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支援学校高等部ではなく高等学校を選択するのはどうしてか [障害者]

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ここのところ、このブログでは、難病(医療ケア児者)や障害のある人が、ハンデを乗り越えて自己実現や社会復帰を達成した話を数例ご紹介しています。それに対して、批判的なご意見がありました。まずそれにに対する回答から述べていきたいと思います。



まずは、一般論からいってみます。

障害の種類や程度によって、高等学校と特別支援学校高等部のどちらが最適かは異なります。以下は、一般的なガイドラインですが、個々の状況に応じて最適な選択をする必要があります。

一般的に、高等学校はより広範なカリキュラムを提供し、一般の学生と同じような環境で学ぶことができます。特別支援学校高等部は、より個別化された教育を提供し、障害に適した環境で学ぶことができます。

障害が比較的軽度で、特別な支援が必要な場合でも、高等学校に通うことができる場合があります。例えば、軽度の発達障害や、学習障害のある人が、高等学校で通常の科目を学ぶことができます。ただし、支援が必要な場合は、高等学校で個別の支援を受けることができるかどうかを確認する必要があります。

一方、より重度の障害がある場合は、特別支援学校高等部がより適切な場合があります。特別支援学校高等部は、より専門的な教育と個別化された支援を提供し、障害に適した環境で学ぶことができます。また、特別支援学校高等部では、生徒同士が同じような状況であるため、共感や理解が得られる場合があります。

以上のように、ケースバイケースということでしょう。

ということをお含みおきの上、以下をお読みいただければ幸甚です。

ご質問に答えましょう


これがご意見の要旨です。

このブログでは、以前、24時間テレビについて、「障碍者を感動の道具に扱っている」と批判的な記事を書いていた。

24時間テレビ、従来から言われる2つの批判にもうひとつ追加する

しかし、自分の記事だって障害者を感動の道具にしているではないか

今回はまず、これに回答します。

感動(するかしないか)は、受け手の主観の問題なので、それ自体にいいも悪いもありません。

だからこそ、『24時間テレビ』のような、実在の障害者や余命幾ばくもない重篤な状態の人を使って、感動「させる」ことが目的化したような番組の作り方には無理があると私はおもいます。

その記事にも書きましたが、障害者の90%が『24時間テレビ』を嫌いとする調査では、一方で45%の健常者が、『24時間テレビ』を「好き」と答えています。

「障害者の90%」が嫌いとする「理由」はいくつか考えられますが、少なくとも当事者から見て、虚偽、センセーショナリズム、のぞき見趣味、同情を伴った感動のような上から目線などが嫌なのです。

一方、「45%の健常者」が本当に好きなのは、「障害者」でも「障害者の感動話」でもなくて、たんに「感動する自分てなんて素敵なんでしょう」というジコマンではないのかと私は見ています。

それで、私の記事の意図ですが、ご紹介してきた障害者の生き様を通して、障害のあるなしにかかわらず、人としての根本的な価値観を問うています。

生きるとはどういうことなのか。

ほしのもとや成り行きに逆らわず、できることだけをして、言われたことだけに従って暮らすのか。

それとも、自分の夢や希望を諦めず、前に進もうという主体的、自覚的な生き方を貫くのか。

あなたは、どちらですか

……という問いかけをするにあたって、前者の人には、「前に進むのは理想だ、才能や環境が整ってなければ無理だ」という言い訳がつきものなので、ちゃんと考えていただけるよう、自分の価値観を貫くことがより困難であると思われる、障害者の後者の生き様をご紹介しているのです。

そういうハンデのある方々に比べれば、大半の健常者は「才能や環境が整っ」ているはずなんですが、ヤラない人はヤラないんですよね。

障害者として期待される人間像かフリーハンドな将来か


なんて前置きが長くなってしまいました。

本当は我が長男のことを書くつもりでしたが、手短に(笑)

