ん。今でも好きではありませんが、父の臨終の際には
涙が出て自分でもびっくり。
不器用で可哀そうな男だったんだな、娘から嫌われる
って辛かっただろうなと感謝ではなく同情したんです。
by mio (2020-07-03 00:29)
>子が、親のしつけや環境を100%払拭して、同一人生の中で全く新しい自分の価値観を確立するのは、残念ですがほぼ不可能であると私は思います。
「自分の親」や「自分が育った環境」を基準としてアレコレ考えることが多いような気がするので、それをすべて捨てるというのは難しいなんていうレベルではないですよね…
by ナベちはる (2020-07-03 00:50)
いっぷくさんが書かれているとおり、体験した人でしか分からないと思います。親子関係は特にドロドロしてますからね。
by ヤマカゼ (2020-07-03 04:52)
不幸自慢すんなよ、っても毒親に育てられた話なんざ自慢できるような不幸話じゃないよ
名誉毀損で訴えられる?親は死んでるだろう。しかも死んだ人は事実なら名誉毀損にはならないよ
芸能人が、毒親について語るのはいいことだと思う
「親には感謝すべき」
「親の言うことは聞くべき」
まともな親ならそうなんだろうけど、まともじゃない親もいるんだってことをもっと世間に知らしめる必要があると思うからね
「到底感謝なんてできない異常な親もいる」
「親の言うことでも聞き入れちゃいけない場合もある」
というメッセージになるはずだが、どうだろう
by 関谷貴文 (2020-07-03 04:53)
本当に嫌いな人ならば
想いだすのも嫌なはず
公共の電波を使ってまで話題にするのは
愛憎劇を演じられてるのでしょうか?
by taku1_lily (2020-07-03 06:12)
叩いてる人はただ単に青木が嫌いなだけかもよ、前に後輩を干す発言あったじゃん、それとか妙に女優気取りしてるとか。そこに毒親話でお前何被害者ぶってんだみたいな感じ。
まあ突っ込みたい人は確かに無駄に幸せに育った人なんでしょうね。
by pn (2020-07-03 06:23)
毒親については、自分の判断価値を他人に押し付けてはいけないと思いますね。毒親に限らずですが。
その人の人生の全てを見たり体験したりした訳でもないのに批判するなんて、チャンチャラおかしいってやつですね。
ボクも自分のページで自分の想いを強く出し過ぎることがあるので、気を付けねば・・・です(^^;
by なかちゃん (2020-07-03 06:44)
>自分が子どもを授かったからこそ、改めて毒親の愚かさがわかるのです。
>そして、子にとって自分は毒親であってはならない、ということにも気づくのです。
毒親を語ることの意義はここにあると思います。そして毒親と向き合う機会の無いひとは “自分が毒親であっても気づかないひと”なんだと思いますね。
>子による毒親の告白というのは、「親を嫌い」だからではなく、むしろ逆ではないか
>親をあきらめたくないんです。
>だからこそ、正常で健全な親子関係を持ちたかった、という心の叫びなのです。
>親に期待せず、ダメな親だと失望した結論が出ている人は、毒親という総括自体しません。
私も母親のある部分を酷く嫌い非難し軽蔑さえした事がありました。かなりいい年になっても時々態度に出ていました。しかし亡くなってから数年して自分自身の足らなさに涙することがありました。聖母ではなく毒親であったことは今でも変わらないと思いますが、それを越えて初めて解決する問題ですね。
by 扶侶夢 (2020-07-03 09:32)
精神的に未熟なままでも、親にはなれてしまうのですから、多少なりとも毒親になってしまう人は少なくないでしょうね。
by mayu (2020-07-03 09:36)
毒親・・・なんか理解できます。
私の親もそうなのかも。見栄張りなのかな。
小学校の頃から好きな事もさせてもらえず、親の敷いたレールの上を歩いていくように、指示されますが、能力の問題なのかそこには乗れず、中学受験も全敗。
高校も受験時期に親の転勤で、受験がうまくいかず、希望通りに進めず、在学中も否定された生活を続けていました。
