清水由貴子さん(1959年9月7日~2009年4月20日)の命日です。介護うつによる自殺という、明るいイメージとは結びつかないショッキングな亡くなり方は、芸能界だけでなく世間にも衝撃を与えました。改めて老親介護を考えます。(上の画像はGoogle検索画面より)
清水由貴子さんが芸能界を引退したのが2007年。
その5年前に、清水由貴子さんにお話をお伺いしたことがあります。
年齢も境遇も近かったので、ぜひお目にかかりたいと思っていたのです。
清水由貴子さんのマネージャーは富士原光男さん(芸映)という、業界で最も腰が低いといわれる方です。
富士原さんのおはからいで、レギュラーでコメンテーターをつとめていた『ジャスト』(TBS)の本番が終わったばかりの清水由貴子さんに、局前にあった喫茶店『Dingo』に来ていただき、お話を伺いました。
その時に私が撮影したものです
マッチ箱工場の工員だった父親が早逝。
生活のために『スター誕生!』に応募して、ピンクレディーを上回る評価で大会最優秀賞を受賞。
芸能界にデビューします。
「立っているだけで哀愁を感じさせ、この子が有名になることで幸せになるなら後押ししたいと思った」「それは百恵ちゃんと清水由貴子の2人だけだったね」(『アサヒ芸能』2013年1月3.10日で萩本欽一)
「あのときは家が裕福ではなかったので、ジーパンで会場入り。お昼は家から持参した塩むすびを、誰も見ていない非常階段のところで食べていましたねえ。それがもう、そのような望外の評価で大変嬉しかったです」(清水由貴子さん)
榊原郁恵、高田みづえとの“フレッシュ三人娘”で売り出しますが、次第に活躍の場をテレビドラマやバラエティ番組に移していきます。
たとえば、“欽ちゃんバンド”の一員として出演した『週刊欽曜日』。
「最初、大将(萩本欽一)には、『ずっとやってしまうとお笑いの仕事が専門になってしまうから、いろいろな仕事ができるように、1年間だけ出演してお笑いの勉強をしなさい』と言われたんです。ところが、1年ぐらいして番組の視聴率が上がり、結局まる2年出演しました。欽ちゃんBANDは、みんなが一生懸命にやっているのにヘタだったので面白かったんだと思います(笑)」
「大将(萩本欽一)は、怒るということもほとんどないですね。ただ、笑いに対しては厳しく、1度だけ、わざと間違えて笑いをとろうとしたのを厳しく怒ったのを見たことがあります。あとは下ネタも禁止で、言うと一口1000円の罰金箱がありました。佐藤B作さんがいちばん罰金が多かったんですけど(笑)」
私が話を伺った当時は、TBSの『ジャスト』のほか、『七尾響子弁護士2』(テレビ朝日)『電太郎一家』(テレビ新広島)『ともちゃん家の5時』(山梨放送)など、4本のレギュラーがありました。
それが、母親の介護に専念するため、『ともちゃん家の5時』以外は全部降板。
事務所も退社し、『ともちゃん家の5時』終了とともに引退。
その2年後に亡くなりました。
ネットではいろいろ詮索されましたが、清水由貴子さんが“要介護5”であった母親介護で追い詰められていたのは客観的に明らかでした。
その1年後に、妹の清水良子さんが、『介護うつ お姉ちゃん、なんで死んじゃったの』(ブックマン社)を上梓。
「姉がそこまで思い詰めていたことに気付けなかった」と悔やみ、「家族を介護している人を見守る、第三者の目が必要」として、ヨミドクターの取材に答えています。
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介護は“介護者一人では貫徹できない”
インタビューを読むと、清水由貴子さんが、追い詰められるべくして追い詰められていると思える箇所があります。
介護保険の限度額にはまだ余裕がありましたが、ヘルパーの派遣は頼みませんでした。姉は「昔、貧しかった頃に、我が家は生活保護などでさんざん税金のお世話になった。これ以上税金を使うのは申し訳ない」と言うのです。
由貴子さんが亡くなる10日ほど前、家でもリハビリができるように介護保険で自宅に手すりをつけることを、ケアマネジャーが提案した。
ところが姉がそれも断るというので、私は思わず「お姉ちゃん、これは私たちが楽をするためのものじゃなくて、お母ちゃんのためだよ」と言いました。すると姉は「良子も皆と同じことを言うんだね」と寂しそうな顔をするのです。
姉は、母がリハビリ中に再び転倒し、状態がさらに悪化することを恐れていました。母がリハビリを嫌がっていたこともあり、「これからも私が母の面倒をすべてみるから、無理して歩けるようにならなくてもいい」と、結局提案を断ってしまいました。
