“無理に生かすな”という平穏死の大合唱は相変わらずトレンドです。今回は、『NHKクローズアップ現代+』で、看護師僧侶の玉置妙憂さんの“穏やかな最期を迎えるための活動”がネットで感動の嵐です。しかし、私はその“教え”に、“がんもどき理論”と同じ矛盾を見つけました。
看護師僧侶の玉置妙憂さんは、穏やかな最期を迎えるための活動をしているそうです。
夫が亡くなる時、最初は無治療に反対をしたのに、夫は抗がん剤はおろか点滴も1本も使わず、枯れるように“キレイに”亡くなって考えが変わったそうです。
そして、延命治療をせずに人が亡くなる時の自然なプロセスなど、いずれ大切な人を看取るときのために、私たちも死について知っておくと良いといいます。
以下は、動画から抜粋した玉置妙憂さんの“教え”です。
“つながり孤独” NHKクローズアップ現代+
もうじき死ぬということは
当たり前として
食は細くなります。
周囲はそれがわかりませんから
心配して病院に連れて行きます
栄養を入れれば餓死は免れます
とはいえ着地体制に入った人が
もう一度元気になって歩けるようになるということではありません
大切な人をみとるたきのため家族も知識持ってほしいという
亡くなる2週間から1週間ほど前になると
たんが増えてのどからゴロゴロ音がします
苦しいだろうと心配になりますが
端から思うほど本人は苦しくないと言われています
亡くなるまで24時間を切ると
あごを上下に動かしてする下顎呼吸が始まります
人が亡くなる際の自然のプロセスです
赤字部分が、今日の突っ込みどころです。
何をもって“着地体制”とみなすかは、医療従事者なのに、明らかにしていません。
これはおかしいですね。
つまり、高齢で食が細くなった人はすべて“着地体制”とみなして、静かに殺しましょうと言っているわけです。
もしくは、亡くなってから後ろ向きに、思うにあれはきっと着地体制だったと言って、「食べさせてあげればよかった」と悲しむ家族を慰めているのでしょうか。
もう亡くなってしまった人に、意味付けをする坊主の慰めならその程度でいいでしょうが、現在生きている人を対象にする医療従事者がそんな観念論では困るのです。
“がんもどき理論”も同じでしたね。
がんは、絶対助からないか、大きくならず自然消滅するがんもどきのどちらかだから、いずれにしても三大療法の、とくに抗がん剤をするなと言う主張でした。
それを池江璃花子さんや、岡村孝子さんの前でいえるのでしょうか。
白血病や悪性リンパ腫は、抗がん剤を使えば助かる可能性があり、使わなければがんもどきもへったくれもありません。必ず死に至ります。
それはともかくとして、では「がんもどき」もしくは「絶対助からない」は、どうやって見極めるのでしょうか。
実はそれは、一部の信者に長年期待させておきながら、いまだに医学的に答えを出していません。
そんな無責任な話がありますか。
答えを出さなければ、論がないのですから、論外でしょう。
話を平穏死に戻します。
人間はいつか亡くなりますが、それはいつかはわかりません。
だからこそ、何の客観的根拠もなく、“着地体制”認定などされたらたまったものではありません。
反証
私の母が、卒寿過ぎて食べなくなり、
半年間点滴だけで過ごしました。
担当医も、「お迎えかもしれない」と言い、点滴を抜くことも勧められました。
しかし、それはおかしいと直感した私は、点滴をつけたまま退院させ、徹底した食事管理を遂行。
1年3ヶ月たった今、退院時より10キロ太って、杖もつかず、腰も曲がらず、普通に生活するところまで回復しています。
こういうビヤ樽みたいなおばあさんたまにいますよね
食べなかった原因は、口腔の汚れと、その他小さな理由がいくつか。
食べないと言うだけで、いきなり「着地体制」などと決めつけず、合理的にその原因を探ることで、死なせずに済む命は今までどれだけあったのでしょう。
次男は母と馴染みが薄く、会うと「おばさん」と呼んでいましたが、この1年3ヶ月で人間関係ができて、「おばあちゃん」と慕っています。
玉置妙憂さんら平穏死万歳派の言うことを聞いていたら、それはなかったわけです。
まあ私も人並み以上に親に対する葛藤はあるのですが、勝手に人の寿命を決めつける風潮にはノリたいと思わなかったし、それでよかったと思っています。
