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山口百恵が三浦友和との交際を発表後、レコード売り上げをV字回復させた発想とは…… [芸能]

山口百恵が三浦友和との交際を発表後、レコード売り上げをV字回復させた発想とは……

ネットの「今日は何の日」コンテンツを閲覧すると、きょうは山口百恵が三浦友和との婚約と引退を発表した日(1980年)と教えてくれています。1970年代に最もレコードを売り上げながら、レコード大賞などタイトルは無冠のまま21歳で引退した伝説の歌手は、いまもこうした区切りの日には芸能マスコミやネットで取り沙汰されています。(上の画像は『週刊女性』1980年3月25日号)



山口百恵とは誰だ


まあ、昭和世代でなくても、今更山口百恵の解説は不要かもしれませんが、一応駆け足で書きます。

片親で育ち、新聞配達をして買ったギターで歌を口ずさみ、1972年12月の『スター誕生!』は第5回決戦大会に出場した山口百恵は、ホリ・プロ所属とCBS・ソニーからのデビューが決まりました。

しかし、「登場におけるインパクトは、とても桜田淳子の比ではなく、後の百恵神話を予測させるものはほとんどなかった」(阿久悠『夢を食った男たち』)彼女は、デビュー曲も今ひとつ目立たず、3ヶ月先輩の桜田淳子に大きく差をつけられます。

そこで2曲目からは過激な歌詞の“青い性典”路線に活路を見出し、東宝の文芸映画や大映ドラマでは、彼女の出自を思い起こして感情移入させるような“不幸なヒロイン”を演じてポピュラリティを獲得。


さらに、“青い性典”は阿木耀子・宇崎竜童による歌の提供で“横須賀突っ張り路線”に昇華し、『いい日旅立ち』では谷村新司の提供を受けて国民的歌手への道筋構築も目論みながら、『曼珠沙華』では篠山紀信を前にトップレス撮影も行うなど、彼女の芸能活動はいよいよピークに向かっていました。

交際宣言以降、数字が落ち込んだ本当の理由



そんな山口百恵が、1979年10月19日売りの写真雑誌『フォーカス』で三浦友和との交際がすっぱ抜かれると、翌日の大阪のコンサート会場で、「私の好きな人は、三浦友和さん」と結婚に向けた交際宣言をしました。

映画でもドラマでも共演したゴールデンカップル、モモトモが結婚した、とおめでたムードに包まれたは良いのですが、その後リリースした『しなやかに歌って』や『愛染橋』は、本来なら話題性十分だったにもかかわらず、レコードセールスは惨敗しました。←といっても、オリコン10位には入っているんですけどね。

原因は、やはり三浦友和との恋人宣言にあった、と見たのは、山口百恵のプロデューサーだった酒井政利さん。

まあ、普通、誰でもそう考えますよね。

若い女性歌手が結婚すれば、男性ファンががっかりして離れていくのではないか、と。

ところが、酒井政利さんはそうは言っていないのです。

結論は同じでも、その理由が180度違っています。
一億人の娼婦になれー!/私たちスタッフは、そんな思いと意気込みで仕事を進めてきた。ところが、その山口百恵に恋人がいることを世間に宣言してしまったのだ。スタッフに与えた影響は大きかった。/この娘は恋をしているんだ! と思ってしまうと、つい情に流されて、つくる歌もパンチを欠くことになる。この頃の歌が『しなやかに歌って』や『愛染橋』である(『プロデューサー』時事通信社より)
つまり、原因は、山口百恵でもファン心理でもなく、作る側のモチベーションに求めました。

作る側さえ、これまでのモチベーションだったら、こんなことはなかったと嘆いているのです。

そのような厳しい眼こそが、名プロデューサー・酒井政利の真骨頂なのです。

以前も書きましたが、これと似たようなエピソードが、亡くなったジャニー喜多川さんにもありました。

豊川誕という、ジャニーズ事務所出身の歌手が所属時代、ゴールデンハーフスペシャルという同年代のアイドルグループの1人と交際していたときの話です。
「でも、すぐにジャニー喜多川社長にバレてしまいました。
『ユー、顔が変わったね。鏡、見なさい。女を知ると、女を求めるギラギラした欲望が表情から消えちゃうの。それじゃあ、女の子にアピールできないでしょ』
男性アイドル発掘と育成の手腕では誰にも負けないジャニーさんならではの観察力と感性に脱帽です」(『日刊ゲンダイ』2011年10月24日付)
つまり、ファンががっかりするのは、恋人ができることそれ自体ではなく、タレント自身に女性を求める「ハングリー精神」がなくなってしまうことだ、というわけです。

ジャニーズ事務所が、結婚や恋愛をご法度とする理由は、タレント“イメージ”ではなくて、タレント自身の“アピール”の方を懸念していたわけです。

ジャニーズ事務所は恋愛、結婚ご法度といわれ、それは古い考えだと批判されてきました。

しかし、所属タレントの多くがそれを守っているのは、ジャニー喜多川さんの考えを諒としているからかもしれません。

それはともかくとして、酒井政利プロデューサーの反省によって作られた29枚目のシングルである『謝肉祭』は、『愛染橋』では10位まで落ちていたオリコン順位を4位まで戻し、『ザ・ベストテン』では久しぶりに1位に到達できました。

