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知的障害のフィギュア選手から考えた障害者の“明日”の迎え方

知的障害のフィギュア選手から考えた障害者の“明日”の迎え方

放送されたのは昨年なのですが、ハートネットTV『フィギュアスケートを続けられる喜び 女性アスリートの挑戦』が、Facebook障害者グループで盛り上がっていました。札幌市内の特別支援学校高等部に通うフィギュアスケート選手・伊藤友里さんの話です。ご存じですか。



知的障害者のための「スペシャルオリンピックス」の銅メダリストです。



障害者のスポーツというのは、パラリンピックが宣伝されていることで周知されてきたような印象がありますが、障害者にもいろいろあって、知的障害者に光が当たる機会はあまりありませんでした。

伊藤友里選手は競技を行う上で、知的な障害のために、氷上で“両足をタイミングよく動かすことが難しい”といいます。

それを克服していく様子が描かれています。

母親やコーチとの会話の様子を見ると、決して重度ではないと思われますが、それでも支援学校に通う生徒がこれだけのスケーティングを行うというのはすばしいことだと思います。

すると、ニュースは3年以上前のものですが、伊藤友里さんのことと合わせて、いままた盛んにシェアされているのが、ダウン症のモデル、マデリン・スチュアートさんの話です。

ダウン症の女性のモデルデビューの話



ダウン症ですが、「モデルになりたい」という本人の意志が実現したという話です。

こうした“障害者の成功譚”というのは、実は肝心の障害者の親御さんの、まあ一部なんですが、受け止め方が非常にむずかしいようです。

というのは、こういう成功例が世にでることで、障害者は実はそのようなポテンシャルがある、という目で見られると困る というのです。

しょせんこうなれるのは一握りなのに、障害者全体に対して、本当はできるのにできないのは頑張らないからだと思われてしまう、という言い分です。

たしかに、ネット掲示板などを見ると、東大に入った半分以上は発達障害だなんて、なんの根拠もないデマを書いてる人もいますね。

発達障害の「こだわり」が、学業や仕事にいい結果をもたらし得るという説をもって、発達障害=秀才、もしくは天才、と単純に考えてしまうんですね。

ただ、そういう成功譚に批判的な人は得てして、障害者のあらゆる努力や可能性追求に対して消極的 です。

Facebookの障害者のグループの投稿を見ると、障害者ですが頑張っています、ではなく、子供を頑張らせることが正しいのか、という批判的な投稿が定期的に入ります。

それとも特定の人が複数(笑)

たとえば、障害者は高等学校に行くな、小中も普通級に行くな。障害を自覚しておとなしく支援学校に行け、無理するなとかね。

どうして障害者が高等学校に行くのが「無理」ってわかるんでしょう。

しかも、障害者を知りもしない偏見だけでものをいっている手合ではなく、ほかでもない、障害者の一部親御さんに、そういう考えが根強い。

残念ですね。

どうしてでしょう。

たぶん、前提には嫉妬と諦めの両方があると私は思っています。

自分のところが行ってないのに、よその障害者の子弟に行かれたくない。

高齢で子宝に恵まれた人を、もっともらしく否定する人たちと同じメンタリティです。

ただ、「自分のところが行ってないのに」という前提が、私に言わせればそもそも疑問符をつけたいのです。

障害のステージはいろいろありますから一概には言えませんが、行けるかいけないかを最初から調べようともせず、「うちは障害者だから行けない」と決めつけているのではないでしょうか。

その人達は、たとえば私がこのブログでご紹介してきましたが、障害者に理解のある通信制高等学校をいくつも実際に足を運んで、子供がやっていけそうかどうか、自分の目と頭で確かめたことがあるのか。

確かめもせずダメだと決めつけ、挙句の果てにチャレンジしようとする人に「子供に無理をさせるのは間違っている」などと中傷する。

二重に間違った後ろ向きな行為だと私は思います。

たとえば、これまで支援学校の障害者コミュニティしか知らないお子さんが、普通の高校に進み、健常者と限られた時間でも接点を持つことで、今まで支援学校の世界ではなかった新しい経験をし、より豊かな価値観をもてるようになるかもしれません。

