昭和の伝説の歌手となった山口百恵が、日本武道館のファイナル・コンサートを行ったのが1980年10月5日でした。最後のステージで最後に『さよならの向う側』を歌ったあと、そっとマイクを置いて舞台裏に去ったことが今も語り継がれます。山口百恵の歩みを駆け足でまとめます。
花の中三トリオと『スター誕生!』
山口百恵といえば、花の中三トリオとして芸能生活をスタートしました。
日曜日午前11時から放送されていた日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』で生まれたことから、森昌子、桜田淳子とともにスタ誕三人娘ともいわれました。
『日刊ゲンダイ』(2018年5月17日付)より
番組ができたいきさつは以前も書きましたが、当時隆盛を極めたナベプロ(渡辺プロダクション)が、自分の意のままに番組編成を動かそうとしたため、日本テレビは反発。
ナベプロに頼らない、タレント供給と番組作りを目指したオーディション番組が『スター誕生!』です。
輝いていなかったことを逆手に取った
三人の中で、デビューも一番遅く、また売れるのも出遅れたのが、山口百恵でした。
長く司会を努めた萩本欽一によると、同番組の合格(デビュー)者では、予選で1番に輝いていたのが桜田淳子、2番目は会場の得票だけで合格ラインに達した石野真子、そして最も輝いていなかったのが山口百恵だったといいます。
ただし、母親と妹の3人で暮らして新開配達で家計を助けている山口百恵には、立っているだけで執念と哀愁を感じさせ、「それは百恵ちゃんと
清水由貴子(09年に自殺)の2人だけだったね」『アサヒ芸能』(2013年1月3.10日)と語っています。
当時のホリプロ小田信吾制作部長も、「当時はアグネス・チャンや桜田淳子など、明るさだけのアイドルが多かった。しかし、百恵には他のアイドルにはない“陰”があった。そこに強くひかれたんです」(「日刊スポーツ」95年7月14日付)と述懐しています。
デビューは、「普通のアイドル」としての『としごろ』でしたが、サッパリ振るわずで、同じ中学に通っていた桜田淳子に大きく水を開けられます。
「当時の百恵は華やかさにおいて淳子に、歌唱力において森昌子に差をつけられていて、どこか暗く地味な印象をもった少女にすぎなかった。太い足と腕、均衡のとれていない体型は、あらゆる意味で百恵に不利なように見えた。ただ彼女の三白眼と太い唇は、何か心の奥底に深く抑圧されたものの所在を暗示させるのだった」(四方方犬彦『女優山口百恵』)
2曲目からは、千家和也作詞による青い性典路線に切り替え、「あなたが望むなら 私何をされてもいいわ」という大胆な歌詞の『青い果実』(73年9月1日)「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」の『ひと夏の経験』(1974.6.1)など、通常のアイドルには歌わせにくい歌を歌わせました。
そして、東宝映画では『伊豆の踊り子』など不幸な女性を演じる「文芸路線」を撮り、松竹で青春映画を撮り続けた桜田淳子と対を成し、個人的に決別したわけではないのですが、高校も別なところを選択しました。
青い性典から横須賀突っ張り路線へ
「青い性典」路線は、あくまで「性的に未成熟でありながら」性的に挑発する路線であり、山口百恵自身が歳を取ることでその方向性も変えていかなければなりませんでした。
そこで次にかじを切ったのは、横須賀突っ張り路線でした。
「これっきり、これっきり、もう、これきりですか」というフレーズが口ずさまれた13枚目のシングル『横須賀ストーリー』(1976.6.21)以来、作詞・阿木耀子、作曲・宇崎竜童のコンビが中心になりました。
山口百恵の「執念と哀愁」に、劇画チックな阿木&竜童ワールドがマッチして、なかなか到達できなかったオリコン1位にも輝きました。
また、年頃の女性になったので、ただ暗いだけでなく、ドラマや映画で共演する三浦友和とのモモドモコンビを意識的に売り出しました。
『夢先案内人』(1977.04.01)では、第6回東京音楽祭世界大会で参加17曲と競い、銅賞を受賞しました。