大学も、親元を離れたい一心で、選択したと思います。
特別な時しか親には会いません。もう2年くらいは会っていません。
そんな歴史があり、今の自分があり、良い友人にも巡り会えたので、否定はしませんが、普通の理解のある親なら、もっと違った人生もあったのかなと考えてしまいます。
by 念仏親父 (2020-07-03 12:35)
両親が教員で80点で怒られる、私の事かと思いました^^;
当然のように教員になる道を邁進。けど試験に合格したのに手続き書類を送らなかった・・最後の最後に逃げて今の私があります。
しょーもない会社に就職して・・ずっと言われ続けましたが、親と同じ道を選ばなかった事は最大にして最良の選択だったと今でも思っています。
おかげで適度に距離を置くことができ心に余裕が生まれ、長い介護生活の後に父を見送り、今は母を介護中です。
by ゆきち (2020-07-03 13:35)
いっぷくさんの書かれている通り、子は親を乗り越えるものであり、毒親と思うのであれば、それを反面教師にして強く生きるのが道理のような気がします。
by 十円木馬 (2020-07-03 14:38)
毒親ですか。自分は近くに住んでいるのにも関わらず、家を出てからは何十年も近づきませんでした。子供の頃いろいろとありましたから。でも、親の入院をキッカケに頻繁に行くようになり、今ではすっかり頼られてます。何かを乗り越えたようです。
by kou (2020-07-03 17:05)
みなさん、コメントありがとうございます。
今回は冗長な記事になってしまいましたが、これがまとめです。
1.毒親カミングアウトが、本人の生き方や考え方や親とのあり方などを整理できるし、視聴者にも救われる人がいるなら、妨げる理由はないし中傷もすべきでない
2.毒親カミングアウトは、親が嫌いとか親不孝と言った情緒的な次元の話ではない
3.毒親のもっとも深刻な問題は、子供の自己肯定感が低くなり、それを生涯に渡って引きずる場合もあること(ただでさえ、日本人の自己肯定感は諸外国より著しく低い)
4.子は親を乗り越えるものであり、それによって毒を総括できるようにする
by いっぷく (2020-07-03 22:58)
こんばんは。
じっくり読ませて頂きました。
親は子どもが初めて接する「世間」です。
そしていずれはそこから心身共に自立し離れていかなければならない存在でもあります。
現実には子離れ、あるいは親離れできない精神的に拘束されたというか心的呪縛関係にある親子関係を一生涯続けてしまう人たちも存在します。
しかしそれは善悪とか倫理の問題ではないと思います。ましてや「まともな親」やとか「毒親」であったという問題でもないのだと思います。
いっぷくさんの仰る通り、子はいずれは親を乗り越えなければならないのですが、それが出来ない人も実際には存在します。それは相互依存関係が強い親子関係というか家庭環境に原因がある訳で、日本人にありがちな人間関係でもあると考えています。
恐らく青木さやかさんは自分の母親を毒親と認識していますが、今はもう憎んではいないと思います。人はいつまでも自分以外の誰かを憎んでは生きていけません。そのことを青木さやかさんは知っている人だと思います。
つまり親を毒親と認識して他人に語れる様になった時点で親離れし親を乗り越えられたのだと思います。
他人に自分の人生をとやかく言われたくないのは誰でも同じだと思います。それが分からない自分の身になって考えられない人たちが、結局は他人を非難(批判ではありません)するのだと思います。
本来であれば、そうした人たちこそ不幸で批判される対象なのだと思います。自分を客観視できいない「自分離れ」できない人達なのですから。
私は思うのですが、自分が直接攻撃されているのでもない限り、無闇と他人を非難すべきではないと思います。
結局人それぞれなのです。他人の人生を垣間見てそれをおこがましく非難(大概の人は「批判」ではなく、「非難」や「誹謗中傷」に堕しています)すべきではありません。
黙して語らず。「他山の石」として必要に応じて肝に銘じる事柄だと思われます。
by U3 (2020-07-04 01:59)