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20100711-OYTEW53108/
介護保険ですが、介護を受けるのは母親であり、母親にとって何が一番いいのか、ということが唯一の正解です。
不正請求ならともかく、介護保険の正当な受給者が(つまりルール通り掛け金を払っている人が)、サービス享受をためらう必要はありません。
「無理して歩けるようにならなくてもいい」という件は、一見母親に寄り添っているようですが、結局それによって清水由貴子さんの負担も増えてしまい、それは母親にとっても幸せなことではないと思います。
人間はどんどん怠惰な方に行ってしまいますから、清水由貴子さんも支えきれなくなったのでしょう。
手すりを使っても自分で歩くか、いちいち娘に支えてもらわないと何もできないか。
みなさんだったら、どちらがいいと思いますか。
最初は本人が嫌がっていても、手すりをつけて使ったら歩けたので本人も納得、ということになるかもしれません。
やってみなければわからないじゃないですか。
もちろん転倒のリスクはありますが、それは誰が介助したって同じなんです。
介護者が愛情をもって支えれば転倒は絶対にない、というわけではありません。
とくに入浴などは何があるかわかりませんから、専門のヘルパーに頼むと同時に、手すりをつけるのは被介護者に対して当然のことだと私は思っています。
いずれにしても、清水由貴子さんがそう冷静に判断するだけの情報がなかったのでしょう。
要介護5なら、ほんとうはいろいろなサービスを受けられたはずです。
「
姉は人に甘えることが苦手でしたが、私は人に甘えたい。そして自分に余裕がある時には人に手をさしのべる。そのお互いさまが大事だと思うのです。」(良子さん)
介護や医療等のサービスは甘えるというより、責任持って介護できるよう、決められた対価を支払って、社会的にその役割を担っている人に依頼するのです。
むしろ、実子ではなく、他人がプロフェッショナルの手技で行うから、うまくいくこともあります。
そうした人々を遠ざけるということは、有用な情報や、良子さんのいう『
家族を介護している人を見守る、第三者の目 』を自分から遠ざけてしまうことであり、人手や技術だけでなく、精神的に自分で自分を孤立させ、追い詰めてしまうことになるのです。
介護サービス側は、ケアマネージャーが扇の要となり、医療と介護が手を組んで、情報を共有しあいながら適切なサービスを提供してくれます。
被介護者だけでなく、介護者自身も含めた“周囲の見守り”の大切さを、清水由貴子さんの悲しい最期を思い出すたびに考えさせられます。
介護うつ
私小説+4
- アーティスト:
- 出版社/メーカー: SONY MUSIC DIRECT (SMD)
- メディア: CD
清水由貴子さんは、その後芸能活動で納税されたのですから
生活保護のあり方にかなっているし、
気にされることはなかったと思いますけど。
by 犬眉母 (2019-04-20 02:08)
周囲が「他人事」と思わずに助けていれば、それだけでも清水さんみたいなことが減ると思うと、残念ですね…
by ナベちはる (2019-04-20 02:37)
清水由貴子さん介護うつで亡くなり10年、改めて老親介護を考える・・・詳しくは存じませんでしたが、非常にまじめで律儀、しかし「自分で決めたこと」にこだわり過ぎてしまう方だった印象です。いったん自分で決めてしまうと合理的判断ができ難くなってしまうという、そんなお人柄でったのではと。
「フレッシュ三人娘」というネーミングは知りませんでしたが、思えば三人ともやや共通する要素がありましたね。時代がこのようなタイプを求めていたのでしょうか。
>笑いに対しては厳しく
これはとても有名でしたよね。笑いに対して厳格な方だったというお話。前にも書かせていただきましたが、大橋巨泉がお笑いとして最高の天才は萩本欽一だと述べてました。全盛期の欽ちゃん、折りがあれば見てみたいです。
>「良子も皆と同じことを言うんだね」
う~ん・・・、やはり客観性を喪失している感は強いですね。わたしは母に対して自分自身でできることは徹底的にやるつもりでおりますが、お金の負担などは保険や上限制度がなければとても支払えるものではありませんし(心臓バイパス手術の実質的な費用は極めて高額だとされます)、負担を軽くしていただける制度にはできるだけお世話になろうと考えております。母の世話ももちろん自分でできることは徹底的にやりますが、毎日看護士さんたちの働きぶりを見ていると、「プロの任せるべき部分が多くある」とあらためて認識します。彼女たち(彼らたち)のプロとしてお技術、手際は、そうした訓練を積んでないわたしがいくら頑張っても敵うものではなく、「プロに任せる」というのは、介護される側にとってもより快適に過ごせる一因となるはずですよね。
