三波伸介、てんぷくトリオで活躍、早逝は「びっくりしたナァ、もう! 」 [懐かし映画・ドラマ]
今日は、三波伸介さん(1930年6月28日~1982年12月8日)の生まれた日です。『笑点』『減点パパ(お笑いオンステージ)』『三波伸介の凸凹大学校』など、人気番組・冠番組のほか、映画やテレビドラマにも数多く出演した超売れっ子でしたが、やや太く短くの人生になってしまいました。(上の画像は以下のOGPより)
三波伸介とは誰だ
三波伸介は、比較的裕福な家庭に育ち、日大の付属ではもっとも難易度が高いと言われる日本大学第二高等学校(杉並)に進み、卒業後は日本大学芸術学部映画学科へ進みます。
しかし、演劇の面白さがキャンパスライフだけでは物足りなくなったのか、中退して女剣劇の浅香光代門下へ。
大阪の舞台にも上がり、玉川良一、東けんじらとコントユニット「おとぼけガイズ」を結成したこともあるそうです。
そして、東京に戻って、戸塚睦夫、伊東四朗とコント集団「てんぷくトリオ」を結成。
昭和5年(1930年)6月28日は #三波伸介 が生まれた日。。 #びっくりしたあぁもう #てんぷくトリオ #笑点 #減点パパ pic.twitter.com/hBM4chIhg5
— 【 liaison方 】真田縄幸【 gag方 】 (@EsemShibaristJr) June 26, 2020
これは、以前ご紹介した、由利徹、南利明、八波むと志の脱線トリオが売れていたので、それにあやかって命名したのでしょう。
コントの中で、「びっくりしたナァ、もう! 」というギャグが流行したのは覚えていますが、Wikiに記載されている、「(石原)裕次郎はタフガイ、小林旭はマイトガイ、三波伸介はモンダイガイ(問題外)」と笑いを取って名を売ったというのはわかりません。
映画俳優と比べているあたりに、日芸映画学科出身者としての、映画に対するこだわり意識が反映されているように思います。
今の時代、デリバリーやってる所は儲かるのかなぁ??
— がく「のんびりゆる?く??」 (@gaku_1974) May 13, 2020
??銀のさらがいつの間にか金のさらになってたりして??????
デリバリーひろりん????????…??#頑張れボンクラと愉快な仲間たち#スペシャルゲスト#まさかの遭遇#びっくりしたなぁもう#三波春夫ではございません pic.twitter.com/EMr44Oof0A
三波伸介は、コントの合間にも単独で俳優の仕事も行っています。
どですかでん
沢上みさお(#楠侑子)「少しぐらい数が違ったってどうってことないじゃないか。」
— 畠中由宇・相互フォロー100% (@hata_follow) June 27, 2020
沢上良太郎(#三波伸介)「そうかもしれないけどね、30本にしないと、俺の気が済まないんだよ」
楠侑子「あたしゃ、お前のすること見てると足の裏がムズムズしてくるよ」かくして女房はまた浮気へ #どですかでん pic.twitter.com/5no29SwdYD
一昨日のジェリー藤尾とかぶってしまいますが、三波伸介も『どですかでん』に出演しています。
役は、ブラシ職人。
いつも家の中で、ブラシ1本に付き毛は30本のブラシを作っています。
妻(楠侑子)は5人を出産しましたが、すべて父親が違うという噂。
外を歩くと、人見明、二瓶正也、江幡高志などが「また俺たちと仲良くしろよ」と寄ってきます。
一方、家の中では子どもたちが、「みんなが、父ちゃんの子じゃないというけど本当?」と問われますが、三波伸介は明るく、「人が何と言おうが、みんな父ちゃんの子どもだ」と、子どもたちの前で明るく胸を張って子どもたちを安心させます。
今日の黒澤明作品お奨めセレクトは、「どですかでん」。1970年公開。職人の沢上良太郎役の三波伸介の笑顔が忘れられない。浮気な妻のおかげで子沢山になった夫の天衣無縫な子への愛に涙が出る。これを理解する感情は、初見の時(10代)にはなかったなぁ。 #AkiraKurosawa
— 美好蘭丸 (@rammaru) February 18, 2011
喜多嶋舞騒動ではありませんが、こういうことってあるんですかね。
ダメおやじ
