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東八郎、志村けんバカ殿に生涯お笑い芸人を決意させた筆頭家老 [懐かし映画・ドラマ]

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東八郎さん(1936年5月31日~1988年7月6日)の生まれた日です。トリオ・スカイラインで寄席番組にデビュー。その後はコメディアンとして、テレビドラマ、バラエティー、映画、舞台など幅広く活躍したものの、52歳で急逝しました。(画像はDVD劇中より)



トリオ・スカイライン


浅草フランス座出身の東八郎のテレビデビューは、小島三児、原田健二とのトリオ・スカイラインという3人コントでした。

東八郎がボケ、原田健二がツッコミ、小島三児がいいところで茶々を入れ、「ごめんちゃい」とギャグをいうパターンでしたが、小島三児においしいところを渡していたようなコントで、名前が知れてくると解散。

東八郎と小島三児は俳優として独自の活動をはじめました。

としごろ


としごろ

『としごろ』(1973年、松竹)は、ホリプロと松竹の提携作品で、中学女子バレー部の卒業生たちの生活を描いた話です。

中心になっているのが森昌子と松竹で売出し中だった秋谷陽子。

山口百恵と石川さゆり、さらに先輩役で和田アキ子も出ているのですが、部の送別パーティーは山口百恵の兄を演じた東八郎支配人のレストランという設定です。

東八郎

いくら妹のためとはいえ、大きなレストラン貸切で、かなりお金がかかるはずなので、プチお嬢様の役だったのかもしれません。

タイトルも、彼女のデビュー曲と同一ですし、森昌子の下ですが、いい扱いでした。

男はつらいよ寅次郎紙風船


『男はつらいよ寅次郎紙風船』(1981年、松竹)は、寅さんシリーズ28作目で、音無美紀子と岸本加世子が出演した回です。

東八郎は、浅草フランス座で一緒に苦労した渥美清(車寅次郎)の小学校の同級生役で、同窓会でバカにされた寅次郎に最後まで付き合って、とらやに送り届ける役です。

『男はつらいよ寅次郎紙風船』の東八郎

ところが、寅次郎はその悔しさを東八郎にぶつけ、東八郎の経営するクリーニング店の1軒や2軒つぶれたって、どうってことないと言い放ち、がまんできなくなった東八郎が、「間口2間(にけん)の小さな店だが、俺にだってお得意はいるんだ。」と怒って帰ってしまいます。

この回は、渥美清とトリオを組んでいた関敬六はもちろん、小沢昭一、犬塚弘、前田武彦ら、山田洋次監督好みの脇役を揃え、音無美紀子が薄幸のテキ屋夫人を演じていて、地味でしたがいい話だったと思います。

志村けんのバカ殿様


『志村けんのバカ殿様』(1986年~1988年、フジ)は、単発のトーク番組を除くと、東八郎の遺作といってもいいと思います。

バカ殿と掛け合う筆頭家老の役でした。

Wikiには、興味深いことが書かれています。
志村けんは子供からバカにされることに内心憤慨していた時期があったらしく、その際『バカ殿』シリーズで共演していた東に「東さんはその歳になっても、なぜバカな演技ができるのですか?」と尋ねたところ、東から「子供にバカにされるのは芸人として当然のことで、怒っても仕方がない。分かる人は、演者がバカではないとちゃんと分かってくれている。むしろ芸人が利口面をしたがったり、文化人ぶったりするようになったらおしまいだよ」と諭され、大いに感激したという。志村はことあるごとにこのエピソードを披露し、東に対する敬意を表している。
志村けんがコメンテーターにもならず、映画監督もせず、お笑い芸人の領域から逸脱しようとしないのは、これが理由なのでしょうか。

思春期に、父親が校長を目指す教頭の家庭で、食事の時間も私語が許されなかったという“格調高い”育ちである志村けんにとって、皇宮警察官の息子として生まれた東八郎とは、なにか通じるところがあったのかもしれません。

これは、いいエピソードだと思いました。

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“火宅の人”の息子で苦労した幼年時代


もっとも、東八郎は表向きは皇宮警察官の息子ですが、実は父親が“火宅の人”だったそうで、子供の頃からしなくてもいい苦労をずいぶんしたそうです。

そのため、中学を出ると独立しようと考え、田谷力三に弟子入り。

子どもが5人いるのも、寂しい家庭に育ったことと無関係ではないと、坂上二郎父子が司会を務めていた『二郎さんのOh!マイおやじ』(1975年4月6日~1976年3月28日、朝日放送/テレビ朝日)というトーク番組で打ち明けていました。

トーク番組での東八郎は物静かで、預かり弟子(萩本欽一)の相方に当たる坂上二郎に対しても、折り目正しい口調だったのを覚えています。

芸と違う「素」を見せることについての是非はあるかもしれませんが、私は東八郎の人柄を知ったことで、先の『男はつらいよ寅次郎紙風船』で、どうして山田洋次監督がキャスティングしたのかが少しわかるような気がして、これも聞いておいてよかった話です。

