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ザ・デストロイヤーが“強くて巧い”と感じたプロレスの試合 [スポーツ]

ザ・デストロイヤーが“強くて巧い”と感じたプロレスの試合

ザ・デストロイヤーさん(1930年7月11日~2019年3月7日)の訃報で持ちきりです。1973年3月から1979年6月にかけて全日本プロレスの所属選手として活動。日本テレビ系で放送されたバラエティー番組『金曜10時!うわさのチャンネル!!』にもレギュラー出演していましたが、知的でシリアスでシュートにも強いレスラーでもありました。



ザ・デストロイヤーといえば、1963年の対力道山戦、1964年の豊登戦、1965年以後のジャイアント馬場戦と日本のリングのエースと対戦し、1973年から6年間は全日本プロレスの所属選手として日本に滞在しました。

アメリカに帰った79年以後も毎年1~2度来日。

1990年代までは全日本プロレスのリングに上がり、その後も日本のプロレス界やマスコミに登場を続けていました。

訃報については、息子のカート・ベイヤーさんがFacebookに投稿しています。






ほとんどの人は、全盛期を過ぎてタレント活動や前座試合のザ・デストロイヤーのイメージではないかと思いますが、昭和40年代ぐらいまでは、日本のリングにおいても、知的で「真剣勝負」にも強いシリアスなレスラーでした。

ザ・デストロイヤー対力道山戦
プロレス写真記者クラブより
視聴率歴代4位だったプロレス中継“WWA世界選手権”の真実

ザ・デストロイヤー対力道山戦は、今も『番組平均世帯視聴率ベスト5』に入っています。

【番組平均世帯視聴率ベスト5】
1、第14回NHK紅白歌合戦、1963年12月31日、NHK総合、81.4%
2、東京オリンピック大会(女子バレー・日本×ソ連 ほか)、1964年10月23日、NHK、66.8%
3、2002FIFAワールドカップ グループリーグ・日本×ロシア、2002年6月9日、フジテレビ、66.1%
4、プロレス(WWA世界選手権・デストロイヤー×力道山)、1963年5月24日、日本テレビ、64.0%
5、ボクシング(世界バンタム級タイトルマッチ、ファイティング原田×エデル・ジョフレ)、1966年5月31日、フジテレビ、63.7%

しかし、昭和プロレスファンとして忘れてはならないのは、1971年に開催された『第13回ワールドリーグ戦』の決勝トーナメントです。

アントニオ猪木は“完敗”だった


いきさつを簡単にご説明しますと、『第13回ワールドリーグ戦』は、日本人レスラー9名と来日外国人レスラー9名が、日対外の総当たり2回戦、つまり18人のレスラーが予選を18試合行い、勝ち2点、時間切れ引き分け1点でカウントして、日本陣営と外国陣営の最高得点者同士が優勝決定戦を行うというルールでした。

興行の作り方から見て、ジャイアント馬場対キラー・カール・コックスが優勝決定戦と思われました。

ところが、この頃はアントニオ猪木のジャイアント馬場に対する対抗意識が強く、また周囲にもそれを焚きつける連中がいました。

予選最終戦のアントニオ猪木対キラー・カール・コックス戦で、いったんはコックスが勝ちなのりを受けたのですが、“猪木派”だったレフェリーが判定をヒックリ返して猪木の勝ちにしてしまい、決勝戦はジャイアント馬場とアントニオ猪木、外国陣営はザ・デストロイヤーとアブドーラ・ザ・ブッチャーが同点で浮上という事態になりました。

日本プロレスの幹部は、紙縒を引く抽選(笑)で、ジャイアント馬場対アブドーラ・ザ・ブッチャー、アントニオ猪木対ザ・デストロイヤーという「準決勝」カードを決定。

“ジャイアント馬場優勝”の筋書きを遂行するために、ザ・デストロイヤーにボーナスを弾んでアントニオ猪木に何が何でも勝ってもらう。

もし、アントニオ猪木が勝ったら、その時はジャイアント馬場にはブッチャーに負けてもらい、とにかく馬場と猪木が戦う決勝戦を回避する予定だったと言われます。

しかし、ザ・デストロイヤーが勝つと言っても、もしアントニオ猪木が色気を出して勝ちにきたらどうするのか。

いざとなったら、プロレスの範疇を超えるガチンコで猪木を倒すのか。

試合はYoutubeにアップされていたこともありましたが、ザ・デストロイヤーは、普段着の“プロレスの試合”で、猪木の必殺技・コブラツイストを4度も外し、足4の字固めをかけたまま場外に転落して両者リングアウト。

