野村克也氏の訃報では、それまで悪口を言っていたはずの球界関係者までが、競うように、どこかで聞いたこと、読んだことのあるエピソードを語る記事で埋め尽くされています。わたしは、改めて「悪妻」といわれた野村沙知代さんについて考えました。
わたしは、有名人が亡くなると、美談一色になることには疑問があります。
今回も、ひとつひとつの記事はよくわかるのですが、もっと違う角度からの見方があっての良いのではないかと思いました。
そんなとき、ヤフートピックスの関連記事として、2年前の野村沙知代さんのお別れ会の記事がリストアップされていたので興味深く読みました。
要するに、野村克也さんは良い配偶者に恵まれたことこそが、幸福な人生につながったということが書かれていると思いました。
もっと正確に書くと、この記事についているコメントが興味深く読めました。
野村沙知代さんに対して、こういうことを書いている人がいます。
悪妻どうのこうのの前に人間として最低の人でした。
みなさん、このコメント、どう思われますか。
人格者ってなんですか
当時の、女剣劇役者やその同調者になった落ちぶれタレントたちの“サッチーたたき”はあまりにもバカバカしいからスルーするとして、たしかに、野村沙知代さんは脱税、学歴詐称など、刑事罰に処せられることもしています。
法的には不倫とはいえないのですが、前妻から妻の座を奪ったようにも見えます。
いずれにしても、世間から見て、いわゆる人格者ではないのかもしれません。
でも、改めて問いたいのは、ではいったい人格者ってなんでしょう、ということです。
人格者でないからどうだというのでしょう。
そもそも、人が人の人格を評価できるものなんでしょうか。
物分りが良い、自分の価値観にとって都合のいい人を、人は「人格者」と呼んでいるだけじゃないんでしょうか。
つまり、人格者という称号は、実は大衆のエゴの具現、もしくは幻想に過ぎないのではないか、と思います。
たとえば、「人格者」といわれる会社社長が、クライアントからは暴利を貪らず、従業員ファーストでリストラもせずベースアップもきちんとおこなった結果、会社は負債が膨らみ、でも社長は自己犠牲で個人名義でブラックなところからまで借金。最後にどうにもならなくなる、なんて話は現実にあります。
プロレスラーの大仁田厚が作ったFMWという会社の社長だった荒井昌一さんが、そのパターンで首吊り自殺しています。
そんな「人格者」の社長と、シビアに利益を追求し、またはリストラを断行して自分と会社と「できる」社員を守る「冷酷な社長」はどちらがいいと思いますか。
もちろん、この対比は極端な例ですが、何を言いたいのかというと、
人間は生きている限りそれぞれにみな価値観(欲望)があり、それはときには人や組織として衝突したり競争したりせざるを得ず、全方面に万能な「人格者」などというのはこの世に存在し得ない、ということです。
AさんがBさんを「人格者」と言ったところで、それはひっきょうAさんの価値観に沿えばBさんは道理がある人だからであり、世の中にはAさんと相反する価値観を持つCさんだって存在するということです。
私の価値観からすれば、無原則で結局誰も幸せにしない八方美人の「人格者」よりも、野村沙知代さんのように、「人間として最低」といわれようが、野村克也という一人の人間を確実に幸せにできたサイコーの妻であったほうが、よほど有意義な生き方だと思います。
あなたは、誰かを「幸せにした」と胸を張って言える人生ですか。
「大丈夫、何とかなるわよ」はサイコーの励まし
上の記事で、象徴的な記述があります。
南海ホークス時代、野村監督と行動をともにした柏原純一氏の述懐です。
サッチーは、あるとき、柏原氏に、こう尋ねたという。
「あんた何歳よ」
「25歳です」
「あなた、25歳のときどうだった?」
サッチーはノムさんに口を開かせた。
「ああ、もう3冠王だったかな」
「そういうことよ。わかった?」
「今思えば、ああやってハッパをかけられたんだと思うんだよな」
日ハムに移籍した柏原氏は4番を打つ大打者に成長。サッチーのプラス思考が影響を及ぼしたのは夫にだけではなかった。
南海時代、野村沙知代さんの存在は公私混同といわれたそうですが、このやりとりは、門外漢の自分が居丈高に説教するのではなく、ブツブツ内にこもる野村克也監督を立てながら、柏原純一氏のプライドを守り励ましているやりとりです。
野村沙知代さんが実は人の気持ちを理解できる人であることがわかるエピソードだと思いました。
