灰田勝彦さん(1911年8月20日~1982年10月26日)の生まれた日です。ハワイに移民経験を持つ灰田勝彦さんは、立教大学時代に兄の作ったハワイアンバンドに加入。戦後、駐留軍の影響で、日本にハワイアン音楽のプロ・アマバンドが流行した頃、ボーカル・ウクレレ奏者として活躍しました。
ハワイアン・ミュージックとはなんだ
先日、
アレサ・フランクリンさんの記事で、「ソウルミュージックとは、1950年代~1960年代の初期、アフリカ系アメリカ人による、ゴスペル(教会の福音歌)、リズムアンドブルース、ジャズなどから発展してできた音楽の体系」と書きました。
ちょうどその頃、日本の歌市場は、ハワイアン・ミュージックがブームだったとされています。
ハワイアン・ミュージックというのは、ハワイで演奏される民族音楽やポップスなどをいいます。
「されています」と書いたのは、私はその頃、生まれていなかったので、もっぱら本の知識です。
当時は、渡航が今ほど自由ではないため、日本人にとって、ハワイは今以上にあこがれの観光地でした。
アメリカのフォークソングが、日本に来たら“四畳半フォーク”になってしまうように、中華料理が“ラーメン”になってしまうように、日本のハワイアンは、先住民族の伝統音楽とは趣が異なるかもしれませんが、ハワイの「きらめく太陽」「ワイキキ」「ウクレレ」など、もっぱら明るい面をイメージするハワイの歌が作られました。
灰田勝彦さんの歌手としてのキャリアは、ハワイアンだけではないのですが、灰田晴彦・勝彦兄弟やバッキー白片、立教大の先輩であるディック・ミネなどがハワイアン音楽を歌い、昭和20~40年代にかけて華やいだ時代を作っています。
灰田勝彦さんの功績は大きく、60年代にリリースされた楽曲を見ると、石原裕次郎、橋幸夫、舟木一夫、梓みちよといった、すでに自分のブランドが完成している人たちでさえも、ハワイアン・ミュージックの歌をリリースしています。
「ハワイアンを歌わない人は歌手ではない」というほどのトレンドだったのかな、という気がします。
ということで、ハワイアンつながりで、ご紹介しておきたい方々です。
和田弘とマヒナスターズ
ハワイアンバンドといえば和田弘とマヒナスターズ。『惚れたって駄目よ』などは、典型的なハワイアン調です
ムード歌謡の記事で書きましたが、ムード歌謡は、黒沢明とロス・プリモス、鶴岡雅義と東京ロマンチカを東西横綱とするなら、この和田弘とマヒナスターズは殿堂入りではないかと思います。
多少なりとも楽器に興味がある方は、和田弘さんのスチールギターと、鶴岡雅義さんのレキントギターの、むせび泣くような音色にシビれると思います。
鶴岡雅義さんがギターを教えてくださるなら、今からでも教わりたいくらいです。月謝が高いでしょうから多分ダメですけど(笑)
日野てる子
私の記憶では、ハワイアン歌手というと
日野てる子さんを思い出します。
コマーシャルソングまでハワイアンです。
長い髪にハイビスカスをさした、丸顔でおめめパッチリというのは、幼心に輝いて見えました。
その他、ハワイアン歌手という形容が出来る人としては、大橋節夫、尾崎紀世彦、渚ゆう子など。
私の認識では、ハワイアンと言える歌は、チェリッシュの『
渚のささやき』(1974年7月25日)が最後だったのではないかと思います。
現代は渡航自由で、情報も文化も人もボーダレス化している上、テクノポップなど、音響技術を利用したジャンルも登場しました。
ですから、民族歌謡や伝統文化の歌が、流行してメジャーシーンに登場することはもうないかもしれません。
しかし、あらためて聴いてみると、今もまだ輝きは失われていない名曲もたくさんあるように思います。
いやしのハワイアン・ミュージック
NACK5で小錦さんがハワイアンを紹介しているのを拝聴してました。
ウクレレを演奏し声が裏返るような歌を歌っていて、ハワイの方も沖縄の方もよくあんなに高い声がでるもんだと感心して聞いてました。
by ヤマカゼ (2019-08-20 06:21)
あこがれのハワイ航路は別ジャンルか(^_^;)
ハワイだと最近ポンと浮かぶのは小錦かな?古いか(笑)
by pn (2019-08-20 07:16)
ウクレレの音がとても好きです^^
自分のヨガクラスの時に流す曲にもウクレレ音楽をよく使います♪特にイズラエルさんの歌うオーバーザレインボーは大人気です。
by Rinko (2019-08-20 07:34)
こんにちは!
芸能人に憧れたりミーハーしませんでしたが、
日野てる子さんは大好きでした、初めて買った
レコードは彼女の”南十字の星に泣く”でした。
by Take-Zee (2019-08-20 15:13)
灰田勝彦さんなんかぁ
懐かしいです
by みうさぎ (2019-08-20 16:21)
大橋節夫さんは生で聞いています。
有楽町だったか銀座だったか。
by lamer (2019-08-20 16:28)
当時はハワイに行くにも、1ドル360円でかなり大変のようでしたね。
by ヨッシーパパ (2019-08-20 19:14)
「ハワイアンを歌わない人は歌手ではない」とまで言わせるほど、ハワイアン・ミュージックはかなりの影響力があったのですね。
by ナベちはる (2019-08-21 01:15)
ハワイアン…ありましたねぇひとつのジャンルとして。勿論今でも健在なんでしょうけれど、当時のハワイというのはグァムが登場するまだ少し前で、日本人にとって“一番近い外国”として楽園的なポジションだったように思います。
スチールギターの響きがハワイアンには欠かせないものでした。
by 扶侶夢 (2019-08-21 17:56)
ハワイアンというと、ウクレレの
明るく楽しい音色をイメージします。
by 犬眉母 (2019-08-22 01:32)