やまだ紫(やまだむらさき、1948年9月5日~2009年5月5日)さんの命日です。1964年~2002年頃まで青林堂から刊行された漫画雑誌『ガロ』を押し上げた漫画家であり、彼女のアシスタントもつとめた杉浦日向子や近藤ようこと“ガロ三人娘”ともいわれました。
古き良き昭和の時代は、ミニコミとかアングラといった表現ができる出版物が、理解者に支えられて市場で頑張っていました。
要するに、大きな企業のスポンサードがない、自主制作的な経営による媒体のことです。
たとえば、読み物ですと岡留安則さんが編集・発行人をつとめていた『噂の眞相』や、矢崎泰久さん責任編集の『話の特集』、あとは『広告批評』などもそうでしょうか。
そして、漫画では『月刊ガロ』という雑誌がありました。
『月刊ガロ』は、もともと白土三平の『カムイ伝』を発表する場として創刊されたのですが、以来、現状ではいわゆるメジャーな雑誌で活躍する全国的な知名度を誇る漫画家ではないもののこれから伸びる人、もしくはメジャーでは支持を得るのに難しいかもしれない独特の画風や思想をもった人などが描いていました。
それでも、そこで漫画家として力をつけ、大きく羽ばたいた漫画界の異才をあまた輩出したことで知られています。
やまだ紫といえば、その『ガロ』に発表中に『ビッグコミック賞』に入選。
杉浦日向子や近藤ようこと“ガロ三人娘”ともいわれました。
芸術的なタッチの漫画を描かれる方々です。
そのやまだ紫さんが、17歳年下で、『ガロ』の副編集長だった白取千夏雄さんと再婚しました。
私はやまだ紫さんとは直接の接点はないのですが、白取千夏雄さんは印象深い方です。
やまだ紫さんは2009年に亡くなっているのですが、白取千夏雄さんはその前の2005年に白血病を発症。
白取千夏雄さんは、やまだ紫さんの後を追うように、2017年の3月に52歳で亡くなっているのです。
私は、白取千夏雄さんには、発症直前の2005年にお話を伺う機会がありました。
『噂の眞相』について、ある出版社から同誌を批判する記事を作れという要請があったのです。
私は愛読者でしたし、困惑したのですが、岡留安則さんと袂を分かった、板坂剛、宅八郎、そして白取千夏雄さんにお話を伺うことにしました。
昔の雑誌ですし、ちょっとマニアックな話なので、板坂剛、宅八郎さんのことは今回割愛しますが、白取千夏雄さんは、同誌に対する注文として、「ただ関係者に取材してコメントをパノラマ的に羅列するのではなく、著者自身が論考する記事を作れ」ということを仰ってました。
要するに、「これこれこういうことがありました、誰それはこう言っていました。
だから私はこう言いたい、こう思う 」という、「だから何なのか」の部分を徹底的に掘り下げよ、という話でした。
メジャーな雑誌は、知名度のあるライターを揃えて書かせていれば売れる“品揃え主義”でもいい。
が、アングラでミニコミ的で前衛的な雑誌なら、中身で勝負しなければならない、ということでした。
アングラで、前衛的な雑誌『ガロ』の元副編集長だからこその提言であり、刮目に値すると思いました。
わら半紙の雑誌ながら、その頃はメジャーに匹敵する売上まで伸びてしまったからか、岡留安則さんは“金持ちけんかせず”でノーコメントでしたけどね(笑)
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日々のブログ記事でも「だからなんなんだ」を大切にする
その後、白取千夏雄さんはすぐに発症。
闘病生活の間も、仕事もされていたしブログも更新はされていましたが、私からすると、まるでこの世に言い残した遺言にも等しい話のような気がしました。
私はそれ以来、どんな書き物にも、「論考」ということを、いつも考えるようにしました。
たとえば、こうしたブログ記事でも、「だからなんなんだ」の部分を大事にしようと心がけています。
月刊ガロ、ある程度年配の漫画好きでないとご存じないかな。
「ガロ」「COM」漫画名作選1 1964-1970
演劇ですと、下北沢あたりにありそうな
小劇場の雰囲気が出てますね、ガロ。
by 犬眉母 (2019-05-05 02:29)
『ガロ』自体は古本屋や、まだ細々と営業していた貸本屋などで見つけていた記憶があります。ただ、『ガロ』に連載していた漫画は、その後いろいろな形で読みましたですね。その全貌は把握しておりませんが、好みの漫画は多かったと思います。もっともやまだ紫さんらについてはまったく存じませんでした。とても興味深いお話です。