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人間は自分の生死を自分で決めるものではない
数日前、『自殺した人の脳に共通する特徴とは』(ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト)という記事が話題になりました。
論文がいわんとしていることは、本人は自殺しようと思っても、本当にするか、できないかは、自分の意図や自覚とは別に脳が指令を出すというのです。
要するに、生まれるのも死ぬのも、実は自分にはコントロールできない、ということ。
私は自殺を試みたことがありませんので、なんとも言えませんが、昔『ウルトラセブン』や『8マン』という漫画を描いた桑田次郎が、何度も自殺を試みてもできず、人間の深層心理を探りたいと言って漫画家を引退したことがありました。
いずれにしても、せっかく生まれたのですから、自分で勝手に生きることを放棄してはいけないと私は考えていますし、ましてや赤の他人が「無理に生かすな」など、トンでもないおせっかいだと強く指摘しておきます。
死にゆく人の心に寄りそう 医療と宗教の間のケア (光文社新書)
「延命治療がいけない」といいますが、何をもって延命か疑問ですね。
人間なんてどうせ死ぬんだから、老若男女、受ける治療はすべて延命なのに。
by 犬眉母 (2019-06-10 06:16)
いきなり着地しちゃう事だってあるだろうにね。
by pn (2019-06-10 06:21)
玉置妙憂さん、人生の着地体制とはどうやって判断するんですか・・・玉置妙憂という人をわたしは知りませんでしたが、多くの事例を知っているわけではないので大雑把な印象ですけれど、瀬戸内寂聴などもそうですが、「坊さん」関係の「教え」って、どうも納得できないものが多いです。特にこのようにメディアに出てくる人はそうです。
今回の母の不全骨折直後のわたしの感情に任せた考えの中では、いっぷく様のご指摘を受け、大いに反省したり、思考し直してりしているところがあります。本当にいつも大切なご意見、有難うございます。
今夜のお記事に関してもまったく同感でございまして、現在高齢の母の付き添いに多大な力を傾けているわたしにとって、「無理に生かすな」的風潮に対しては常に大きな怒りを感じておりますし、玉置妙憂なる人物が訳知り顔で語っている内容も不愉快極まりないものです。
それにしてもNHKもこの手の内容をよく軽薄に報道しますね。最近のNHKって、割とそのような傾向が目立ちます。『NHKクローズアップ現代+』で取り上げられたこの話題、『NHKスペシャル』などにもなりかねませんね。そして高齢者や重篤な患者たちに対する蔑視が強まる。最近の日本の風潮を見ていると、こうした不気味な雰囲気がますます強まっています。また、「着地体制」という言葉が嫌ですね。根拠もなく勝手に人の寿命を決め付け、しかも取り澄ましたきれいごとにしようとしているのがありありです。そういえば長谷川豊がまた舌禍で公認を取り消されましたが、あのような人物にもまだ少なからぬ支持者がいる世の中ですからね。困ったものです。
いっぷく様のお母様のお話、いつも(凄いな)と感服し、力をいただいております。こうしてお写真で拝見すると、ますます尊敬の気持ちが深まります。
・・・
>誰にも「公平に」そういう医師であった
まあたいがいの場合は、そういうことでしょうね。もちろんわたしの母の場合もきっとその医師に他意はなく、「そのくらいの言い方しかできない程度」の人間なのだと思います。もちろん医師の中にも人間的に優れた人もいるのでしょうが、医療関係者から、「出鱈目な医師」についての情報もいろいろ入ってきます。そのようなことではいけないけれど、現状がそのようになっている点は致し方ないですね。
>5人の中に嫌なヤツが1人いても
確かにそうですね。ましてや大勢働いている看護師を含む病院スタッフの中に未熟な人間、対人関係が上手くできない人間がいない方がおかしいですよね。こうしていろいろお話をうかがっておりますと、いかにわたしが、他人にまで「できた人間」を求め過ぎていたのかよく分かってきました。