しかし、そうした生き様をこれから存分に表現しようという52歳で早逝してしまいました。

浅草で、渥美清、由利徹、三波伸介、 伊東四朗、東八郎、萩本欽一、ビートたけし…が歌った、踊った、喋った、泣いた、笑われた。
浅草で、渥美清、由利徹、三波伸介、 伊東四朗、東八郎、萩本欽一、ビートたけし…が歌った、踊った、喋った、泣いた、笑われた。

ありがとう笑名人〈第1巻〉三木のり平・由利徹・笑福亭松鶴・東八郎・古今亭志ん朝 (笑芸人叢書)
ありがとう笑名人〈第1巻〉三木のり平・由利徹・笑福亭松鶴・東八郎・古今亭志ん朝 (笑芸人叢書)

志村けんのバカ殿様 DVD-BOX

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コメント 10

犬眉母

父親が火宅の人で、見かけが派手な芸能界にいても
自分がそうならなかったのは立派ですね。
by 犬眉母 (2019-05-31 02:29) 

末尾ルコ(アルベール)

東八郎、志村けんバカ殿に生涯お笑い芸人を決意させた筆頭家老・・・東八郎は52歳で亡くなったのですか。若かったのですね。ただ、東八郎という人はよく覚えてますし、テレビでもちょいちょい見ておりましたが、トリオ・スカイラインという名前は知りませんでしたし、東八郎の芸自体もあまり見た記憶はありません。その名や存在感はとても大きかったと思いますが。
『としごろ』のような作品は、今観たらとてもおもしろく鑑賞できそうです。森昌子も山口百恵もなかなか髪の毛が濃いですね。

>どうってことないと言い放ち

この、「つい言ってしまう」というシーンの作り方が絶妙ですよね。そこまでに寅次郎が精神的に追い込まれ、心ならずも好意を持っている相手に悪口を叩いてしまう。この心理過程がとても構築的だと思いますし、山田洋次の名人芸ですよね。

>コメンテーターにもならず、映画監督もせず

そう言えばそうですよね。東八郎の言葉に学んでいたのだとすれば、素晴らしいことですね。昨今のお笑い芸人たちのカッコつけの見苦しさは目に余りますから。お笑い芸人たちの多くが、(ただのお笑いに見られたくない)という自意識が満々で、わたしなどはそうした雰囲気を感じるだけで、その人の芸を見る気が無くなってしまいます。

>折り目正しい口調だったのを覚えています。

誰に対しても礼をもって接するという原則を持っている人っていいですね。誰に対しても横柄な態度の人や、相手の社会的ポジションであからさまに態度を変える人が多いですからね。東八郎については「ひょうきんなおじさん」くらいのイメージしか持ってなかったわたしですが、今夜のお記事で多くの新しいことを知ることができました。

・・・

>4人部屋ぐらいがちょうどいいですね。

確かにそうだと思います。ちょうどくらいの感じで意識が分散されますね。6人は多いですし、二人だと気が合わなかったら気詰まりになるでしょうね。なにせ今回驚いたのは、だだっ広い個室がこれほどまで母の精神を追い詰めるものかという点です。母は頑固なところもありますから、個室が合っているのかなと思っていたのですが、それは大間違いでした。リハビリ病棟の4人部屋へ移って間もないですが、まだ問題行動(ベッドから出るとか)が無くなっているわけではなりませんが、(精神錯乱を起こすのではないか)とわたしも怖れたような状態ではなくなっております。

ところが、実は昨日怖れていた事態が生じてしまいました。記事としてアップするのは少し先になりますが、母が5度目の転倒をし、大腿部の不全骨折をしてしまったのです。治療は保存療法ということになりましたが、「完治まで3か月」と言われましたし、当分ベッド上安静で、リハビリも遅れますし、そろそろ見えつつあった退院時期もかなり伸びるでしょう。さらに長引く入院期間に、母の身体、そして精神状態がどうなっていくかを考えると苦しいです。そして同時に、もう病院に任せっきりにはできないと、強く感じております。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2019-05-31 03:47) 

ヤマカゼ

東さんというと最初の左下の写真が浮かびます。若いときから人気だったのですね。
by ヤマカゼ (2019-05-31 06:01) 

pn

今の高学歴の雛段芸人に聞かせてあげたい。
by pn (2019-05-31 06:22) 

Rinko

東八郎さんは印象的な方でした。それぞれの人間性って言葉じりにも出てきますね。

by Rinko (2019-05-31 07:40) 

cooper

素敵な方だったんですね。
長生きして 多くの作品を 見せて戴きたかったです。
by cooper (2019-05-31 09:25) 

みうさぎ

東八郎さんと言うと笑顔の印象しかないですが
お笑いオンステージにも出てましたよねっ
志村けんさんの思いはそこにあったんですか
納得です。
by みうさぎ (2019-05-31 12:14) 

Take-Zee

こんにちは!
あらためて東八郎の写真を見ると
アズマックスはよく似ています、さすが
親子ですね!

by Take-Zee (2019-05-31 15:16) 

ヨッシーパパ

面白かったですね。
今は、息子が頑張ってますね。
by ヨッシーパパ (2019-05-31 19:25) 

そらへい

人なつっこい笑顔が印象的でした。
52歳とは、若かったんですね。
by そらへい (2019-05-31 20:58) 

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