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鈴木ヒロミツ、『気楽に行こう』と車を押した“準水曜8時の男” [懐かし映画・ドラマ]

鈴木ヒロミツ、『気楽に行こう』と車を押した“準水曜8時の男”

今日は鈴木ヒロミツさん(1946年6月21日~2007年3月14日)の生まれた日です。モービル石油(現JXTGエネルギー)のCM『気楽に行こう』でブレイク。水曜8時のTBSドラマ枠では、『夜明けの刑事』に始まって6年とワンクールにわたって出演しました。



鈴木ヒロミツとは誰だ


鈴木ヒロミツは、武蔵大学を中退して、実弟のスズキ幹治がドラムスを担当していたモップスにヴォーカルで加入。

グループは1974年に解散しますが、すでに解散前から鈴木ヒロミツは単独で活動をしていました。

その名前が大きく注目されることになったのは、モービル石油(現JXTGエネルギー)のCMです。

モービル石油CM『気楽に行こう』



マイク真木の『気楽に行こう』という歌をバックに、CM演出家の木村俊士と鈴木ヒロミツの男2人が、ただひたすら車を押しているCMです。

別にガス欠だからと、焦ったり悲しんだりシているわけではなく、途中で休んだり遊んだりしながら、歌のとおりに「気楽に」「のんびり」車を押しています。

そして、最後に、「車はガソリンで動くのです」というナレーションが入ります。

『バラが咲いた』もそうですが、マイク真木はこころなごむ歌が巧いですね。

「oh! モーレツ」を挙げたこのツイートは興味深と思いました。


小川ローザの「oh! モーレツ」。ご存知ですか。一世を風靡したんですよ。


高度経済成長時代を象徴する「Oh!モーレツ!!」という文言が、小川ローザのパンチラとともに流行したのが1969年。

その2年後、ライバル会社のモービル石油が、『のんびり行こうよ』という対象的なCMをリリースしたわけです。

この頃は、公害が社会問題になり、右肩上がりの経済に「ちょっと待てよ」気分が出始めてきた時期です。

で、その2年後にはオイルショックですから、時代の先読みにもなっていました。

準“水曜8時の男”


テレビドラマ界では、“水曜8時の男”といえば石立鉄男を指します。

パパと呼ばないで』ほか、日本テレビの一連のホームコメディー、そしてそれがお休みの時はTBSに出演。

1971年~1978年、1979年~1982年まで11年間、11本のドラマで同じ曜日と時間に出演し続けました。

俳優として、同じ時間帯のゴールデンタイムのドラマに出続けることは、スタッフの信頼と数字があるからにほかなりませんが、その牙城に迫ったのは鈴木ヒロミツでした。

『事件狩り』(1974年4月3日~1974年9月18日)『夜明けの刑事』(1974年10月2日~1977年3月23日)『新・夜明けの刑事』(1977年3月30日~9月28日)『明日の刑事』(1977年10月5日~1979年10月10日)など連続して5年。

さらに『秘密のデカちゃん』(1981年4月15日~1982年1月6日)『婦警さんは魔女』(1983年1月5日~3月30日)も併せると、やはり水曜8時に6年とワンクールにわたって出演しました。

中でも一番印象に残るドラマは、『夜明けの刑事』です。


このツイートの通り、オープニングの音楽が印象的で、また動画は登場人物のキャラクターを象徴していました。

喧嘩っ早い石橋正次に対して、手荒なことが苦手な鈴木ヒロミツという設定で、それはこのドラマに限らず、上記の6年ワンクールの間、鈴木ヒロミツの一貫したキャラクターでした。



エンディングの歌は、紅白出場の実績がある石橋正次に最初は譲っていましたが、石橋正次が降板して水谷豊に交代すると、モップス以来の歌を披露しました。



そして水曜8時の盟友とほぼ同時期の最期


そんな鈴木ヒロミツさんの最期は、肝細胞癌でした。享年61歳。

突然の訃報でしたが、「医師の診察を受けた際には既に病状が進行しており、告知も冷静に受け止めた。入院治療より家族とともに過ごすことを選んだ」(Wikiより)と、ご本人にもそれほどの時間は与えられていなかったようです。