原作とはかなり違うダメおやじ(三波伸介の が入ってる) pic.twitter.com/a0i5YVn2Vz
— 魂のアソコさそり監督 (@sasorikantoku) April 12, 2017
原作は、途中まではとても実写に出来ない、夫いじめのバイオレンスギャグ漫画でした。
それが映画化されると、三波伸介と倍賞美津子によって、やや恐妻家のホームドラマになってしまいました。
上司の不倫現場を見て、それを使って自分の要求を突きつけるのではなく、逆に上司に左遷されられてしまう気の弱い役です。
⇒『ダメおやじ』三波伸介、倍賞美津子、原作をホームドラマに翻案
三波伸介が、気は優しいけれど出世しそうもない本作にキャスティングされたのは、『どですかでん』で、みんな自分の子供として受けて入れしまうヘアブラシ職人の役を演じたことが、野村芳太郎監督の頭にはあったのではないかと思います。
てんつくてん
【TVガイド/あの時あの表紙あの番組(575)】
— しがない三四郎 (@shinya_bokudake) January 26, 2018
[73.11.09]桜田淳子/三波伸介
ホームドラマ『てんつくてん』〔NTV〕で共演
老舗の佃煮屋を舞台に主人とその後妻、
そして4人の子どもとの家族愛を描いた@retoro_mode pic.twitter.com/6CXpimAasx
桜田淳子&三波伸介........「てんつくてん」は再放送されない伝説のドラマです。世代的に「笑点」の司会といえば三波さんの印象が強し。 pic.twitter.com/n09LbyRxvE
— Ultraman T.A (@Thin_Android) August 21, 2016
『てんつくてん』(1973年10月7日~1974年3月31日、NTV)は、マニアが再放送を待望するテレビドラマです。
下町(佃島)の、佃煮店主人(三波伸介)に嫁いだ後妻(司葉子)の話です。
姑が賀原夏子、子どもは渡辺篤史、吉田次昭、和田アキ子、桜田淳子。
出門英の設定は忘れてしまいましたが、一緒に住んでました。
で、ドラマでもロザンナ・ザンボンと結婚するストーリーでした。
となりは鯛焼き屋で、女手一つでがんばっているのが杉山とく子。
その娘が、岡崎友紀と森昌子。
その向かいの自転車店の兄弟が、新田昌玄と大石吾朗。
司葉子の父親役が松村達雄、桜田淳子と森昌子の担任が前川清というすごい顔ぶれです。
主題歌は笠井マリの『娘のきもち』。
放送終了後に1度、再放送があったきりです。
下町の隣近所がみんな仲良しで、家族も仲良く、日本人の原点のような作品だったと思います。
昭和40年代はホームドラマが全盛でしたが、私はどれかひとつ、といわれたらこのドラマを選びたいぐらいですね。
笑点・減点ファミリーなど
日曜日は『笑点』を。司会の三波伸介を中心に、左へ大喜利メンバーの三遊亭圓楽、三遊亭小圓遊、桂歌丸、三遊亭圓窓、林家こん平、林家木久蔵、座布団運びの松崎真。三遊亭圓生や林家三平らの姿も見える。昭和48年正月。@retoro_mode pic.twitter.com/HYN75QwgUp
— 萬象アカネ@レトロ (@bansho_akane) April 26, 2020
『笑点』については、ご説明の必要ないと思いますが、その3代目の司会者です。
落語家ではありませんが、コントの経験から、笑いの間ややりとりの妙を心得ていたと好評でした。
NHKの日曜夜は、『お笑いオンステージ』という、舞台劇と減点ファミリーのコーナーが有りましたが、どちらにも出演。
公式サイトでは、ダイジェスト動画も公開されているようです。
NHK 総合 05/06 13:50 あの日 あのとき あの番組「減点ファミリー~初代三波伸介が描いた家族~」 #nhkgtv #あの日あのときあの番組 https://t.co/jo86SRE1AT
— NHK総合 (@NHK_GTV) May 6, 2018
ゲストのお子さんの証言をヒントに、三波伸介が似顔絵を描いて、そして親本人が出てくるという構成でしたが、三波伸介の似顔絵がうますぎる、なんか仕掛けがあるのではないかと話題になりました。
過労死か