これまでご紹介した方々の精進に比べるとささやかですが、長男が「前に進む」とはどういうことかを考えた場合、さしあたって、高等学校に進むことだと思いました。

長男に将来を尋ねたところ、長男は「(将来は)結婚したい」ということだったので、だったら支援学校高等部ではなく、高等学校のほうがいいということになりました。

そう書くと、「支援学校を出たら結婚してはいけないのか」という反論が来るかもしれませんが、そんなことはありません。

以前ご紹介したように、たとえば志村学園という支援学校高等部の就業技術科は、健常者の高等学校と比べてもかなりの難易度です。

都立志村学園(知的障害特別支援学校)を見学しました

たぶん、我が長男など、逆立ちしても入れないと思います。

しかし、志村学園は、難易度がいくら高くても、生徒が優秀でも、障害者枠において求められるスキルを磨くための学校でしかないのです。

逆立ちしても入れないからいうわけではありませんが、障害者として期待される人間像を目指すことだけが人生なのか。

支援学校高等部に入って、卒業後は一部の「優秀」な人が障害者枠で企業に潜り込み、残りはそのまま施設か作業所にトコロテン式に送り出される。これはもう定められた進路です。

将来に対して、もっとフリーハンドでいいのではないかと私は思いました。

AI時代を迎え、(職能として)ただ五体満足なだけででかい面していられる時代は、終焉を迎えつつあります。

むしろ障害者にとっては、時代の変わり目はチャンスという発想があってもいいのではないか。

福祉サービス業がここのところ次々起業されていますが、だからこそ、先日ご紹介した、重度脳性麻痺の青年の「モデル業」というビジネスも成立するわけです。

重度障害者の起業、人生は自己実現達成への道筋を歩む営みと悟る

そんなワクワクする時代に、障害者は従前の障害者用の道を黙って歩いていればよい、という決めつける考え方にはとてもなれませんでした。

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人生、やってみなきゃわからない


これは某高校の入学式ですが、名前を呼ばれても立ち上がらず座っているのは長男です(笑)

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身体が悪いわけではなく、長男は中途障害ですから、8年ぶりに健常者の世界に“復学”して極度の緊張をしているのです。

こういう光景があると、支援学校派の親御さんは鬼の首でもとったように、「それ見たことか、子どもに無理強いするから子どもがついていけない」とコーフンして非難します。

しかし、私は逆に、本人にとってはこういう刺激こそが、前に進む契機となるのだと思いました。

もしこれが支援学校高等部ですと、失礼ながら緊張感のない生活で、いわゆる「気付き」の機会を得られない人生になっていたと思います。

もちろん、半年後に長男が高校生活を挫折していないと断言はできません。

しかし、かりに挫折しても、最初から『障害者の人生』と決めつけるよりもよかったといえることは間違いないと思います。

人生、やってみなきゃわからないでしょう。

やって失敗するリスクなんて、やらない後悔に比べれば大したことではありません。

本当はこれまでの8年間の歩みをまとめるつもりでしたが、2000字を超えてしまったので、またそれは次の機会とします。

なお、現在広域通信制もしくはそれを併設する高等学校は、障害者の就労支援に対応するところが増えてきていることも付言しておきます。

あなたのお子さんには通信制高校が合っている!!:通信制高校のお得なところ
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犬眉母

世の中は、どんどん仕組みが変わっているので、
今の常識は、10年後の非常識かもしれません。

by 犬眉母 (2019-05-27 02:30) 

末尾ルコ(アルベール)

支援学校高等部ではなく高等学校を選択するのはどうしてか・・・いちいち批判的なコメントをしてくる方がいらっしゃるのですね。

>自分の記事だって障害者を感動の道具にしているではないか

この意見について正直なところを書かせていただきますと、読解力、あるいは洞察力があまりに欠けている方であると、わたしであればそう思います。『24時間テレビ』といっぷく様のお記事の内容の差異が理解できないとなれば、この方は人生の中で無数の勘違いをしておられるのではと想像します。いっぷく様のお記事のどこに「感動の道具にする」という要素が感じられるのか。『24時間テレビ』の終盤の、テレビに映る出演者のほとんどが予定された通りに涙と鼻水を垂らすという臭い演出と、感傷を取り入れることなく常に明晰な文章を書いておられるいっぷく様のお記事では似ているどころか、真逆だと思います。それが分からないような方は、「国語教育の失敗作」と断じられても仕方ないですね。

