坂上二郎、コント55号でブレイクした『夜明けの刑事』 [懐かし映画・ドラマ]
今日は、坂上二郎さん(1934年4月16日~2011年3月10日)が生まれた日です。萩本欽一とのコンビ『コント55号』が爆発的に売れ、名前が知れた後は単独で俳優や司会業でも活躍。『夜明けの刑事』では、拳銃を使わない、綺麗なママと飲むこともない平凡な刑事を演じました。(上の画像は上段左が https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/11/20/gazo/G20161120013756140.html より、下段右がYoutubeより)
坂上二郎とは誰だ
坂上二郎は、『のど自慢素人演芸会』で鹿児島県代表に選ばれ優勝したのを機に、歌手を目指し上京したそうです。
しかし、それぐらいではかんたんに歌手デビューは出来ません。
様々な職を転々としながら、獅子てんや・瀬戸わんや門下で漫才を始めます。
最初のコンビはすぐに解散しましたが、ストリップ劇場『浅草フランス座』のコメディアンとなり、幕間コントで萩本欽一と出会います。
当時萩本欽一が21歳で、坂上二郎が28歳でした。
コント55号の爆笑コントはどこから生まれたか
【懐かCM・1969年】コント55号のシリーズ肌着 https://t.co/WfFCK7cKH4 @YouTubeより#欽ちゃん#二郎さん#コント55号#萩本欽一#坂上二郎#CM
— ねねこ (@55koneko55) April 13, 2020
それまで、東京の「お笑い」といえば、格調高い落語や諧謔の笑いであった漫才ばかりで、当時何も世の中のことがわからない子供の私にとっては爆笑というわけにはいかなかったのですが、とにかく笑えた初めての「お笑い」が、コント55号でした。
55号は、当時、王貞治が本塁打のシーズン新記録である55号を打ったので、そう命名したそうです。
萩本欽一と坂上二郎は、芸能生活で単独活動がほとんどでコント55号“専業”の時期は短かったのですが、それでも解散はせずに40年以上もコンビは続けて、最後までケンカ別れはしませんでした。
ということなら、よほど強いシンパシーを感じた初対面を連想しますが、もともとの関係は水と油だったといいます。
チャップリンを目指してコメディアンになった萩本欽一は、笑いの王道を目指しシモネタを嫌がりました。
一方、歌手になれずに、漫才も解散。ストリップ劇場の幕間コントが“背水の陣”だった坂上二郎は、結果を大事にしていました。
つまり、「お客さんが楽しんでくれることがいちばん大事なんじゃないか」という考えから、ウケるならと、下ネタも大サービスして客から笑いをとっていました。
萩本欽一にとって、そして坂上二郎にとって、180度違うお互いが「しゃくにさわる存在」になるのに時間はかかりません。
楽屋では満足に口をきいたことがなく、その分、舞台ではものすごいエネルギーを発散しあいましたた。
萩本欽一と坂上二郎が同じ舞台に立つとき、坂上二郎が引っ込む際に強烈なアドリブを放って、次に出る萩本欽一の出鼻をくじきます。
しかし、萩本欽一も負けじとアドリブ返しをします。
そうなると、引っ込みのつかなくなった坂上二郎がまた舞台に出てきてアドリブを返します。
そしてまた負けじと萩本欽一が応酬。
時間の制約が厳しいテレビではないので、2人のアドリブ合戦はどこまでもエスカレートして、客は興奮の坩堝と化したといいます。。
そこから、テレビカメラの枠に収まりきらないコント55号という爆笑コントが誕生したのです。
コント55号の笑いは、基本設定では、萩本欽一が「ボケ」で、坂上二郎が「ツッコミ」です。
ところが、コントを見ている限り、坂上二郎を動かして、萩本欽一が突っ込んでいるようです。
ここが、コント55号の真骨頂です。
従来の「お笑い」のセオリーを超えた笑いだったのです。
俳優として多くのドラマに出演し、結果的に歌もリリースできた坂上二郎が、本人いわく、いちばん印象に残る仕事は萩本欽一とのコント55号時代だとテレビ番組(EXテレビ)で答えていました。
夜明けの刑事
今も刑事ドラマって多いけど、「大都会」「太陽にほえろ!」「Gメン'75」「特捜最前線」「夜明けの刑事」、毎週楽しみに見てたなぁ。
— クラゲマン@まいまいすと (@SeamoonHyper) August 7, 2019
夜明けの刑事 オープニング・テーマ https://t.co/9Gigl6K8eC @YouTubeより
坂上二郎は、俳優としてたくさんの映画やドラマに出演していますが、やはり代表作は、自身が主役であった『夜明けの刑事』(1974年10月2日~1977年3月23日、大映テレビ、TBS)だと思います。
初期のメンバーは、坂上二郎のほか、若くて血気盛んな石橋正次、腕っぷしも気も弱い鈴木ヒロミツ、警察官僚独特のエリート意識を抱く藤木敬士の刑事たちに、べらんめえの石立鉄男が課長、そして彼らの仕事を深く信頼している宇津井健が署長でした。
坂上二郎は、拳銃も持たず、聞き込みも凄まず、誰にでもあたりがよく腰が低い刑事です。
役名は「鈴木」でしたが、日本でもっとも多い苗字にすることで、他の刑事ドラマのようなヒーロー然としたキャラクターではなく、平凡な一刑事であることを表現していたそうです。
『太陽にほえろ!』のマネなのか、2番手の若い刑事が途中で交代していて、初代は石橋正次、2代目が水谷豊でした。
#ある世代の人にだけメロディーが聞こえる
— オダブツのジョー (@odanii0414) June 9, 2019
♪夜明け?のお?
