ジャイアント馬場(1938年1月23日~1999年1月31日)の命日です。はやいものですね。プロレス関係の記事はしょっちゅう書いているので、いまさら“衝撃の新事実”というほどのものはありませんが、この記事ではジャイアント馬場絡みの3つの誤解について簡単に振り返ってみます。
ジャイアント馬場 王道ミュージアム
お墓の誤解
昨年、
馬場元子さんが亡くなり、ジャイアント馬場と一緒に兵庫県明石市の墓に納骨されました。
この間20年にわたって、「元子夫人が銭ゲバだから、馬場の墓も作らない」というネットの悪口もありましたが、そもそも馬場の墓は、元子夫人の父親が1985年に亡くなったときに伊藤家(元子さんの実家)の墓の近くにすでに建立済みで、元子さんの没後に一緒に納骨をする約束だったそうです。
いくら有名人夫人だからといって、何も反論しないのをいいことに、嵩に懸かって確かめもせず、つまらない中傷だと思います。
声を上げない人が嫌な思いをする世の中というのは、なんとかならないものでしょうか。
レスラーとしてのハイライトの誤解
これは、誤解というのと少し違いますが、晩年が頭にこびりついている大半の人々のために、全盛期のジャイアント馬場の証拠として、昭和30年代後半の、レスラーのレーティングがFacebookのあるプロレスグループで話題になっていましたので転載させていただきます。
1.ルー・テーズ
2.ブルーノ・サンマルチノ
3.バーン・ガニア
4.フレッド・ブラッシー
5.ベアキャット・ライト
6.エディ・グラハム
7.ディック・ザ・ブルーザー
8.レイ・スチーブンス
9.ペッパー・ゴメス
10.ジャイアント馬場
11.ウィルバー・スナイダー
12.キラー・コワルスキー
13.パット・オコーナー
14.ボブ・エリス
15.ディック・ハットン
16.アントニオ・ロッカ
17.エドワード・カーペンティア
18.カール・ゴッチ
19.クラッシャー・リソワスキー
20.フリッツ・フォン・エリック
日本では、天上人であるはずの力道山はいません。
力道山は、日本では“プロレスの父”でしたが、アメリカではロサンゼルスでしか通用しない田舎レスラーだったので、これは妥当なことです。
面白いのは、カール・ゴッチが18位であることです。
アントニオ猪木が、新日本プロレスを作った時の旗揚げ戦の相手です。
当時、「実力世界一決定戦」と称して行われ、テレビ中継した東京12チャンネルで解説した東スポ記者の桜井康雄は、「ゴッチはあまりにも強すぎるがゆえに、プロレス界で相手にしてもらえない実力世界一の男」というエピソードを喧伝しました。
そうやって、カール・ゴッチだけでなく、対戦したアントニオ猪木も盛りたてました。
しかし、これを見ると分かるように、ちゃんと相手にしてもらって売れていました。
ただし、ベスト10に入るほどは売れていなかったということです。
1961年に日本に来たときは、8人の外国人レスラーの中では、ミスターX(ビル・ミラー)に次ぐ2番手レスラーでした。
しかし、それでは「実力世界一」にしては中途半端といいますか、平凡な格なので、1位のルー・テーズ並みの大物にするために、桜井康雄がいうような売り出し方をしたのでしょう。
当時、裾野の広かったプロレス界でベスト20に入るということは、本当はすごいんですよ。
しかし、カール・ゴッチの独自の売り出し方である「ゴッチ神話」を守るためには、この順位は中途半端でした。
なまじ18位に入ってしまったことで、「実力世界一はないだろう」という意見も……。
売り方もむずかしいですね。
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馬場母はちゃんと修正されていた
ジャイアント馬場の人気と知名度を支えていたのは、全国ネットでプロレス中継を行った日本テレビ、そして梶原一騎原作の少年誌連載漫画(タイガーマスク、ジャイアント台風)だとおもいます。
その漫画の一つ、『ジャイアント台風』では、ジャイアント馬場の母・みつさんの絵が、ジャイアント馬場の女装といわれていましたが、これは半分誤解です。
作画の辻なおきは、ちゃんと後半で修正しています。
これは以前、「乗り物酔いをする母親を気遣って、電車で東京見物をしたジャイアント馬場のエピソードは泣けてくる『ジャイアント台風』」とご紹介した画像ですが、『ジャイアント台風』の該当部分と並べてみると、ちゃんと本物に似せていることがわかります。
おまけ
馬場と猪木で、強壮剤の広告に出ているのですが、こうしてみると、体の大きさの差が思った以上にあるので今更ちょっとびっくり。
馬場は、自分の身長がコンプレックスだった一般人の頃の名残で、リング以外では、わざと脚を広げてたつ(背を低く見せる)癖があったそうですが、それでもこれだけ違うんですね。
また何か気づいたことがあったら昭和プヲタとしてしつこく記事にします。
ジャイアント台風―ジャイアント馬場物語 (1) (講談社漫画文庫)
ジャイアント馬場、没後20年で明らかにする“3つの誤解”・・・こ、このお記事はですね、わたし語り始めると、延々といくらでも続けられます(笑)。どのくらいで自重させていただくかが悩みどころですね(笑)。
