市川森一が語る「『傷だらけの天使』は鳩の糞」の真意は? [懐かし映画・ドラマ]
市川森一(いちかわしんいち、1941年4月17日~2011年12月10日)さんの命日です。市川森一脚本と言えば、とにかく「予定調和のハッピーエンドを嫌う」ホンを書くことで知られていました。今もマニアが多い『傷だらけの天使』などはその典型でしょう。(画像はGoogle画像検索画面より)
子供番組でも容赦なく“アンチ予定調和”
市川森一さんの予定調和嫌いは、この東スポ記事にも寄稿されています。
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345:追悼・市川森一さん~快獣ブースカの最終回は奥が深い | 高木マニア堂 https://t.co/RX524wgdmQ
— 秘書筒井@相互フォロー希望ですの (@hishotsutsui) 2018年12月9日
たとえば、『ウルトラセブン』(1967年10月1日~1968年9月8日、東宝/TBS)の第37話『盗まれたウルトラ・アイ』では、モロボシ・ダンからウルトラ・アイを盗んだマゼラン星人の少女・マヤが、結局は故郷のマゼラン星に見捨てられてしまう形に。
その上、ダンに、「この星(地球)で生きよう。この星で一緒に…」と説得されているのに自殺させてしまいます。
『快獣ブースカ』(1966年11月9日~1967年9月27日、東宝/NTV)も書いていましたが…
20日間の光速宇宙航行によって、地球は20年も月日が流れることを知らずにブースカは旅立ってしまうという、SFまで用いて“しおしおのぱぁ!”の最終回にしています。
『傷だらけの天使』
そして、市川森一といえば、何と言っても『傷だらけの天使』(1974年10月5日~1975年3月29日、東宝/NTV)でしょう。
とにかく型破りだったオープニング。
ニコ動では、コメントが、もう画面が見えなくなるほど入ってますね。
それらが、いちいち“ごもっとも”なので笑ってしまいます。
>親戚のおじさんがマネしてたそうだ コンビーフ直食いは少しキツかったとw
>これかっこいいよな~
>これ真似したい
>このコンビーフ丸かじりにどれだけ憧れたか
>息子は高倉健の健に菅原文太の太を取って健太ってんだ
>良い時代やなあ
>牛乳を常温で・・・
>牛乳口で開けるのがワイルドやったな
>最近のドラマってこういうのないよな
>この雑で乱暴で適当な男の食い方!みたいな食べ方だから好きなんだよ
>ただ飯食ってるだけなのにどうしてこんなにカッコいいのだろうか
>うまそうに喰ってるのがいいよな
『傷だらけの天使』(市川森一著、大和書房)で、メインライターだった市川森一は、こう語っています。
~鳩が、糞をたれて、飛び立つ~
「傷だらけの天使」は、この一行から始まった。
鳩=平和のシンボル。即ち、平和の糞。70年代の繁栄が垂れ流した糞。「傷だらけの天使」とは他でもない、実に、鳩の糞だったのだ。
どういう意味なのでしょう。
高度経済成長から置いてけぼりを食った?
舞台は、綾部探偵事務所。
「探偵」と一口に言っても、いろいろ得意分野はありますが、綾部探偵事務所は、他の探偵事務所が敬遠するような危険な案件の調査と後始末を隠密に行います。
登場するスタッフは、所長(岸田今日子)と男性社員(岸田森)、受付嬢(ホーン・ユキ)の3人。
それ以外は、福利厚生も雇用関係もない、仕事があると呼び出される調査員が数名。
何かあっても労災など使わせてもらえず、最悪“殉職”したらそれっきり。
そんな請負調査員が、木暮修(=オサム、萩原健一)と乾亨(=アキラ、水谷豊)です。
命をおびやかされるような危険な仕事をさせられ、報酬はほのめかされていた額の何分の1かで、しかも岸田森にピンハネされるという、およそ人間らしい扱いを受けていません。
それでも、全26話中、25話まではなんとか命拾いするのですが、最終回では、アキラ(水谷豊)がバイトで真冬に噴水に入るパフォーマンスで、風邪をこじらせて死んでしまいます。
最後のシーンでは、オサムがアキラの死体をドラム缶の風呂に入れて、「今、女抱かしてあげるからな」と雑誌のヌードページをアキラにベタベタ貼りつけ、そのドラム缶ごと夢の島に捨ててきてエンディングという、トンデモない結末です(笑)
高度経済成長というが、それに乗れない、もしくは社会が乗せてくれない、置いてけぼりもいましたよ、というメッセージだったのでしょうか。
35ミリフィルムで撮影したものを16ミリフィルムに焼き付けた、幻灯機で映すような画質でしたが、それもアウトローを演出していたと思います。
『傷だらけの天使』。こ存じですか?