刑事ィ?
夜明け?のお?
刑事ィ?♪ pic.twitter.com/sJdzTm6ewt
といっても、今の『相棒』のような、冷静に推理力・洞察力を使って理詰めに事件を解決する杉下右京のようなキャラクターではなく、ナイーブで失敗も多く、結局自分に自信が持てなくなり半年で辞職する設定でした。
鈴木刑事は、そうした若い刑事とコンビを組み、決して先輩ヅラして威張ることもなく、地道な捜査で事件を解決していくことで、刑事としてのあり方をみせていきます。
泥臭い展開ではありましたが、その時の世相・流行を取り入れ、そして大映ドラマらしい劇画チックな展開もある、(水曜)20時の番組として茶の間でくつろぎ楽しめました。
脳梗塞は再発だった
さて、その坂上二郎が亡くなった直接の原因は脳梗塞です。
最初に倒れたのは2003年。その時点では「全快」といわれ、実際に仕事に復帰できたものの、その後、また倒れてしまったのです。
脳梗塞は、2度3度と倒れることがあるから厄介ですね。
芸能界には、昭和9年生まれの人たちが『昭和九年会』というグループを作って、飲み会など親睦を深めていましたが、24名のうち、坂上二郎さんを含めて2/3の16名が物故されました。
坂上二郎さん、覚えておられますか。
GOLDEN☆BEST 坂上二郎 - 坂上二郎, 坂上二郎とユニコーン
コント55号のなんでそうなるの? 2 [レンタル落ち] - コント55号
コント55号、大好きでした。クレイジーキャッツ以後ドリフターズ以前という感じでしたね。
どちらかと言えば欽ちゃんに目が多く向いていたので、坂上二郎さんへの評価は少なかったですが、今回の記事で改めて彼の評価を改めました。
by 扶侶夢 (2020-04-16 11:03)
テレビのフレームから飛び出すコント55号の舞台は楽しかったです。欽ちゃんの無茶ぶりに、必死に応える二郎さんが素敵でした。
by newton (2020-04-16 11:44)
自分を隠さずぶつかり合ったからこその信頼関係なんでしょうねきっと、いいなぁ。
by pn (2020-04-16 14:24)
いっぷくさん こんにちは。
「いきます!、いきます!」
がリフレインしています(^0^))☆爆笑☆((^Q^)v
by U3 (2020-04-16 14:49)
コント55号は日本中を笑わせましたね。
その中でも坂上二郎さんのおとぼけ役はなんとも好きでした。下積み時代のステージで鍛えたんでしょうね。
by 旅爺さん (2020-04-16 17:54)
ジロさんは、子どもの憧れでした。
ジロさんの出ている番組は、とても面白いので必ず見ていたと思います。
by ヨッシーパパ (2020-04-16 18:44)
コンと55号は大好きでしたね。特に二郎さんが大好きで、もう30年以上生きている亀にも次郎さんと名前を付けてます。漢字の違いはありますが、イメージはあのジロさんですね。
by kou (2020-04-16 19:55)
坂上二郎さんのコントは大笑いしました。足を前後に開いてジャンプして「跳びます・飛びます」のギャグは頭に残っています。
by 我流麺童 (2020-04-16 20:04)
確かに、子供ながら笑えたのがコント55号でしたね。
by ヤマカゼ (2020-04-16 20:52)
お顔を拝見しただけで、なんか楽しくなる方でした。
by mau (2020-04-16 22:16)
萩本さんと坂上さんは、片方だけ見るということは何度かありましたが両方同時というのは記憶にありません。
面白いというコント55号の漫才、一度でいいから見てみたかったです。
by ナベちはる (2020-04-17 00:42)
飛びます♪飛びます♪♪の二郎さん^^
懐かしいですね~!
by Rinko (2020-04-17 08:04)
コントの中でも時々美声を披露していた二郞さん
もともと歌手志望だったのですね。
二郞さんが半ば半笑いに成りながら
欽ちゃんの突っ込みに答えていたのを思い出します。
by そらへい (2020-04-17 21:34)
坂上二郎さんといえば、ユニコーンの「デーゲーム」
のヴォーカルをやった事が一番衝撃的でした。シン
グルカットされたのにヴォーカルが民生じゃなくて
坂上二郎??って驚いたなぁ。コント55号はギリギリ
見ていない世代です。物心ついたころにはどちらも
ソロ活動でした。
by mio (2020-04-18 08:34)