ところが、これから伝説を作ろうというときに、「私の好きな人は、三浦友和さん」とコンサート会場で宣言した山口百恵は、寿引退を選択しました。
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芯の強さも見せた
レコード大賞のようなビッグタイトルはなく、これからという21歳でしたが、清潔で凛々しい山口百恵のままで引退できたことはよかったのではないかと思います。
萩本欽一が、「執念と哀愁」と表現しましたが、彼女に対する評価が芳しくなかった阿久悠の作詞提供は全く受けず、芸能スキャンダル記事を書いた出版社や実父との裁判では、妥協なく戦い続けるなど、芯の強さも見せました。
引退後に山口百恵を知った方々は、隠し撮りされたおばさんとして、たまにメディアに登場させられる三浦百恵さんを、どんなふうに見ているのでしょうか。
「スター誕生」と歌謡曲黄金の70年代 夢を食った男たち (文春文庫)
蒼い時 (集英社文庫)
ラジオで中島みゆきが、山口百恵の「しなやかに歌って」をかけながら、一番上手かったと言っていた記憶があります。
世間でいう歌唱力とか音程ではなくて、心に訴えるものがあるというように…
反対に淡谷のり子は、批判的だったそうですが…
by えくりぷす (2019-10-05 10:59)
山口百恵、引退してから全く表に出てきませんね。
グーグルアドセンスの記事書きました。
https://nikki-no-blog.blog.ss-blog.jp/AdSense2019-10
やっぱりSSブログではAdSenseは使えない?
私の勘違いであってほしい記事。
同様の状況を複数の方からいただいてます。
SSブログサポートへ問合せ予定。
by nikki (2019-10-05 12:02)
確かに。ドキドキする内容の歌を歌っていましたね。
by ヤマカゼ (2019-10-05 12:17)
姉が大ファンだったのでよく聞かさせてたなぁ。そんな姉の影響を全く受けず俺はアニソン特ソンCMソング大好き人間になりました(笑)
by pn (2019-10-05 15:42)
百恵ちゃんの引退コンサートは昭和史に残りますね!
最近、某週刊誌に隠し撮りした顔写真が掲載されてましたが、普通の街中にいる叔母さん顔でしたね。確かに、引退時の顔のままでいる方がおかしいですけど!
by 我流麺童 (2019-10-05 16:34)
暗い印象だったので家ではテレビ百恵ちゃんの
映る物は見せてくれませんでしたわ
引退して良かったんだと思います
by みうさぎ (2019-10-05 17:38)
こんばんは!
百恵ちゃん、どんなおばあちゃんに変身してるかな?
でも、永遠の百恵ちゃん・・そっとしておきたいですね!
by Take-Zee (2019-10-05 18:11)
三人娘の中では、桜田淳子ファンでした。
by ヨッシーパパ (2019-10-05 18:17)
山口百恵さんの大ファンです。
赤い運命というドラマ、毎回欠かさず見ていました。
by starwars2015 (2019-10-05 18:59)
「赤い」シリーズはずっと見ていましたが、「いい日旅立ち」がなかったら歌手山口百恵のファンにはならなかったかもしれません。
by 足立sunny (2019-10-05 20:35)
いい歌を歌っているのに、ベストテンにはランキングされ人気もあるのに、レコード大賞や新人賞などのビッグタイトルに全く縁のない彼女を、私の周辺では「無冠の女王」と呼んでいました。
by 扶侶夢 (2019-10-05 22:12)
三人娘の中ではいちばん惹かれましたね。
やはり影の部分でしょうか。
by そらへい (2019-10-05 22:12)
デビューしてすぐにファンクラブに入りました。
レコードも全部買いました。
by こんちゃん (2019-10-06 04:07)
復帰しないことで、伝説化されていった面もありますね。
by 犬眉母 (2019-10-08 10:07)
私も大ファンでした。
彼女の毅然とした生き方が大好きです。
by 風の友 (2019-10-16 23:48)