萩原健一さん、『太陽にほえろ!』で刑事ドラマを人間ドラマに [懐かし映画・ドラマ]
萩原健一さん(1950年7月26日~2019年3月26日)の訃報で持ちきりです。萩原健一の出演作は、いろいろなものが挙げられていますが、私は今回は『太陽にほえろ!』(萩原健一の出演期間は1972年7月21日~1973年7月13日、東宝/NTV)一択で振り返ってみます。
脚本家の倉本聰さんは、『日刊ゲンダイ』で連載していた碓井広義さんとの『ドラマへの遺言』という対談で、萩原健一主演のドラマ『前略おふくろ様』について語っています。
内容をかいつまんで述べると、こんな内容です。
萩原健一はアウトロー役が多かったが、アウトローは上に立つ人がいないから自分が一番強いのでよくない。
高倉健の映画は、上に鶴田浩二や嵐寛寿郎がいるから高倉健が光る。尊敬できる人間を持ってる人間が光る
尊敬される人間は別に光らない。自分がお山の大将になっていても限度がある。
それが、女将さんの丘みつ子や、板長の梅宮辰夫の下にいる一板前の役・サブちゃんになったというのです。
https://news.yahoo.co.jp/byline/usuihiroyoshi/20190329-00120008/
興味深い発想ですが、実は、その前の『太陽にほえろ!』こそ、“尊敬できる人間を持ってる人間が光る”ドラマであったと私は考えています。
プロレスの急遽打ち切りで慌てて作られた番組だった
『太陽にほえろ!』は、石原裕次郎が初めて連続テレビドラマに出演することで話題になりましたが、萩原健一は若手刑事の早見淳(マカロニ)を演じました。
萩原健一さんはグループサウンズの歌手として芸能活動をスタート。
— 産経ニュース (@Sankei_news) 2019年3月28日
人気を決定づけたのは「太陽にほえろ!」でのマカロニ刑事役です。
「傷だらけの天使」では社会からはみ出した若者を魅力的に演じ、アンチヒーローとして当時の若者たちに強い影響を与えました。https://t.co/Z3izmgBGV9
同作の枠は“金曜八時”ですから、もともと力道山以来の日本プロレス中継が放送されていました。
当時のプロレス中継は視聴率を取れる番組だったので、他局も放送したがっており、NET(現テレビ朝日)などは、週2回も夜8時から放送していたほどです。
NETは、ジャイアント馬場の試合を放送することを日本プロレスに求め、日本プロレスは放映権料欲しさから、日本テレビの反対を押し切ってそれに合意。
しかし、ジャイアント馬場は日本テレビの中継が育てたという自負が日本テレビにはあります。
「日本プロレスの幹部にはバカ負けした」との捨て台詞(日本テレビ・松根光雄運動部長)を残し、日本プロレス中継を打ち切ってしまったのです。
それが決定したのが1972年4月中旬。
そこから、わずか3ヶ月で『太陽にほえろ!』はスタートしています。
まさか、局を代表する番組のプロレスが、突然終了するとは誰も思わなかったでしょうし、当時のプロレス中継の平均視聴率は25%でしたから、新番組がその数字を守れるのか、現場の不安も大きかったと思います。
何より、石原裕次郎が当初は乗り気ではなかったと言われます。
もちろん、手を抜くという意味ではなく、映画の面白さをテレビドラマで果たして表現できるのか、という不安があったそうです。
しかし、それを払拭したのが、共演者の萩原健一だったと言われています。
事件を狂言回しにして人間を描くドラマを作り上げた
『七人の刑事』(TBS)にしろ、『特別機動捜査隊』(東映/NET)にしろ、それまでの刑事ドラマは、事件そのものを解決まで時系列で追っていく作り方でした。
が、『太陽にほえろ!』は、若いマカロニ刑事が、時にはボスと衝突して、そして中堅・ベテラン刑事に助けられて、何かを生み出していくという青春ドラマや群像劇としてのモチーフで描かれた、要するに事件を狂言回しにして人間を描くドラマを作り上げました。
これは、たとえば『夜明けの刑事』や『特捜最前線』など、以後の刑事ドラマの基本スタイルとして受け継がれています。
ボスとマカロニは、『赤ひげ』における新出去定VS保本登、『水戸黄門』における水戸光圀VS佐々木助三郎のような関係だったと私は見ていますが、おそらくは脚本を超えて、番組の理念や、俳優としての生き様のようなところでも、萩原健一は石原裕次郎に挑んでいた1年間だったのではないかと思います。
