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障碍を「個性」と“優しく”表現するのは差別や偏見の裏返しか [障害者]

障碍を「個性」と“優しく”表現するのは差別や偏見の裏返しか

障碍は個性、という言い方があります。しかし、発達障害の子を持つ親御さんの間でも、実はこの表現については賛否が別れています。障碍は個性、という言い方、聞いたことありませんか。もしくは、ご自身で使ったことがありませんか。今日はこのことについて述べてみます。


情緒的には否定しないが、やはり使うのは慎重に


いきなり結論から述べますが、「障碍は個性」という表現。

障碍を、強力な個性にするくらいのポジティブな気持ちが大事、という文芸的、情緒的な意味ならその気持ちは否定するものではありません。

が、教育や福祉の面から考えると、やはり批判的、懐疑的な意見もあり得るだろうと思います。

「障碍は個性だ」という意見


障碍者の親御さんには、その「耳触りの良い」主張を喜ぶ人もいます。

それを後押しするかのような主張としてしばしば引用されるのが、岡田尊司医師の『発達障害と呼ばないで』(幻冬舎)という著書です。



本書中で、定型(発達障害ではないという意味)かそうでないかは、「“健常”とか“障害”とかいうよりも、情報処理のタイプの違い」であるから、「優れている」かどうかではなく、「血液型」の違いのようなものだとしています。


しかし、現実にその「違い」には、配慮や理解を必要としていることを、この医師はご存じないのでしょうか。

たとえば、重度の知的な障害や、多動、他害をもつ人は、介護者なしには暮らせません。

サポートがなくても暮らせる健常(定型)と、同列の「違い」と見なさい、ということには無理があります。

「障碍は個性ではない」という意見


その一方で、障碍は断じて個性ではない、という意見の親御さんもおられます。

障碍を「不自由なこと」ではなく、たんなる「性格の一つである」ように“優しく”表現することは、具体的な配慮や療育についての道筋を掃き清めにくくするからです。

だって、もし個性なら、「特別な配慮はいらない」という理屈が成り立ちますから。

せっかく、発達障害の研究が進んでいるというのに、障碍者の支援と理解において後退を意味する表現というわけです。


障碍は個性とは別のものと説明されている動画


Facebookに、ONE MEDIAが発達障害についての入門的動画を投稿しているのでご紹介します。


あくまで概論中の概論動画ですが、障害と個性の関係について、若干触れているのでその部分を要約します。

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「発達障害」って言葉が広がって、「個性」を障害だと思っちゃう人も増えてるけどそれは違う。

子供の頃から「ちょっと変わっている」ことに困って病院に行って診断されることが多い。

カサンドラ症候群と呼ばれるが、発達障害のパートナーが疲れてしまうことも問題になっている。

人とうまくコミュニケーションが取れない私って「コミュ障」なのかなとか、細かいミスを直せないのは努力が足りないせいとか悩んで、自分を責めてる人って結構いると思うが、診断のつく「障害」の場合もあり、サポートを受けることもできるって、もっと知られても良いのかもしれない。
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要するに

1.障碍=個性ではない
2.個性なら医学的診断はつかないが、障害なら医学的診断がつく

と言っているわけです。

概論中の概論しか触れられていませんが、それでも、個性と障碍を分けて説明していることが興味深いと思いました。

障碍者の世界ではデリケートな表現



近視は、たんに「目が悪い」だけで「個性」とはいいません。

なのに、視覚障害になると「個性」になるのは変ですね。

そう表現するのは、障碍を「不自由なこと」ではなく、たんなる「性格の一つである」かのように“優しく”表現することが、思いやりだと考え違いをしているからかもしれません。