がんは、急死ではないから終活が出来て「がんで死ぬのも悪くない」などという本まで出している人もいましたが、まだ60歳なのに診断時に手遅れというのは、事実上の急死でしょう。

多くの人が追悼コメントを寄せていましたが、その中には、ドラマ以外は番宣も一切出演しなかった石立鉄男が、初めて共演者だった鈴木ヒロミツの追悼コメントを寄せて話題になりました。

もっとも、石立鉄男もその2ヶ月半後にほぼ急死で亡くなっており、なにか虫の知らせでもあったのでしょうか。

いずれにしても、少年から青年にかけて、水曜8時のドラマを欠かさず観ていた私には、大変悲しいことであり、人生なんていつどうなるかわからない、日々悔いのないようにと改めて思いました。




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nice!(233)  コメント(16) 

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コメント 16

newton

このCMは印象に残っています。モップスの歌では、「たどりついたらいつも雨ふり」が印象に残っています。61歳は早かったですね。

by newton (2020-06-21 12:55) 

kou

モービル石油のCMが心に残ってます。「気~楽に行こうよー俺たちは♪」のフレーズが懐かしいです。61歳は早すぎますが、本当にいつ何があるかわかりませんね。
by kou (2020-06-21 16:12) 

十円木馬

ザ・モップスは、ザ・タイガースやザ・テンプターズといったアイドル路線と一線を画し、サイケデリックサウンドに徹していたと思います。
by 十円木馬 (2020-06-21 16:40) 

KINYAN

花菖蒲と睡蓮の記事にコメントありがとうございました。
懐かしいCMですね
のんびりしていて癒やし系でこの歌好きでした(^o^)
by KINYAN (2020-06-21 18:42) 

ヨッシーパパ

モップスと言うネーミングがダサかったですね。
学校の同窓会名簿に載っていて驚きました。^_^
by ヨッシーパパ (2020-06-21 18:45) 

pn

歌手だったってーのを知ったのはそんな昔じゃないんだよな確か。なんだっけたどり着いたら雨とかなんとかって歌は知っていたんだけどまさか鈴木ヒロミツの声とはこれっぽっちも気付かなんだ。
by pn (2020-06-21 20:15) 

mau

余命2ヶ月と言われた叔父が一年頑張って先日天に召されました。
by mau (2020-06-21 21:51) 

なかちゃん

「Oh!モーレツ!!」が1969年だったんですか?
他のTVCMはあんまり憶えていないのに、これだけはきちんと憶えています(^^;

by なかちゃん (2020-06-21 22:56) 

よいこ

亡くなっていたとは知りませんでした
しかも、61歳とは!!
CMは何となく覚えています
ゆっくりが許されるいい時代な気がしてきました
by よいこ (2020-06-21 23:15) 

skeptics

人柄が良かったんでしょうね。
芝高校なら家庭も良かったのでしょう。
考えさせられます。
by skeptics (2020-06-21 23:51) 

ナベちはる

「入院治療よりも家族との時間を…」と、鈴木さんも自らの命が長くないことは悟っていたと思えるのですが、それにしても61歳は早すぎますね…
by ナベちはる (2020-06-22 00:41) 

萌田かずきち

タイムボカンシリーズのヤットデタマンのED
歌ってた方ですね。
無くなってたの知らなかったです(+_+)。
by 萌田かずきち (2020-06-22 02:38) 

ヤマカゼ

また随分と懐かしい方がでてきましたね。
モービル石油のCMありましたね。
by ヤマカゼ (2020-06-22 06:38) 

Rinko

個性的な俳優さんでしたよね。
肝細胞癌でお亡くなりになったのは知りませんでした。
by Rinko (2020-06-22 09:03) 

そらへい

モップスで、「たどりついたらいつも雨ふり」を覚えています。吉田拓郎の曲だったと思います。
by そらへい (2020-06-22 20:16) 

pigumon

鈴木ヒロミツさん
モービル石油CM『気楽に行こう』
懐かしく 拝見させて頂きました
モービル石油(現JXTGエネルギー)加盟店主の
私 不覚にも忘れていました(笑)
学生時代
鈴木ヒロミツさんに よく似た女の子
ひろみつ〜 なんて
よく いじってた記憶が
蘇っております

by pigumon (2020-06-23 10:25) 

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