余談ですが、東野英治郎版以外の水戸黄門は、スケさんも格さんも似たような存在になりましたが、もともと、助三郎(杉良太郎)は水戸光圀(東野英治郎)に何かと反発し、一方の格之進(横内正)は優等生という対象的な設定だったのです。
“死亡”により途中降板でマンネリ防止
しかし、“ボスのアンチテーゼ”は永遠ではなく新たなものでなければならない、という考えもあり、自分は死亡という設定にして、若い俳優にチャンスを与えました。
これも後の刑事ドラマのお手本になっていますね。
やはり、同じメンバー(キャラクター)ではマンネリ化しますし、俳優にとっては同じ役を続けることによるデメリットもあるでしょう。
『太陽にほえろ!』が長寿番組になったのは、それも大きな要因だと思います。
“自分はアウトローですから”という生き方を貫く
訃報は、亡くなった日ではなく、すでに荼毘に付されてからのものとなりました。
闘病を一切伝えないだけでなく、葬式は家族葬、お別れ会もしないと、最期を「個人のこと」に徹底する態度は、私個人の好みとしては素晴らしいことだと思いました。
人気商売ですから、“野辺の送り”がどうだったか、というところまでが芸能生活という考え方もあるのですが、“自分はアウトローですから”という生き方を、結末のところできちんと貫けたのは、人としての強さだと思います。
やはり一匹狼を自認して、気に入らないと同業者とも喧嘩していた、芸能リポーターの梨元勝さんの葬式で弔辞を読んだのは、梨元勝さんと小学校の同窓だった萩原健一さんでした。
私は、世間に迎合して“なんとなくうまくやっている人”よりも、損するのがわかっていても自分を貫く人間の方を信用します。
萩原健一さんの生前のご遺徳をお偲び申し上げます。
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萩原健一さん、『太陽にほえろ!』で刑事ドラマを人間ドラマに・・・わたしは松田優作派なのですが、あの有名な「なんじゃあ、こりゃあ!」殉職よりも、ショーケンの殉職シーンの方が記憶に焼き付いております。立小便の後に刺されるのですが、一旦気を失ったけれど、しばらくして目が覚めるのですね。そして死の瞬間までショーケンのパフォーマンスが続く。今観ると、(あざといなあ)と感じるかもしれませんが、まだ子供でしたので、とてつもないインパクトを受けました。ちょっと悪夢を見ているような感覚でした。
それにしてもわたしは日本プロレスをまったく観ておりませんでしたので、プロレスとの関連は知りませんでした。
>映画の面白さをテレビドラマで果たして表現できるのか
この辺りもわたしにとっては微妙なところで、石原裕次郎を知ったのも『太陽にほえろ!』だったのです。だから若い頃は映画界の寵児・大スターだったことなどは後から知りまして、それまではてっきり「刑事ドラマで偉そうにしている人」なのだと思っていました。ご本人やはり映画へのこだわりは強く、晩年まで(いつかまた凄い映画を)という気持ちを持っていたようですね。
>萩原健一は石原裕次郎に挑んでいた1年間
今ではそれがどれだけ挑み甲斐のある凄い壁だったのかよく分かります。そしてその「挑戦」が視聴者にとってもいかに刺激的だったかということですね。その構図は松田優作のジーパンにも共通していたような気がします。しかしその後はどうか・・・「挑んでいた」とは違う構図になってしまったような感は否めないところです。
>闘病を一切伝えないだけでなく、葬式は家族葬、お別れ会もしないと、最期を「個人のこと」に徹底する態度
わたし実は芸能人など有名人が闘病をアピールする姿勢、少し前まで全否定でした。ただ最近は、そのやり方にもよりますが、有名人が闘病を伝えることで、場合によっては勇気を与えられる人もおりますし、時に医療健康情報としての価値を持つこともありますので、「全否定」はしなくなりました。けれど〈最期を「個人のこと」に徹底〉という美意識の方がずっとわたしの「好み」でもあることに変わりはありません。「盛大な葬式」とか、死んでいく人間にとっては何の関係もありませんからね。
・・・
>たぶん病院がやっかいな患者だと判断して
わたしの母は今回の入院2週間ほどで3回も騒動を起こしておりますから、気をつけねばなりませんね。比較的剽軽な性格が前面に出ておりますので、スタッフのウケは悪くないとは思いますが。いっぷく様がご指摘くださったように、確かにせん妄の症状が混じっておりますので、そうした状態からの復帰は病院に任せるのではなく、面会時の会話などでも努力したいと思っています。
RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2019-03-29 03:18)
「太陽にほえろ!」、「傷だらけの天使」、「前略おふくろ様」…。どのドラマもとても印象強く記憶に残っています。
とても残念です。
by かずのこ (2019-03-29 06:14)
室井滋と出ていた居酒屋幽霊(?)が印象に残ってます
by ヤマカゼ (2019-03-29 06:24)
うん、貫きたいよ。
by pn (2019-03-29 07:23)
素晴らしい最後だと思います。
萩原健一とは格が違いますが、自分もこんな最後を送りたいと思っています。無駄な葬儀は無用と前から家族には話してますが希望通りに行くかは残された人次第ですけどね。
by kou (2019-03-29 07:40)
かっこいい方でしたね。私は彼のあの雰囲気が好きでした。
ご冥福をお祈りいたします。
by Rinko (2019-03-29 09:46)
ショーケンはGS時代には欠かせない存在でしたね。私はテンプターズとは真逆のスタイルのブルーコメッツが好きだったんです(^^;なのでファンという訳ではありませんが、年をとるにつれていい感じになって来た人だと思っています。太陽にほえろはショーケンの出ていた頃はほとんど見ていなかったので、もし再放送があればぜひ見てみたいです。彼の最後の出演ドラマ「不惑のスクラム」は少し見ていましたが、名演技だったと思います。ご冥福をお祈りします。
by エンジェル (2019-03-29 10:51)
グループ・サウンズ全盛だった昭和43年、私は小学6年生でした。クラスの女子の人気の的は、ジュリーやトッポではなく、ダントツにショーケンでした。
当時、ヒットしたテンプターズの曲、「神様お願い!」、「エメラルドの伝説」、「おかあさん」(ボーカル:松崎由治)、どれもいい曲で、思い出深いです。
ショーケンの早すぎる死、とても残念です。。。
by 芝浦鉄親父 (2019-03-29 13:01)
こんにちは!
またも同年代の方の訃報でした・・
何とも言えない複雑な思いです。
by Take-Zee (2019-03-29 14:48)
傷だらけの天使のタイトルバックで流れるシーンが印象的でした。
まねして、ワイルドに食べたり、開襟シャツも買いました。
いつもくっついて、「兄貴〜」と泣きつく情けない水谷豊も面白かったです。
by ヨッシーパパ (2019-03-29 19:26)
地元なので、トッポファンだった私は肩身が狭かったですね。
大宮公園で練習していたなんて話をまことしやかに姉たちはしていましたね。
by 森田惠子 (2019-03-29 21:07)
ヤマカゼさんの言われるように、「居酒屋幽霊」は面白かったですね。腰をぬかすしぐさがおかしかったです。(^^♪
世代的にはGSも知ってますが、俳優・萩原健一が印象に残ります。
by レインボーゴブリンズ (2019-03-30 00:43)
若手のために自分を犠牲に…というと大げさかもしれませんが、それを実際に行動にした萩原さんは男らしくてカッコいいなと思いました。
by ナベちはる (2019-03-30 01:33)
萩原健一さんや松田優作さんの頃は、
もっと素朴なドラマだったような気がします。
by 犬眉母 (2019-03-30 02:04)
ショーケンは本当にカッコいい人でした。でも、色々なゴシップの種にもなりましたね。でもこの人は年を追うごとに、自分なりに成長していった人です。
一時業界で不遇の時、瀬戸内寂聴さんに教えを乞うて、仏道の修行もしていたのです。寂聴さんの本で読みました。
そうして自分を磨いて、存在感のある、いい俳優になったと思います。最後にショーケンをみたのは、結構最近ンのEテレのドラマで、高橋克実演じる元ラガーマンのダメ男が、年配のラグビーチームに誘われて、自分を取り戻していくという話でした。
ショーケンはその中で、ガンに侵されている、年配のラガーマンを演じて、すごくよかったです。現実と重なりますね。ショーケンの最後もお見事だと思いました。
by coco030705 (2019-03-31 00:13)