善意の勘違いならともかく、中には、そんな思いやりができる自分てすばらしい、という自己愛の持ち主かもしれません。そこまでは言いすぎかな。

いずれにしてもそれは、“優しく”表現して下駄を履かせることで「障碍者を普通の人並みに扱う」、実は差別や偏見の裏返し的表現とも言えます。

ですから私は、もっと端的に、個性だ何だとまわりくどい比喩はせず、障碍は障碍。そういうものだと理解する、それだけでいいと思います。

いずれにしても、障碍者の世界ではそれがデリケートな表現である、ということだけは覚えておいていただければ幸甚です。

障害は個性か―新しい障害観と「特別支援教育」をめぐって
障害は個性か―新しい障害観と「特別支援教育」をめぐって

私の障害、私の個性。

私の障害、私の個性。

  • 作者: ウェンディ ローソン
  • 出版社/メーカー: 花風社
  • 発売日: 2001/05/01
  • メディア: 単行本



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コメント 15

PopLife

個性とはなんぞや?
と言ったところから先ずは言及しなくては
と、言い出すとこの講義は来週にもまた繰り返される
おかしな結論、ありきたりな結論に終始するのは
目に見えているかのようです。何れにしろ
困っている方を簡単に手助けできるのであれば
お手伝いしましょう適菜事ではなかろうかと思いますが。
と言った訳でではまた、
ありがとうございました。
by PopLife (2019-12-02 10:34) 

pn

安楽死同様個性と言う事にして支援から手を引きたいのかも。
by pn (2019-12-02 11:56) 

扶侶夢

北欧では日本の様な障碍者意識はなくてハンディキャップという言葉を使っています。彼・彼女たちは“社会的弱者でありマイノリティ”なので人々の協力が必要なのです。この理解の仕方が私が北欧に感心した部分です。
by 扶侶夢 (2019-12-02 14:25) 

足立sunny

身体の機能障害と精神障害(脳障害)を同じテーブルに乗せて「個性」うんぬんを議論してたら、何にも先に進まないでしょうね。機能障害はまず外して、と思います。
日常的に他者にはわかりにくい精神障害者をどう扱うか。
支援や特別な周りの協力が不要と思う方は個性、支援が必要と思う方は障害と使い分けたい人がいるんじゃないでしょうか。精神障害の範疇は広がり過ぎで、健常者なんてだれもいないんじゃないのと思っています。
by 足立sunny (2019-12-02 17:24) 

ヨッシーパパ

なかなか難しい問題ですね。
by ヨッシーパパ (2019-12-02 17:47) 

starwars2015

個性なんだからいいじゃんと言う考えはどうかなと思います。
ハンディキャップなんだから周りがケアしたり、理解したりすることが必要なんじゃないかなと思います。
by starwars2015 (2019-12-02 17:58) 

なかちゃん

『そんな思いやりができる自分てすばらしい、という自己愛の持ち主かもしれない・・・』というふうに自分で思うのが嫌で、ちょっと立ち止まってしまう問題ですね。
ボクの親方日の丸の職場にも自分で自分を『自閉症』と言っているのがいます。その人は医者から診断書も出ていて障碍者手帳も持っています。
ただ、ボクと話している時は普通なんですね。
ちょっと他人の話に口を突っ込むことが多いようにも思えますが、それでも気になるほどではないです。
そんな彼が自分で手帳のこととかを持ち出して自分で線を引いてしまうのを『もったいないな』と思ったことは何度もあります。

by なかちゃん (2019-12-02 18:54) 

KINYAN

コメントありがとうございました。
ほんとうに難しい問題ですね。
by KINYAN (2019-12-02 19:13) 

そらへい

少なくとも、健常者が押しつけることは出来ないですね。
by そらへい (2019-12-02 21:09) 

skeptics

デリケートな問題ですね
by skeptics (2019-12-02 23:11) 

ナベちはる

難しい問題ですが、実際に生活に支障が出ていれば「個性」(と言われるもの)はもはや「個性」ではないようにも思います。
by ナベちはる (2019-12-03 01:03) 

ヤマカゼ

卑怯な言い方かもしれませんが、実際に経験をされて苦労されているいっぷくさんの思いが一番正確なのでは。


by ヤマカゼ (2019-12-03 06:56) 

さすらいの話師

「個性」だけど、「個性」といって終わっちゃう感じに違和感があるんですよ!ただ、使ってる側に悪意は無いのが何とも…。
by さすらいの話師 (2019-12-03 08:27) 

Rinko

当事者ではないので、この言葉に出会う度に「ホントにそう言っていいのかな?当事者やそのご家族はどう思っているのかな?」という小さな疑問が頭の中をよぎっていました。

by Rinko (2019-12-03 08:50) 

犬眉母

どういう意図かにもよると思いますが、
確かに「障碍は障碍」とシンプルに捉えれば
余計な「例え」は不要かもしれませんね。
by 犬眉母 (2019-12-05 01:17) 

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