スケート選手やモデルの出発点が、そこにあるかもしれないのです。

どうしてもダメなら、また支援学校に戻ればいいじゃないですか。

障害者なんだから支援学校に入って、作業所に行って……、と勝手に人生を「そこだけ」と決めつける親は、果たして良い親なんだろうか。

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人生学習して道を切り開いていく


もうお気づきと思いますが、私は“障害者は……”と書いていますが、実は健常(定型)者も含めて、要するに誰にも当てはまる話を書いています。

人生は、予め決めつけたことを消化するのではなくて、その時々で経験を通して学習して道を切り開いていくものだと思うのです。

上記の、ダウン症のモデルの母親のロザンヌ・スチュアートさんは、「私たちは障がいのある人もない人も、同じ信念とモラルがあれば、一緒にやっていけるものと信じています」(https://www.huffingtonpost.jp/2015/09/17/madeline-stuart-nefw2015_n_8150312.html)と語ったといいます。

これは、前向きにチャレンジしたものだけが言えることです。

人生を決めつけてはならない、たとえ、ずっとしょぼくれた人生でも、諦めずに前を向いて頑張れば、いつか目の前に青空が広がるかもしれない、

そう思うわけです。

そう思わなきゃ、人生つまらないじゃないですか。

ゆっくりゆっくり笑顔になりたい―知的発達障害のある人にスポーツの場を提供するスペシャルオリンピックスという活動
ゆっくりゆっくり笑顔になりたい―知的発達障害のある人にスポーツの場を提供するスペシャルオリンピックスという活動




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末尾ルコ(アルベール)

知的障害のフィギュア選手から考えた障害者の“明日”の迎え方・・・こうして拝読させていただいておりますと、バランスの取れたものの考え方ができる人はあまりいないのだなあとあらためて感じます。どうも極端に走る人が多いですね。自分らのネガティブな感情が前提として存在し、そこから色眼鏡で見てしまうのを抑えきれない人たちが多いように見受けられます。

>障害者の一部親御さんに

根の深い問題ですね。一つ言えそうなのが、多くの日本人に強く共通するメンタリティの一つとして、「失敗して傷つくのが嫌だから、何もやらない」というのがあると思います。そして、「挑戦して失敗する姿を人に見せたくない」というのもありますよね。学校時代に徹夜でテスト勉強しているくせに「ぜんぜん勉強しなかった!」とわざわざ言う心理にも共通していると思います。そのようなメンタリティの人たちって、他人が何かに挑戦しているだけでも腹立たしく感じることが多いようなのですね。自分ができないことを人がやっているという状況に対する嫉妬や苛立ちなど、多くの日本人に共通するネガティブな要素の一つですよね。こういう人たちが多いから、社会がどうにも息苦しくなってしまっています。

>「子供に無理をさせるのは間違っている」

こうした考えを持つ人の多くが、「人の子どものためを思って」と、自分を誤魔化しているのでしょうね。本当は自分ができないことを人がやっていることに対する嫉妬や苛立ちから来ているのに。

>そう思わなきゃ、人生つまらないじゃないですか。

おっしゃる通りです。つまり、何事にもチャレンジできない人たちはつまらない人生を送っているはずで、しかし潜在的には分かっていても、その感情を顕在化させたくないものだから、チャレンジしている人たちに対して攻撃的になる人たちが多い・・・そういう構造なのでしょうね。

>病気や、病院の治療と向き合う自信がなかったのかもしれませんね。

明らかにそうでした。可能性の一つとして民間療法にも目配りするくらいならまだしも、それ以前にまず正統的な医療知識を持たないとお話になりませんよね。父は民間療法雑誌の愛読者で、自分でもいろいろ試していましたが、母が狭心症と言われた時期に、自分でさえ試したことのないふざけた療法を勧めていたのには腹が立ちました。そういう時に冷静な話し合いの余地がなかったのも父の悪いところでした(いいところも多くあるのは分かっているのですが)。