>もっとフリーハンドでいいのではないかと私は思いました。

これはとても大切なお考えですね。特に若い時期は、選択肢を多く持っていることで精神的にも余裕ができます。「選択肢が2つしかない」とか、そんな状況だと、早いうちから視野狭窄になってしまいますからね。亡父の批判はあまり書きたくないのですが、やはり10代の頃に視野狭窄にさせられていたことは忘れられません。

>五体満足なだけででかい面していられる時代は、終焉

わたしもそう思います。特に、「AIでもできる仕事しかできない」という状況に安住しているようではいずれ痛い目に遭うでしょうね。対して、心や発想力、実行力などを柔軟にしておけば、AIなど及びもつかない能力を発揮できるのが本来の人間なのだと思っております。

>人生、やってみなきゃわからないでしょう。

まったくおっしゃる通りです。そして日々の刺激は本当に大切ですよね。刺激のない日々は人間の心を錆びつかせ、時に腐らせてしまいます。
ご長男様の毎日が、よき刺激と成長の日々でありますよう、心から念じさせていただきます。

・・・

>歳を取ると感受性が強くなるのかもしれませんね。

わたしの母の場合は、「その時々の気持ち」を平気で表へ出すようになっております。だから痛ければ、「痛い、痛い!」と叫びますし、いささか「子どもに戻っている」感はありますが、それはそれでいいと思っております。と言いますのも、母の人生を考えると、子どもの頃は長女の責任を負わされ、結婚後は父方の祖父母とそりが合わず、「自分を出す」ということがなかなかできなかったのは間違いありません。教員を退職した後もしばらくは硬くて世間の常識を気にする傾向が強かったのですが、15年くらい前からずいぶんと精神的に女優になってきた感があります。だから少々常識外れの言動もありまして、そこに眉をひそめる人もおれば、非常に親しみを感じてくださる人もいて、まあ悪いことではないのだと思っております。


>不安な気持ちになるのではないでしょうか。

記事として詳細をアップするのはもう少し後日となりますが、実はようやくリハビリ病棟へ移っておりまして、1日のスケジュールもグッと濃いものになっています。まだまだ危なっかしい動きをすることもありますが、大きな精神的混乱はかなり薄らいできました。やはりだだっ広い個室で夕方から夜にかけて一人になる時間が多過ぎるという状況が精神を追い詰めていたのは間違いありません。まだ退院まで少なくとも1か月以上はかかると思いますから、その間の精神状態をどのように良好な方向へ持って行けるかも大きな課題です。  RUKO




by 末尾ルコ(アルベール) (2019-05-27 03:08) 

ヤマカゼ

人の感じ方は、人それぞれですかね。自分はいっぷくさんに悪意のある方とは思えないです。
by ヤマカゼ (2019-05-27 05:51) 

pn

感動する自分よかただ単に自分は健常側で良かった的な気持ちなんじゃないかな?人は不幸な隣人を愛します。
その割に自分かわいそうな被害妄想も強いのでめんどくさい。
とある掃除屋の古株社員と古株パートの話でした(笑)
by pn (2019-05-27 06:12) 

ヨッシーパパ

人生にはいろいろな選択肢がありますので、自分の信じた事を突き進むことは、良いことだと思います。
きっと、様々な事を調べて決意されたことでしょうから。
感服します。
by ヨッシーパパ (2019-05-27 18:30) 

藤並 香衣

息子さんと話し合い意志を尊重して進学をする
息子さんにとってすばらしい一歩ですね
by 藤並 香衣 (2019-05-27 23:06) 

ナベちはる

>人生、やってみなきゃわからない
本当に、おっしゃる通りです。
やってもいないのに諦めるのは、勿体ないと思います。
by ナベちはる (2019-05-28 00:29) 

Rinko

長男さん、高校入学おめでとうございます!
応援していますよ!
by Rinko (2019-05-28 08:14) 

そらへい

挑戦すれば、失敗は付きものかも知れません。
でも、挑戦しないで安定路線を行くより
意味があると思います。
by そらへい (2019-05-29 22:27) 

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