>結果が出れば、医師はそれを受け止めます。私は見返してやったと思いました。
そうなのでしょうね。同時に、「普通は」医師に高潔な人間性を求めても仕方ないということもしっかり認識していかねばと反省しました。これもわたしの弱いところではありますが、医師の言動にもつい(いいもの)を期待してしまっているのでしょうね。だから自分の甘い期待に添わない言動が出ると、必要以上に立腹してしまう、そんなところがあるのかもしれません。話はかなりズレますが、女性に対してもちょっとそんなところがありまして、まず自分の中で勝手に「相手の反応」を作ってしまい、それと異なると大きく失望してしまうという反応で、こうして考えてみると、同根であるような気がしてきました。 RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2019-06-10 06:59)
玉置妙憂さんの穏やかな最期を迎えるための活動は、知りませんでした。
すでに、人生の大半を過ごして、普段から、家族に、無用な延命治療をしないでくれと行っている人が、具合が悪くなって、家族が、救急車を呼び、本人が意識が無くなっている状態で、治療をされて、点滴されて、そのまま、意識が戻らずに、ベッドで、点滴、胃瘻を受けながら数年いくるという人が沢山おり、そうなったら、家族も、どうしょうもなくなるという話を、友人から聞いています。
いっぷくさんの反証例も、大変参考になりました。
結局の所、本人が、人生の大半を生きてきても、さらに、生きていきたいと思うかどうか何でしょうね。家族は、その人に寄り添って、介護すると言うことなんでしょうね。
by テリー (2019-06-10 10:18)
こんにちは!
亡き父の年齢を超えるといろいろ考えて
しまいます。 でも避けて通れないですね・・
by Take-Zee (2019-06-10 10:30)
お母様の回復はすごいですね。義父が寝たきりになりそうなところなのですが、嚥下障害で食が細くなっています。簡単なリハビリの本を買って渡したのですが、やってくれているかな・・・。
by 這い上がるママ (2019-06-10 13:48)
自分は点滴や鼻腔などの延命はしてほしくないと常々家族に話してますが、ちょっと考えてしまいました。意向は伝えてますが、後は家族が決めるのでしょうね。
by kou (2019-06-10 19:07)
玉置妙憂さんという方を知らなかったです。初めて知りました。
記事を読んでなるほどと思いました。
病院でも介護施設でも、日本には「10割摂取にこだわり論」があります。とにかく10割、完食するのが良しとして、最後まで食べさせようとします。
例えば5割しか食べないと「大変だー」となりがちです。
しかし人にはそれぞれ調子や思いやらがあります。
そんなに心配しなくても、と個人的には感じています。
食の細い方でも元気に生きている人は、世の中いっぱいいますから。
あと延命。
これは患者本人の意思表示ができない状態になったとき、家族が決めます。
本人が元気なときに延命を望んでいなかったとしても、家族の判断ですることもあります。自分の思いどおりに実行してくれるかは、家族の判断になるのが今の日本のやり方です。
こんなことがありました。
私の夜勤のときでした。
脳の手術後のある男性患者さん。急変して異変に気付きいろいろと処置をしましたが、さらに悪くなり心肺停止になりました。そこで心臓マッサージを始めました。
家族が到着し、心臓マッサージをしているところに来られました。
「もういいです。父は以前からこういうのを望んでいませんでした。もういいです。ありがとうございました。止めてください」
私たちは心臓マッサージの手を止めました。
最後をどうするかはいつも考えます。
自分だったら、自分の親だったら、、、、
私がこれからもずっと考えていくテーマの一つです。
いっぷくさんの記事を拝読して思うのは、いろんな人の考えに触れることは大切と考えています。
いや長文すみません。
いっぷくさんの記事を拝読致しまして、今までの経験が蘇ってきました。
by ピストン (2019-06-10 21:26)
着地体制、一つ間違えると大変なことになりますね…
by ナベちはる (2019-06-11 00:38)