この頃の三波伸介は、週のレギュラー4本で、それ以外に舞台やドラマなどにも出演していた過労もあったのか、自宅で解離性大動脈瘤破裂により、ほぼ即死のような状態で息を引き取りました。52歳没。
さすがに若すぎるだろうと思いますが、Wikiによると、肥満体であったことと、多忙のため多い日でも3~5時間しか睡眠を取れず、タバコは一日最低でも3箱を吸っていたといいます。
トリオのメンバーである伊東四朗は、その後も芸能界で活躍して今や大御所。
三波伸介が生きていたら、芸能界のゴッドファーザーのようなポジションで、大所高所から若い人たちを見守ってくれていたことでしょう。
>三波伸介が生きていたら、芸能界のゴッドファーザーのようなポジションで、大所高所から若い人たちを見守ってくれていたことでしょう。
「笑点」の司会だったというのは、比較的若い世代の私でも知っています。
若いころからいろいろとやられていた経験があるので、もしご存命でしたら(何か問題を起こしていなければ)大御所だったに違いありませんね。
by ナベちはる (2020-06-29 00:45)
父親が笑点が好きで見ていました。懐かしいですね。
でも若い方々は知らないでしょうね。
by ヤマカゼ (2020-06-29 06:21)
すっかり忘れていましたが「てんつくてん」は記憶にあります。毎回見ていたと思います。
by こんちゃん (2020-06-29 06:53)
52歳かぁ、俺も52なんだけどこの貫禄の差はなんなんだ(^_^;)
by pn (2020-06-29 07:29)
ほんわかとしたお人好しで毒気のない凡人の様に思っていたのですが、今考えてみればあれだけのレギュラー番組をもって活躍していたのですから人徳も才能もあったのでしょうね。玉川良一、東けんじの両氏とコンビを組んでいたとは知りませんでした。
by 扶侶夢 (2020-06-29 08:38)
52歳!若すぎるなぁ~!
by shiho (2020-06-29 08:47)
52歳で亡くなられたんですね。そんなに若かったとは・・・私はどちらかと言うと伊東四朗さんのファンでしたが、今伸介さんが生きていらしたらきっと面白いコントが見られたでしょうねぇ・・・
三波伸介さんの似顔絵コーナー、思い出しました!!すごくお上手だったわ。
by エンジェル (2020-06-29 08:49)
「減点パパ」で描く絵がとてもお上手だったのを覚えています。
52歳だったんですね。。。若すぎますねー。
by Rinko (2020-06-29 08:54)
52歳は若かったなぁ。顔の表情のメリハリが面白かった印象があります。「減点パパ」は大好きでした。
by newton (2020-06-29 12:13)
懐かしいです♪
好きだったなぁ~三波伸介さん。
52歳で亡くなったとは思えないです。
自分が子供だったせいか随分とオジサンに見えた^^;
減点パパは見た記憶があります。
by Rchoose19 (2020-06-29 12:49)
>3~5時間しか睡眠を取れず、タバコは一日最低でも3箱を吸っていた
確かそれに加えて、鰻かステーキを毎日食べ続けたという逸話もあったかと思います。太く短い人生もまた一つの生き方ですね。
by 十円木馬 (2020-06-29 14:56)
笑点のイメージが強いですが、52歳は若すぎですねー。
当時は健康管理もずさんだったと推察されますが、本人なりに満足な生き様だったのではないかと思います。
by kou (2020-06-29 15:51)
てんぷくトリオは子どもの時期に、楽しく見ていましたが、こんな顔だったかなぁ?
by ヨッシーパパ (2020-06-29 18:53)
好きでしたね。
時々強面の顔になったり、人なつっこい笑顔になったり
「びっくりしたなぁ、もう」は子供の頃よく真似てました。
NHKの満点パパでしたか見てました。
本当に早く亡くなられて勿体なかったですね。
by そらへい (2020-06-29 21:07)
50代前半は、健康の曲がり角かもしれませんね。
by 犬眉母 (2020-06-29 22:21)
お亡くなりになったのが52才!もっとお年を召していると思ってました
by mau (2020-06-29 22:36)