いささか以前にいただいたコメントについてとなりますが。

>私もよそにお泊りするのが大嫌いな性分

わたしもそうなんです。子どもの頃からずっとそうです。さすがに夏休みなどに母方の父母の家へ行った時にはそこで寝ざるを得なかったですが、友人、知人の家で寝るとか、あり得ないですね。子どもの頃夜遅くにタクシーへ乗った折にも、「絶対車内で眠らない子供」として周囲に認識されておりました。だから昨今のシェアハウスとか、わたしの感覚では(何考えてんだか)の世界です。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2019-03-24 02:58) 

pn

可能性を否定する権利は他人にゃ無いですからね。
by pn (2019-03-24 06:15) 

kou

自分は今社会人生の中で最悪の挫折を味わっていますが、前を向いて行かなきゃ!ですね。
by kou (2019-03-24 08:09) 

coco030705

こんにちは。
本当におっしゃる通りだと思います。
知的障害者というと、健常者より”劣っている”と考えることが、そもそも間違いですね。どんな人間も努力次第で、今までできなかったことができるようになる、それがすばらしいのだと思いました。そして、それは他人との比較ではなく、自己の成長として、ということなのですよね。

by coco030705 (2019-03-24 10:48) 

犬眉母

人生を分けるものは、障害のあるなしではないのですね。、
課題があったら、乗り越えてより高みにチャレンジするのか、
そこから逃避するのか、その違いかもしれません。

by 犬眉母 (2019-03-24 15:01) 

ヤマカゼ

チャレンジというわけではないのですが、自分も前を向いていきたいと思います。
by ヤマカゼ (2019-03-24 20:05) 

そらへい

誰にも当てはまることですね。
決められた枠の中だけで生きて死ぬのでは
つまらないですね。
できる限り前向きでありたいと思います。
by そらへい (2019-03-24 20:38) 

藤並 香衣

知的障害のフィギュアスケート選手の話
知りませんでした
障がいのある人とは言ってもその程度はいろいろで
重度の人と軽度の人を同じように扱えないでしょうし
同じことをしても「無理をしてる」ことになるか
「頑張れば大丈夫」なのか人それぞれでしょうね
by 藤並 香衣 (2019-03-24 22:26) 

ナベちはる

人生は誰もが一度きりなので、後悔の無いようにしたいです。
by ナベちはる (2019-03-25 00:43) 

Rinko

障がいあり・なしは関係なくがんばっている人は応援したいし褒めてあげたいですね。感動します(*‘∀‘)
by Rinko (2019-03-25 07:32) 

Enrique

人間には幸せを追求する自然権があります。
人から見たら不幸であっても,少しでも幸せになろうとするものです。自分や自分の肉親が少しでも生きがいのある生活をしたいさせたいと思うものです。自分が不幸をがまんしているから人にもそうさせたいとか,無責任に無理するなとか言う事は人類に対する犯罪だと思います。そこまで言わなくても非科学的感情論でしょう。それぞれのレベルに応じて頑張れば良いではないですか。健常者と障害者を明確に線引きできるものではありませんし,障害のレベルなど極端に差があるでしょう。支援学校と普通の学校との行き来が制度的に可能なのかどうか知りませんが,ぜひそうあってほしいですね。
by Enrique (2019-03-25 13:12) 

いっぷく

みなさん、コメントありがとうございます。

>支援学校と普通の学校との行き来が制度的に可能なのかどうか
>by Enrique (2019-03-25 13:12)

中学までは副籍、支援籍、副学籍という制度がありますが、月に1度のお客様扱いで、行き来という感じではないとおもいます。
by いっぷく (2019-03-26 23:23) 

レインボーゴブリンズ

健常者・障がい者を問わず、若い時にいろいろやってみること。これが年齢を経てきて、思うことですね。子供に経験を積ませることが、親の役割のように感じます。そう言う意味では、親のヤル気が大切になります。
by レインボーゴブリンズ (2019-03-27 23:49) 

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