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市川森一が語る「『傷だらけの天使』は鳩の糞」の真意は?・・・『傷だらけの天使』はあまりに有名ですが、まともに観たことがないのです。一度通して観てみたいと思います。恐らく本放送の頃はわたしの家はこうしたアウトロー的なドラマを観るような雰囲気ではなかったのだと思います。この頃祖父母がまだ同居していたかははっきりと覚えておりませんが、多分入院するかしないかの時期だったと思います。祖父母がいたら、こうしたドラマは絶対無理でしたし、父もアウトロー的な雰囲気はそんなに好きではなかったですね。『俺たちに明日はない』を観ながら、「この考え方はおかしい」とか言ってましたから。「考え方がおかしい人たち」を描いた映画なのですが(笑)。
市川森一は『快獣ブースカ』も書いていたのですか。プースカには憧れておりましたが、あくまで「過去に放送していたおもしろそうなドラマ」の中のキャラクターとしてであって、こちらもまともに観たことはないですね。いわば子どもの頃に、ジョージ・ハッケンシュミットに憧れていたようなもので・・・とまで書くと、お話を盛り過ぎとなってしまいますが(笑)。
『ウルトラセブン』のお話は尽きませんが、どのエピソードも現在のドラマとは比較にならないほどクオリティが高かったと思います。映像美の追求も見事ですし、本当に地球が侵略者に狙われているかのごとき異様な雰囲気も濃厚に醸成されておりました。そして『タイガーマスク』とも共通しますが、主人公が孤独なのがいいのです。命を擦り減らしながら戦っているのに、それを誰も知らない・・・これがいいのですよね。恐らく今の子どもたちや若い人たちはこうした設定に耐えられないのだと思います。そしてアンヌ隊員と深く愛し合いながらもその想いを容易に伝えることはできない・・・これも『タイガーマスク』と共通している美しさです。
『テレビに出たいやつみんな来い』って、おぼろげに覚えているような。大熊元司が出ていたんですね。
たけしって今はどうか知りませんが、基本プロレスをずっと下に見る傾向があって、(あんなもの認めない)という意識がありありでした。すぐボクシングと比べて、「プロレスはカッコよく負けることができるけど、ボクシングの負けは惨めだからなあ」とか、いろいろ書いてました。もちろん人間の心理を単純化してはいけませんから、プロレスを舐めつつ、どこかボクシングよりも人気があることに対する反発心などもあったのかもと感じていました。『スーパージョッキー』にグレート小鹿が出てきたことがあって、あの風体で割とシンプルな発言をするものだから、たけしが「意外と素朴な人ですねえ」と言ったのをよく覚えております。記憶というのはおもしろいものですね。『スーパージョッキー』なんていう番組で観たことなど100%に近いほど忘れているのに、そのグレート小鹿とのやり取りはその映像まで鮮明に覚えていたりして。
松坂慶子の『ウルトラセブン』はやはり当時の松坂慶子がそれだけのバリューがあったから、(え?『セブン』にも!)という意外性がよかったのでしょうね。それだけ松坂慶子は日本の中心にで~んと鎮座していたイメージでした。 RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2018-12-10 03:01)
傷だらけの天使,何度か見た記憶あります。
いろんな脚本されたのですね。
by ヤマカゼ (2018-12-10 06:28)
口で開けられなかったんだよなぁ...
by pn (2018-12-10 07:27)
傷だらけの天使は、ほぼ毎週見ていたと思います。
あの食事(たぶん朝食と思いますが)の食べ方に憧れた人も多いんじゃないかな?と思いますね。
予定調和嫌いというのもありだろうし、物語が始まったらすぐに結末が見えそうなのもありだと思います。どちらも嫌いじゃないですね(^^)
by なかちゃん (2018-12-10 09:23)
おはようございます!