アントニオ猪木の決勝進出を阻みました。

引き分けたことで両者失格、次の試合でジャイアント馬場がブッチャーに勝ってジャイアント馬場の優勝ということになったのです。

試合も、観客とやり取りをしたり、ヤラれるところはヤラれて猪木に見せ場を作ったりしながら、しかし、コブラツイストはこうやって外すんだよ、というプロレス道場のお手本のようなディフェンスも披露。

プロレス道場のお手本のようなディフェンス

4度目のディフェンスでは、逆にすぐさま足4の字を決めてます。

私は事実上、そこで勝負あったと思いました。

結果は引き分けでしたが、試合内容はザ・デストロイヤーのペースだったように思います。

この試合は流儀はプロレスでも展開はガチンコだったと言われますが、私もそう思います。

なぜなら、猪木はこれでコブラツイストという技の神通力を失ってしまったからです。

アントニオ猪木は、それ以来コブラツイストを少なくともヘビー級レスラーに対して、フィニッシュ技として使えなくなり、私がフィニッシュで見たのはその11年後、自分より体の小さい寺西勇戦でした。

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まとめ


レスラーとしての晩年が長すぎたジャイアント馬場もそうですが、テレビタレントとしてや、引退間際の前座試合だけですと、ザ・デストロイヤーはともすればコミカルなレスラーのように見られてしまうかもしれません。

しかし、そうした“シューター”としての姿ももつ強く賢いレスラーであったこともまた覚えておきたいものです。

今日はかなりマニアックな話でしたが、ザ・デストロイヤーさんの生前のご遺徳をお偲び申し上げます。

マスクを脱いだデストロイヤー
マスクを脱いだデストロイヤー

「4の字固め」のひとりごと―力道山と最後に闘った男

「4の字固め」のひとりごと―力道山と最後に闘った男

  • 作者: ザ・デストロイヤー
  • 出版社/メーカー: ベースボール・マガジン社
  • 発売日: 1984/01
  • メディア: 新書


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犬眉母

昭和のプロレスは、スリルと迫力があったようですね。
by 犬眉母 (2019-03-09 01:57) 

末尾ルコ(アルベール)

ザ・デストロイヤーが“強くて巧い”と感じたプロレスの試合・・・デストロイヤーについてとなると、またお話しがなかなか尽きそうにありませんが、どのくらいで自重すべきか考慮しつつ書かせていただきます(笑)。
なにせ日プロ時代を知らないわたしでも出ずとロイヤーについては語りたいことだらけですから、本当に魅力的なレスラーでしたね。わたしの場合、リアルタイムでは全日時代のデストロイヤーしか知りませんが、それでも現役時代を観ることができたのは幸福というものだったです。
力道山VSデストロイヤーは写真だけでも凄い!足4の字がかかったところを俯瞰で撮ったあまりに有名な写真ですが、これはもう「昭和史」の一部ですよね。このモノクロの写真で、白覆面に滲む血が黒い・・・これが凄いんです。美術的にも優れた写真だと思いますし、サイレント時代の傑作ホラー映画をも彷彿させてくれます。プロレスではよく、(写真は凄いけれど、映像を観たら大したことなかった)という試合もありますが、力道山VSデストロイヤーは映像でも迫力満点。もう別格中の別格ですね。
『第13回ワールドリーグ戦』の決勝トーナメント・・・この試合はいっぷく様のご紹介で観ることができましたが、素晴らしいですよね。「猪木に勝たせない」と同時に、「猪木に分からせる」「観客に分からせる」など、様々な「目的」を、あくまでプロレスをやりながら達してしまったという。とてつもなく高度なやり取りのあった、プロレス史上稀な内容の試合だったと思います。
デストロイヤーの大木のような体つき、脚の太さ、体幹の強靭さと猪木の身体を比べると、どうしても地力でデストロイヤーに大きく軍配が上がりそうに見えます。デストロイヤーがあくまでプロレスとして成立させてくれたからまだしも、最初からセメントのみで戦えば、猪木にとってはもっと悲惨な結果が舞っていた可能性大だと思います。
デストロイヤーは、『覆面10番勝負』も魅力的でした。なんちゃって覆面レスラーが多かったのはずっと後から知ったことでして、子どもだったわたしは、1戦目から観ていたわけではないですが、もうワクワクものでした。例のザ・スピリット戦とか、10戦目のスーパーデストロイヤーとか、ハラハラしながら観ましたです。確かスーパーデストロイヤー戦は途中で放送が終わったのだと思いますが、同じくデストロイヤー大好きだった父が、前の試合がなかなか終わらないことに苛々していたことも記憶に新しいのです。