いずれにしても、送り手の側に、問題解決の答えを求めたことが、復調につながったのです。

「交際宣言によるファンの失望」のせいにしていたら、数字の回復はなかったでしょう。



今回に当てはまりませんか


このエピソードは、タレント事務所だけでなく、私たちの仕事や勉強の業績にもつながる教訓だと思っています。

営業成績がどうして落ちたのか。

ブログのアクセス数がどうして減ったのか。

トラブルをいつも「自分以外のせい」にしていませんか。

もちろん、自分には不可抗力な、どうにもならない客観的原因もあるでしょう。

が、それは「言い訳」のためではなくて、ではその現実を踏まえて自分はどうすべきか、という課題を明らかにするための分析にしたいものです。

それで、エラソーに書きついでに、もう一言します。

今回、トイレットペーパー不足を、政府広報でもなく企業のオフィシャルなリリースでもない、一個人の主観に過ぎないツイートを、勝手に額面通り受け止めて買いに走り、実は自分たちでそれを現実にしたくせに「ツイートしたヤツが悪い」と怒っている人々。

そういう人は、もうルーターもスマホもぶっ壊して、ネットはやめたほうが良いですよ。

マスコミやツイートのせいにせず、自分の情弱思考や行動の側から改善を考えないと、今後もまた同じ愚を繰り返すと私は思います。

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風太郎

山口百恵が無冠だとは知りませんでした。
by 風太郎 (2020-03-07 09:05) 

starwars2015

初めて買ったLPレコードが山口百恵さんでした。
引き際の潔さに、びっくりしました。
by starwars2015 (2020-03-07 11:00) 

Boss365

こんにちは。
山口百恵さん、いまだに神秘性あります。
成る程です。視点変えてみると興味深いですね。
ファン目線ではなく「取り巻きや本人の変化」は考えられます。

小生は「情報は疑って?」が基本なので・・・
発信側・受信側にも責任あると感じています。「気付き」が大切です。
「怒っている人々」も同類ですが、自由な発言表明なので良しかな。
自身の「情弱思考強化」は必要と感じています!?(=^・ェ・^=)
by Boss365 (2020-03-07 12:45) 

skeptics

出ましたね。
そこで出た結論が、人生やるかやらないか!!!
他人のせいにしても何も変わらない。現状を変えるにはまず自分で動け。
考えさせられます。
by skeptics (2020-03-07 15:51) 

きたろう

昭和50年頃、なんのTV番組かは、はっきり覚えていませんが、ゲストで居並ぶ、著名な映画監督をはじめ、居並ぶ有名なおじさまたちが、百恵ちゃんを、女神のごとく絶賛しているのを見たことがあります。百恵ちゃんファンではない私は、その場面を???の思いで見ていました・・・
by きたろう (2020-03-07 15:57) 

なかちゃん

一億人の娼婦ですか。なるほど。
桜田淳子に全然及ばなかった彼女がなぜこんなに人気者に?という疑問がありましたが、少し分かった気がします。
それでも、潔いという意味では気持ちの良い歌手でしたが。

by なかちゃん (2020-03-07 16:16) 

ヨッシーパパ

当時は、三人娘の中では、桜田淳子派でした。^_^
by ヨッシーパパ (2020-03-07 18:54) 

そらへい

桜田淳子に水をあけられていたデビュー直後でも
私は百恵派でしたね。
その後の大活躍まで予想したわけではないですが。
by そらへい (2020-03-07 20:21) 

mau

トイレットペーパー、ほとんどの人がデマと解って買ったらしいですね
by mau (2020-03-07 21:35) 

エンジェル

山口百恵と三浦友和の住まいは我が家から車で20分ほどの距離で最近は義父を病院に連れて行く時必ず前を通ります。実際に会ったことはないのですがとても親近感があります。三浦友和もその当時ファンでした(^w^)
by エンジェル (2020-03-07 22:44) 

sana

デビュー当時、桜田淳子は売れるだろうな、と当たり前に思いましたね。でもある意味普通っぽかった。
百恵ちゃんには不思議な魅力がすぐ出てきました。阿久悠には理解できなかったのね…と思います^^;
トイレットペーパー、デマは困ったもんです。
一部の人が何度も買いに走り、それで足りなくなると思った人も買ったとか。
今も売り場には見かけないけど、まあ家にあるし。結局は間に合ったんじゃないんでしょうか^^;
by sana (2020-03-08 00:39) 

ナベちはる

復調へつながる部分、意外なところに求めたのが功を奏したわけですね。
by ナベちはる (2020-03-08 01:17) 

こんちゃん

山口百恵と同い年です。実はファンクラブにも入ってました。
後半のご意見もっともだと思います。
千駄ケ谷は東京体育館のあるところです。中央線は用事がないと利用しませんね。
by こんちゃん (2020-03-08 04:01) 

ヤマカゼ

もう40年前の話なんですね。
タイトルだけ見ると月日の過ぎるのははやいですね。
ハングリー精神とはいかないまでもいつも向上したいと思う気持ちは大切ですね。
by ヤマカゼ (2020-03-08 07:15) 

pn

いやマジでネット止めた方が良いよね踊りやすい人は。
なんだっけ噂話で銀行が潰れた(んだっけ?)話あるじゃん、流されやすいと言うか何と言うか。日本人って今も昔も右向け右なんだよね結局(^_^;)
by pn (2020-03-08 20:58) 

犬眉母

伝説は本人だけでなく、スタッフも一体となってできるんですね。
by 犬眉母 (2020-03-08 23:03) 

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