市川森一さんは優しい語り口でしたね。
ラジオ人生相談ではピッタリの聞き役でした。
by Take-Zee (2018-12-10 09:51)
おはようございます。
記事を拝見させていただきましたが、驚くべきストーリーですね。
私は、物語は必ずしもハッピーエンドにする必要はないと、常々思っているのですが、子供が大勢観ている「ウルトラセブン」の自殺させてしまうという回は、子供にとっては衝撃的でトラウマになってしまいそうなストーリですね。
「傷だらけの天使」はタイトルだけ知っていて、一度も見たことがないのですが、どの作品も、現在ではテレビで放送できないような内容だと思いました。
by チナリ (2018-12-10 09:52)
前記事の野坂昭如ですが、彼の生涯、作品についてもその生い立ち、幼少時の体験。自新潟県副知事を務めた実父との関係を抜きにしては語れないものがあると思います。
作家以外にも、歌手、タレント、論客としてのテレビ出演が目立ったものの、それだけではなく、心中には常に渇望があったと想像しています。
「傷だらけの天使」は勿論、「怪獣ブースカ」も楽しく見ていました。運動会の応援旗に描いたのも、怪獣ブースカでした。
市川森一と言えば、トレードマークは派手な柄物のニットセーター。とある女性タレントが彼に執拗に口説かれたと話していたスキャンダルを思い出してしまいました。
by hana2018 (2018-12-10 10:17)
本放送の途中から評判の良さを姉が聞いて、一緒に見ていました。あの頃は視聴率のいい番組はすぐ再放送していましたから、再放送も何回も見て、番組への謎解きをしていました。日本語が読めないという設定は今回の書き込みテロップで初めて知りました。
後にあやめおばさん役である岸田今日子さんと姉はフランス語のお教室で知り合い、姉の妊娠中にお腹をなでながら、
「感性のいい子になりますように。」と言われ、
実際に生まれた姪は、在学中は何処の学校でも教師を驚かす文章を書く子になりました。なので、うちでは岸田さんは凄いという思いが体験としてあります。
by A・ラファエル (2018-12-10 10:35)
ドラマ『親戚たち』をもう一度観たいです。
by tsun (2018-12-10 11:17)
私(我々)の世代にとっては永久不滅のバイブルの様なテレビ番組でした!(^^
当時高校1年でしたが、「この番組、ブルース・リー、仁義なき戦い、ソウルミュージック!」後(今)の私の価値観を決定づけた人生四天王に出会えた昭和49年と言う年は永遠に忘れることの出来ない1年でした!!(^^;
by MONSTER ZERO (2018-12-10 12:54)
「傷だらけの天使」は大好きで毎回観ていました。主題歌・挿入歌がショーケンには無くてはならない井上堯之作曲でこれがとってもマッチしていました。
ちなみにこの頃のショーケンは「和製ベルモンド」とも呼ばれていて、私の好きだったジャン・ポール・ベルモンドを思わせる芸風が良かったですね。
by 扶侶夢 (2018-12-10 15:40)
ブースカ、超懐かしいですね!
欠かさず観てました(^^)
by kou (2018-12-10 17:24)
いっぷくさんは、ほんまに読書家ですね~。 感心! 感心!
by hieroh66 (2018-12-10 17:37)
”オサムちゃん”、懐かしいですね。
その当時、食材そのままで(生ものは除く)次々かじりつくことを
友人との間では「傷天喰い」って呼んで憧れていました。
今やったらお腹壊しそうです。^^;
by yes_hama (2018-12-10 21:24)
ブースカは「リメイク版」なるものがあったのでそれで知りました。
当時が1999年~2000年だったと記憶していますが、それより前のブースカは知らないので、それを今初めて見てどこか新鮮に感じています。(もっとも、見た目自体はほとんど変わらないのですが…)
by ナベちはる (2018-12-11 00:24)
市川森一さんのウルトラセブンは、大人になってから見ると、考えさせられる内容の物語ばかりです。
「北へ還れ」という話は、大人になってから見ると泣けます。
by レインボーゴブリンズ (2018-12-13 12:25)