>「元子夫人が銭ゲバだから、馬場の墓も作らない」
まずこれですが、ホント、ネットには卑劣な思考の持ち主が山ほどおりますよね。根拠もないのに、元子夫人を悪者にしたいのですよね。元子夫人がいい人であろうが悪い人であろうが、ネット民の人生とは何の関係もないのに、「どうしても悪者にしておきたい」って、いったい何なのでしょうね。まあ大坂なおみに対して、「さっさとアメリカ国籍を取れ」とか「日本人として認めない」とか、いつまでも書きまくっている人間たちと似たようなメンタリティにも感じられます。客観性も知性も見識もゼロ。自分の虫の好かない人間は、「悪い」と決めつけたら、何か自分の人生が救われるとでも妄想しているのだと思います。多様な意見は認めなければなりませんが、こうした人たちのは「意見」というレベルに達しておりません。
そしてですね、このレーティングですよ!わたし、子どもの頃からこういうのが大好きで今回ご掲載くださっているレーティングだけでも、塩らーめんとご飯を10回はおかわりできます(笑)!これ、いいですよね~~~。結局、特にわたしとしましては、プロレスがおもしろくなくなったのは、こういうレーティングが意味をなさなくなってきてからなのだと思うんです。米国で今のWWEに繋がるような極度なショーアップが始まり、日本では日本人対決が中心となった時代ですよね。プロレスに見ていた夢がまったく無くなったのです。
それはさて置き、このレーティング。女子レスラーも入ってるんですね。凄いですね~。そして男子レスラーのレーティング。わたし、これをベースに、またまたYouTube、検索しまくりそうです。ベアキャット・ライトがこんなにまで高い評価なのですね。いいですね~。プロレス誌に、「凄いレスラーがいる」という感じで掲載されていたベアキャット・ライトにどれだけロマンを馳せたことでしたか。そして馬場、やはり凄い!米マットに定着しておれば、1位になっていた可能性十分ですね。エリックがちょっと低いかなあという気はしますが、ゴッチが入っているのも驚きです。日本での売り方のお話もとても興味深いですし、それ以上に、ゴッチが米マットで試合しているイメージが今一つ湧かないのです。でもこうしてしっかり評価されていたのですね。あと、このレーティングを眺めて感じるのは、セメントの強さも加味されていたのかもということです。あるいはある程度以上セメントも強くなければスターになれなかったのかなとも想像できて、この時代のプロレスにますます興味が湧きます。
レーティングについてはまだまだいくらでもお話できますがこの辺りで自重させていただいて(笑)、馬場・猪木の体格差ですが、馬場からすれば、猪木は子どもくらいの大きさですよね。自分から見てこれだけ小さな相手と試合するとして、「怖いか?」というと、全然怖くないと思います。逆に小さい方から図れば、絶対「怖い」ですよね。大きくても余程鈍臭ければ話は別ですが、馬場は猪木以上に動けてましたので、この当時セメントをやれば、馬場の勝ちだと思わざるを得ません。 RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2019-01-31 03:20)
えっ?今でもデカく感じる猪木がここまで小さいとは(@_@)
馬場はやっぱり「ジャイアント」なんだなぁ。
by pn (2019-01-31 06:23)
亡くなって20年も経つんですか!
大きな身体ですが、とても優しいイメージがあります。
by Rinko (2019-01-31 07:43)
晩年のころ、テレビの番組で大きい体の割にハンバーガー食べて満足されていたのでびっくりしたことがあります。
by ヤマカゼ (2019-01-31 08:59)
もう20年になるんですね。
富山にプロレスが来たときに初めて実物を見て、でっけ~~!とビックリしたことを思い出します。
ただ、当時はボクもまだ小学生だったと思うので、なおさら大きく見えたのかもしれませんが。
by なかちゃん (2019-01-31 10:11)
こんにちは。
ジャイアント馬場さんがお亡くなりになって、早20年ですか。
私は約20年前に新日本プロレスからプロレスが好きになったのですが、バラエティー番組などでも活躍されていた馬場さんの訃報は、全日本プロレスを観たことがなくてもショックだったのを憶えています。
写真を見ると、本当に身体の大きな方だったんですね。
by チナリ (2019-01-31 11:12)
こんにちは!
ジャイアント馬場、日本プロレスは日テレの
看板番組だったですね。
当時の清水アナの”チャイアント馬場”の絶叫が
思い出されます。
by Take-Zee (2019-01-31 14:26)
小学校の頃、休み時間に16文キックや猪木のコブラツイストなどを真似して遊んでいました。
by ヨッシーパパ (2019-01-31 19:14)
没後20年…時間が経つのは早いですね。
by ナベちはる (2019-02-01 00:50)