>「これからも私が母の面倒をすべてみるから、無理して歩けるようにならなくてもいい」
この考えもいただけませんね。確かに「人に世話してもらう」生活が長くなると、世話される方としてはだんだんそれが普通になってくる傾向があるのでしょうが、やはり人間にとっては「自分でいろいろできる」ことが幸せの基本になるのだと思います。リハビリも時に辛いことだというのは分かりますけれど、「リハビリをすること」が大きな希望であるる点を理解してもらうのも介護する側が「やるべきこと」であると思います。
>姉は人に甘えることが苦手でしたが
わたしも「人に甘える」というのはほとんどしませんが、「プロに頼る」あるいは「制度を利用させていただく」のは「甘える」ではありませんからね。ブログ記事にも書きましたが、母がベッドで突然、しかもかなりの嘔吐をした時、3~4人ほどの看護士さんたちが20分くらいでベッド周辺をすべてきれいにしてくれた姿も忘れられません。わたしであれば途方に暮れていたような状況です。プロの方々との連携は絶対に必要です。
・・・
>深いお考えがあるのかもしれませんね。
母は深くは考えないタイプなのですが(笑)、感覚的に親戚や友人たちにベタベタされるのを好まないのかもしれません。息子にはやたらと会いたがるのですが、わたしも若い頃はそれが嫌だったのですが、もうかなり前から、(これだけ頼りにしてくれているのだから)と思うようになりました。 RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2019-04-20 03:43)
老老介護、もうすぐそこに迫っています。元気な家に今まで出来なかった親孝行と思っているところです。
by kou (2019-04-20 08:06)
生活保護受けてた者としては理由が真面目すぎる。
俺なら頼れる物(者)は何だって頼るけどなぁ。
by pn (2019-04-20 09:13)
可愛い女優でしたがそんなことがありましたね。
これから年寄りが増えていくので更に同じようなことが増えていきますね。
by 旅爺さん (2019-04-20 12:55)
老老介護だと笑い話にしていますが、腎不全で完治する
見込みのない間もなく19歳になる猫の面倒を見ています。
毎日点滴して薬を飲ませて・・・時々人と人との関係の
老老介護を考えます。
by 斗夢 (2019-04-20 13:08)
アイドルの子でしたね。
意外と直ぐにマスメディアに出なくなったのは、そういう理由だったのですね。
by ヨッシーパパ (2019-04-20 16:46)
こんにちは!
今日の記事にはホントにビックリです。
あの明るい清水さんがもう10年も前に
なくなっていたなんて・・妻と驚いています!!
by Take-Zee (2019-04-20 16:59)
もう10年になるんですね。
ブログを始めたばかりの頃 お世話になっているブロガーさんと 清水由貴子さんの歌「お元気ですか」の話をしていた翌日に。シンクロニシティに驚いたんですよ。
あの日も穏やかすぎる春の日でした。
by ゆうのすけ (2019-04-20 21:27)
こんばんは。
あの当時は、本当に心が痛みました。ご冥福をお祈りするばかりです。
by coco030705 (2019-04-20 23:28)
今日、83歳の義母を連れて出かけました
「階段が嫌。坂道が嫌。」
なんとか杖を使わずに歩けているうちに歩いて
足腰が弱らないようにしてほしいのですが
寒いだの暑いだのと家から一歩も出ない日も多く
この先が思いやられます
by 藤並 香衣 (2019-04-21 00:10)
当時、清水由貴子さんの訃報はものすごくショックでした。ヤクルトレディ?か何かのCMで明るくて元気なイメージが強くて、どこの職場でも好かれるキャラクターの人だろうなぁ、と勝手に思っていました。結果的に介護でも鬱になるんだな・・・ということを世間に広めることになってしまったことが、とても気の毒で残念です。
by 這い上がるママ (2019-04-21 23:39)
みなさん、コメントありがとうございます。
認知機能が低下した、目が不自由な要介護5の介護がどれだけ大変かは、なかなか理解されにくいでしょうね。
by いっぷく (2019-04-24 01:24)
すごく胸の痛む話ですね。
悲しい!
by 風の友 (2019-04-25 01:04)