「重いブログ」の件の続きですが(笑)、SNSが浸透するにつれて、ブログサービス利用者が減少しているのは致し方ない部分があるとは思いますが、So-netブログは自ら利用者を減らしていると思しいわけですね(笑)。まあ、しっかりと意見などを表明できるブログサービス自体は無くなるべきではないと思いますし、わたしもできる限り続けていきたいと思っておりますが、特にSo-netブログにこだわっているわけではなくて、ひたすら「ブログ引っ越しが面倒くさそう」という理由が「So-netブログ継続」の一番大きな理由となっています。結論としては、「様子を見ながら」という無難なものになりますが(笑)。
「重い」のお話ですが、So-netブログの中でも、いつもうかがっている方たちのところは問題ないのですが(わたしの場合、正味それほどの人数はうかがっておりませんが 笑)、たまにたまに、あるいは突如nice!を入れてくださるブログの中に、わたしのPCでは時にフリーズをもたらすところがあるんです。何の気なしにその方のブログをクリックして、(しまったあ!!!)ということが多くてですね、別に記事内容どうこうではなくても、とても訪問できないというブログもあります。普段見慣れないnice!のブログさんって、極度に重い率が高いのです。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2019-03-09 03:25) 

pn

視聴率ベスト50の中でプロレスは2本で、2本ともデストロイヤー戦だとラジオで言ってた。
スゲーなと思ったけど、初期って素顔だったって話を聞いてびっくりしました(^_^;)
by pn (2019-03-09 06:21) 

こんちゃん

プロレスはそんなに見てなかったので詳しくないですが、噂のチャンネルで知ったデストロイヤーは好きでした。
デストロイヤー=4の字固めという印象です。
by こんちゃん (2019-03-09 07:43) 

てんてん

デストロイヤー大好きでした。
うわさのチャンネルで、徳光さんが4の字固めをかけられたシーンを思い出します^^;
ご冥福をお祈りいたします。
by てんてん (2019-03-09 10:15) 

kou

プロレスにはあまり興味が無かったですが、親父が夢中で見ていたので何となく当時の記憶があります。
自分はバラエティの記憶の方は強いです(^_^;)
by kou (2019-03-09 10:39) 

ヤマカゼ

強いレスラーでしたね。
懐かしい昭和の一コマでしたね
by ヤマカゼ (2019-03-09 15:00) 

扶侶夢

デストロイヤーは日本のマット界において最高の外国人選手でしたね。
対力道山戦は父親がプロレスファンだったので、その傍らでリアルタイムで観ましたが、日本初公開の4の字固めで力道山を困らせる姿はそれまでのブラッシーの様なヒールとは別格の衝撃的な登場でした。この悪役がまさか日本マット界で愛されキャラになるとは誰が想像したことでしょう。
冥福を祈りたいと思います。
by 扶侶夢 (2019-03-09 15:10) 

Take-Zee

こんにちは!
またひとり、昭和の有名人が亡くなりましたね・・

by Take-Zee (2019-03-09 16:29) 

ヨッシーパパ

千田光男が、技をかけられる役でしたか?
by ヨッシーパパ (2019-03-09 18:39) 

ma2ma2

7日の午後から光回線トラブルでpcやiPadなど使えないので来週復旧するまでブログお休みいたしますm(_ _)m
iPhoneからコピペするのが精一杯です(^^)
by ma2ma2 (2019-03-09 19:39) 

なかちゃん

小学生の頃、学校でプロレスごっこでやってましたね。
徳光和夫が足4の字固めを番組でかけられて、泣いていた記憶があります。
ただ、足4の字固めは一旦決まると自分でも外せないようなことを言ってましたが、それは???でした。

by なかちゃん (2019-03-09 23:33) 

ナベちはる

リング内でもリング外でも、ファンの夢を壊さないようにしていたところから彼の強さが見えるように思いました。
by ナベちはる (2019-03-10 01:29) 

かずのこ

この試合は見ていたかもしれないけど、
記憶にはありません。
またYouTubeにアップされることがあったら、
ぜひ見てみたいです。

by かずのこ (2019-03-10 10:12) 

そらへい

小学校だったか、中学校だったか
学校で四の字固めが流行りました。
by そらへい (2019-03-10 20:50) 

Rinko

デストロイヤーさんのご冥福をお祈りいたします。
父が大のプロレスファンなので、小さい頃から「デストロイヤー」や「ブッチャー」と言う名前を耳にしていました。
「最初は日本が大嫌いだったのに、今では日本を愛しています」とインタビューに応えていた彼に戦中・戦後の複雑な想いを垣間見た気がしました。
by Rinko (2019-03-11 07:54) 

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