野球ができるだけで、ぼやくしかノウのない野村克也さんにかわって、無責任な世間に対しては、いつも「なによーっ」と強面で突っ張ってくれて、水面下ではヤクルトや楽天の監督になるよう働きかけてくれ、家庭の中では、余計な愚痴は一切言わずに、「大丈夫、何とかなるわよ」と気持ちよく背中を押してくれる。
涙が出るほどありがたい配偶者です。
わたしはクヨクヨ考えるだけの能無しなので、野村沙知代さんのような配偶者のありがたみがよくわかります。
別に、「あの夫婦は人格的に問題あり」と世間に思われたとしても全く構わないし。
そもそも、そうやって悪口言ってる陰湿な人こそ、「人格者」とは縁もゆかりもない人ですから。
毒親でないから「人柄が良い」のではないか
夫婦が叩かれていた頃、「ノムさんはなんで別れないのか」とか、息子さんの野村克則について、「あの夫婦の子にしては人柄が良い」というような言われ方も一部にはありましたが、何を言ってんだろうと思っていました。
子は親の背中を見て育つのですから、カツノリの生き様こそ、まさに「あの夫婦」が導いたものであり、毒親でないことの証左ではないでしょうか。
わたしはそんなふうに思います。
女房はドーベルマン - 野村 克也
ありがとうを言えなくて
- 作者: 野村 克也
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2019/03/29
- メディア: 単行本
世間的に人当たりや行儀のいい人が、家庭人として立派とは限りません。
そして、それとは正反対の生き方もあります。
野村沙知代さんは、「野村克也の妻」としての生き方で結果を出した、ということだと思います。
私も、何も結果を出さない人生よりは、誰かを幸せにする人生のほうが生きがいがあります。
そうでなかったら、生きる資格がない、とまでは思いませんけど。
by 犬眉母 (2020-02-15 12:48)
人格者は偶像でしょうねぇ、聖人君子は居ないでしょ(^_^;)
by pn (2020-02-15 14:32)
人格者って居るのかな? ひょっとしたら居ないのかも(^_^;) 何であろうと、夫に尽くした姿はご立派ですね。
by yokomi (2020-02-15 15:11)
今は、叱咤激励すると、暴言とかパワハラって言われて
しまいますから、もうこういう人は出てこないでしょうね。
by starwars2015 (2020-02-15 16:56)
こんにちは。
人格者って何だろう?と考えさせられました。
一個人の主観でしかないですね。多数決で決める事でない感じです。
外野・マスコミは「面白くおかしく」伝える傾向あり。
それらの情報に誘導される人々が多い事が問題ですね。
「大丈夫、何とかなるわよ」は・・・
小生も常日頃から感じている言葉です!?(=^・ェ・^=)
by Boss365 (2020-02-15 17:37)
知人宅が、ご近所さんですので、奥様が亡くなられた時も、かなり騒がしかったそうです。
by ヨッシーパパ (2020-02-15 18:22)
野村監督を幸せにしたんだから、少なくとも「人として最低」ということはないと思います。
by skeptics (2020-02-15 18:49)
世間の評価はともかく
野村克也さんにとっては
最高の奥さんだったことは間違いなさそうです。
by そらへい (2020-02-15 19:51)
家族間の事、夫婦間の事は当人同士でしか分からない事があり、あまり他人が口を出す余地は無いのかも知れないのですが、サッチーに先立たれた時に涙を流していた姿を見てお互いにとっていい夫婦であったとは察せらました。
by ヤマカゼ (2020-02-15 22:37)
完璧ではない妻こそが、妻としては完璧なんだと思います。仮に一点の非の打ち所もない完璧な妻がいたら、夫の人生は妻を言い訳にできない自己嫌悪の連続でノイローゼになりそうです。ほどほどに悪態つきながら仲良くやっていくのがいいですよね。
by サボテン (2020-02-15 23:05)
そもそも外面がいい人間に限って、家の中では最低だったりしますからね(笑)。
私も個人的にはサッチーは嫌いでしたが、あの人が偉大な野村克也を創ったのは間違いないと思います。
by JUNJUN (2020-02-16 00:36)
良い人間同士なら良い夫婦になれるとは限らないでしょう。
人に嫌われてきた人、何か欠陥はあるのでしょう。
そんな夫婦でも相性が良ければ良い夫婦になるのだと思います。
どうせ完璧な人間なんていないですからね。
私のところもレベル高くない人間同士ですが仲の良い夫婦です(笑)
by HOLDON (2020-02-16 08:31)