『ガロ』と言えば何と言ってもつげ義春のイメージが強く、もっともわたしは彼の漫画を『ガロ』誌上で見たわけではなく、後年コミックスで読んだわけですが。とにかく周囲の漫画好きと言いますか、あの当時は「映画、ロック、小説、漫画、プロレス」など総合的に好きな人間が多かったわけですが、つげ義春は崇め奉られておりました。ただ、ちょっと『ガロ』で描いていた漫画家をチェックしてみますと、ほとんど知らない人ばかりです(笑)。さほど『ガロ』系、読んでませんね、わたし。
わたしが10代の頃、最も好きだった漫画家の一人に岡田史子がおりますが、この人、『ガロ』出身だと思ってたんです。今調べると(笑)、『COM』出身でした。この『COM』という雑誌は、名前を知っていただけで、実物を手にしたことはないです。岡田史子は『ガラス玉』というコミックスがありまして、そこに掲載されている作品はすべて好きでした。
・・・
わたしも見ております、前田日明、「坂田ボコボコ映像」。別にカメラが回っている時にあんなことをしなくてもと思いますが、やはりカメラが回っているからやったのでしょうね(笑)。あのボコボコ映像が直接どの試合の後だったかはよく覚えていないのですが、リングスの中でも山本宜久なんかだと、引く孫・グレイシー戦で顔面腫らせて締め落とされ、ヒカルド・モラエスという巨漢柔術ファイター相手には顔面殴られて失神KO負けと、かなり大変な目に遭っているのですが、坂田はいつも試合前と同じような顔のまんまで負けてしまった印象が強いのです。試合前はたっぷり大口叩いておいて。さらにリングス崩壊後、いつしかハッスルでメインを張っていたのも許し難かったです(笑)。プロレスでももしないのに。まあハッスルは、インリンやレーザーラモンにもプロレスやらせてましたが。
小池栄子が坂田に惚れ込んでしまったのは、もちろん当事者にしかわからないことでしょうが(笑)、小池栄子が女優としていけそうでいけない大きな要因ではないかと、勝手に想像しております。
愛校心といったものはわたしも持ち合わせておりませんです。まあ中学校の頃はプロレスなどを頻繁にやっていたし、学級崩壊などで連日生じるシチュエーションが刺激的で退屈はしませんでしたので、ある種の愛着はあります。高校はもうダメですね。中途半端な進学校特有の気持ち悪い思考停止的雰囲気に一切同調することができず、高2、高3と大方を学校外で過ごしました。本当であれば卒業できない程度の単位取得だったのですが、なぜか卒業してしまいました。教員たちが翌年またわたしを見るのは嫌だったのだと想像しております。今でもその高校から校友会云々の封書やはがきが届きますが、中身を見ずに破り捨てております。 RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2019-05-05 03:14)
だから何なのか、かぁ。耳が痛いな(^_^;)
by pn (2019-05-05 09:16)
「ガロ」は当時も、大変に評価の高い雑誌でしたね。
勿論その分「アンチ派」も多かったようですが。
今、この令和の時代に持って来ても、きっとそん色なく
その存在感を放つと思いますよ。
ワタクシ自身が当時まだ幼かったので、当時はまだ
「難し過ぎて」良くわからない部分が多かったですが、
幼いなりに理解しようと頑張って読んでた記憶が
あります。
ただ、小学生には、毎号買うには、どうにも高く、
お小遣いがとても続きませんでした。
とても懐かしい雑誌です。
その後活躍したあまたの表現者の方たちは、
その殆どが何かしらの形で「ガロ」の影響を受けて
いましたものね。
by 向日葵 (2019-05-05 09:24)
「ガロ」といえば思い浮かぶのは蛭子能収さんです。「へたうま」と言うジャンルを生み出したんですよね?雑誌そのものは読んだことはありませんが・・・
by エンジェル (2019-05-05 12:11)
初めて知りました。
by ヨッシーパパ (2019-05-05 19:27)
随分と懐かしい響きの雑誌ですね。カムイ外伝でしたね。
by ヤマカゼ (2019-05-05 19:38)
こんにちは!
長い連休も終わりですね・・・
1年中、連休の私には何の変わりもありません(笑)
by Take-Zee (2019-05-05 19:56)
描く側でもそうですが、「ガロ」を読んだことをきっかけにしてた漫画家を目指そうとした人、たくさんいそうです。
by ナベちはる (2019-05-06 01:25)
“ガロ三人娘”と言われていたんですか。
特に杉浦日名子さんの作品が大好きでした。
by beny (2019-05-06 09:16)
元々漫画好きでしたので
ガロは20歳前後の頃よく読んでいました。
確かに一般誌には載らないような作品が多かったですね。
短編小説を思わせる秀作がありました。
by そらへい (2019-05-14 22:47)