「運」という迷信はないと強弁する人が実は非合理主義者という話 [トレンド]
「運」の話を久しぶりに書きます。巷間、さも科学的合理的であることを標榜する人が、「『運』などは存在しない」と言い張るのですが、そういう人に限って客観的なもののありようを素直に受け入れられないようです。「運」は存在するという話です。
このブログで、書籍『放射線医が語る福島で起こっている本当のこと』などをご紹介したことがある放射線の中川恵一医師が、ぼうこうがんを発表して話題になっています。
【シリーズ「がんと生きる」より】
— がんサバイバー・クラブ (@gsclubjp) June 19, 2019
「がんになったこともない先生に俺の気持ちがわかりますか?」
患者さんにそう迫られたこともあったという東京大学医学部附属病院の中川恵一准教授。
がんになって、本当の意味での「医療のリアリティー」を体感したとその思いを話してくださいました。
中川恵一医師は、がん治療の最前線や、原発事故に関連した放射能被爆と健康被害について、これまでにも書籍や談話など発表されていましたが、ご自身のがん体験を加え、今まで以上にがんについての文章を積極的に発表しています。
たとえば、最近リリースされたこのエッセイによると
「遺伝が原因」 5%にすぎず(2019/06/26)
http://www.u-tokyo-rad.jp/staff/data/nakagawa_serial_nk190626.pdf
1.がんは「遺伝子の病気」ではあるが、おおむね「遺伝の病気」ではない
2.わかっている因子を避ければリスクは減るが、ゼロにはならない
というところから、
がんは運にも左右される病気です
と結論づけています。
実はこれは、以前からの中川恵一医師の持論でありますが、それだけではないのです。
ジョン・ホプキンス大学の数学者と、遺伝学者の報告(2015年6月)でも、おおまかに7割近くが幸運か不運かで明暗が分かれる、すなわち「がんは運」であると考察されています。
ところが、一部には、「運」という言葉を使うと、なにか神頼みで自分で因果関係に責任を持たない、非科学な態度であると思いこんでいる思考の硬直した人がいるようです。
このブログでも、中川恵一医師らの話をすると、「私は運などというものはないと思っている」と度々コメントして、私がまるで、オカルトな記事を書いているかのように批判されて困惑しています。
その人が、霊や超能力のようなオカルトは容認できない、というのは結構です。
しかし、それと運を一緒くたにするのは誤りです。
中川恵一医師が「運」と表現したのは、今の医学は、こういう生活をしていたらがんになる(ならない)ということをはっきりと言い当てるだけの水準にきていないので、残念ながら医学的にはわからないこと、つまり「原因への合理的な接近を試みた言い方ではない」ものとして、「運」という言葉を便宜上使っています。
ですから、今は「運」でも、将来は必然なものとして医学で解明されるかもしれません。
つまり、今は7割は原因がわからなくても、それが医学の発展とともに少しずつ数字が減っていくことは十分ありえます。
「運」というのはオカルトどころか、その指すものは科学が追いつくべき高次なテーマなのです。
一方、いわゆる霊や超能力は、最初から科学的課題とせずに、人間には見えない・科学ではわからない力や存在があると勝手に決めつけた表象に過ぎませんから、いうなればその哲学は科学とは相容れないものです。
ですから、運と、霊や超能力などは、全く次元の違う概念なのです。
××××さん、おわかりいただけましたか。
人生は偶然と必然で成り立っている
人生は万事、偶然と必然によって成立しており、その「偶然」の部分を主観的に「運(がいい・悪い)」と表現しているのです。
そして、世の中はまだ、科学的にも日常的にも、「運」という言葉を使うしか説明のつかないことにみちています。
運動して、規則正しい生活して、タバコを吸わなくても、がんになる不運。
運転がうまくても、規則を守って慎重に運転しても、事故に遭う不運。
コンプライアンスを守って仕事を真面目に行っても、クレーマーから裁判で訴えられる不運。
自分の能力や心がけという「必然」だけで、自分の人生から不運(偶然)を完全に遠ざけ、コントロールすることはできないのです。
もちろん、だからといって怠惰な生活でもいい、がんの因子など全く無視して暮らしてもいい、という免罪符にはなりませんが、少なくとも人生には、「運を天に任せて」おおらかに生きる、つまり「なるようにしかならない」という開き直りのようなものも、時として必要なのかもしれないなと思いました。
「運」は気にされますか。
冒頭のイメージ画像
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偶然と必然―現代生物学の思想的問いかけ
今、こうして生きているってだけで運が良いと俺は思ってます。一寸先は闇ですよね、自分で作る不幸もあれば向こうから不幸が近寄ってくる事もある。
by pn (2019-08-04 21:21)
>人生は万事、偶然と必然によって成立しており
その通りだと思います。だから無視はしません。そしてどうしても自分の力の及ばない物事もこの世にはたくさんあることも事実ですね。それらとどの様に付き合うか…これが人間の精一杯の努力かも知れません。
by 扶侶夢 (2019-08-04 23:01)
なんでもかんでも「運」というのも違うと思いますが、反対になんでもかんでも「運命」というのもまた違うでしょうし、何かすれば必ずこうなるというものでもないので、おっしゃる通りに「なるようにしかならない」と開きなるのも必要だと思います。
by ナベちはる (2019-08-05 00:42)
自分も運に助けられた一人です。健康診断の血便検査で陽性反応が出たのですが、それは単に肛門部分が切れた血液反応でした。でもこれもキッカケなので一応検査しましょうと言うことになり、悪性のポリープを発見することが出来ました。もし、陰性反応で放置状態だったら今頃どうなっていたか分かりません。
だた、今現在は別の意味で運から見放されたと思っているのが現状ですけど(^_^;)
by kou (2019-08-05 07:57)
難しいことは抜きにしても、運とかツキとかってあると思いますよ。
今朝はやたらと信号に引っかかるとか、ラッキー、100円落ちてたとか程度のやつね(^^;
by なかちゃん (2019-08-05 07:59)
↑まさに私も「信号」の話しをしようとしていました。^^;
私も「運」はその程度でしか考えてませんね〜。
やるだけやったら、後は「なるようにしかならない」と思ってます^^
by Rinko (2019-08-05 13:12)
全然関係ないのですけれど、麻雀は運の強い人が勝つゲームと自分では思っています。上手くても運が強くないと勝てません。
癌や難病などの病気になるかならないか、大事故などにあうかどうかは、運というよりも次元の違う別の未明な要因によるのではないかと。まあ、天運と言ってしまえばそういうことなのでしょうけれど。
by 足立sunny (2019-08-05 17:04)
運を否定ですか?
ちょっと理解しかねるかも。
自分の努力や計算だけで、人生全部通ったら苦労ありません。
by 犬眉母 (2019-08-05 21:50)
今の自分が生きているのも"運"に助けられたと思う一人です。
20年前に「くも幕下出血」で倒れましたが、自宅であったこと、妻が異常に気が付いてくれたこと、近所の緊急病院から大学病院に転送されたことが重なり、術後の後遺症もなく生活できてます。
でも"くじ運"は全然ないです。"運"を使い果たしてしまったかな?
by 我流麺童 (2019-08-06 06:08)