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映画『津軽じょんがら節』は荒波、寒風、イタコの津軽地方を描く [懐かし映画・ドラマ]

映画『津軽じょんがら節』は荒波、寒風、イタコの津軽地方を描く

『津軽じょんがら節』で第69回直木賞を受賞したのは、今日が誕生日の長部日出雄(おさべひでお、1934年9月3日~)。津軽三味線の隠れた名人がいたという物語です。内容は異なりますが、同名の映画『津軽じょんがら節』(1973年、斎藤耕一プロダクション、ATG)をご紹介します。(画像はことわりのないものは劇中から)



長部日出雄といいますと、正直私は、作家というより、『テレビくん、どうも!』(1985年10月6日~1988年12月25日、フジテレビ)という、かつてのトーク番組の出演者というイメージがどうしても強いですね。

長部日出雄
Google検索画面より

『テレビくん、どうも!』覚えていますか。

明石家さんまこと杉本高文に、ゲージツカ・クマさんこと篠原勝之と長部日出雄が加わって、ゲストを迎えて雑談をする日曜午前中の番組でした。

「ジャイアント馬場は、攻撃しているときもやられているような表情をしている」という話をしていたので、指摘している点にプロレスの深さのようなものを感じ、毎週見ることにしましたが、まあそれは少し買いかぶりだったかもしれません(笑)

今回は、長部日出雄が1973年に第69回直木賞を受賞した『津軽じょんから節』と同名の映画(原作というわけではない)『津軽じょんから節』をご紹介します。

監督は、『小さなスナック』の斎藤耕一です。

同作は、こんな甘いシーンがありましたが、

藤岡弘と尾崎奈々
劇中より、藤岡弘と尾崎奈々

『津軽じょんから節』は、津軽の荒々しい波や寒風、さらにイタコの風習をイメージする神秘主義も加わったストーリーです。

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寒風吹きすさぶ津軽地方の物語


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『津軽じょんから節』の内容は、このツイートでおおむね語られています。




201809030516.png
全編こんな感じで、背後の荒波の音と動きに圧倒されます

男(織田あきら)は、義侠心で人を刺したものの、誰もかばってくれず、イサ子(江波杏子)に誘われて、女の故郷である津軽にやってきます。

イサ子(江波杏子)

が、田舎暮らしが退屈なのと、イサ子(江波杏子)もあまり身持ちはよくなくて、近所の男たち(寺田農、佐藤英夫ら)がチョロチョロしているため、男はストレスのはけ口を、村に住んでいる盲娘(中川三穂子)に求めます。

イサ子(江波杏子)は、漁師(西村晃)の息子と駆け落ち同然に村を飛び出した過去がありましたが、漁船で遭難した父と兄の墓を保険金でたてる目的もあって戻ってきました。

しかし、父と兄の遭難が偽装であり保険金支払の対象にならないと保険会社に言われ、「やっぱりここは呪われた村だ」と、故郷に帰ってきたことを後悔します。

結局、イサ子(江波杏子)だけが村を去ることになり、男(織田あきら)は盲娘(中川三穂子)と結ばれますが、殺傷事件の復讐に来たヤクザたちに刺殺されてしまいます。

要するに、男(織田あきら)は、イサ子(江波杏子)と一緒に村を出ないで、呪われた村にとどまり、呪われた娘とかかわったから刺殺されたという神秘主義的なストーリーです。

全編、寒風吹きすさぶ津軽地方の、暗くて怖いイメージに三味線や民謡が入った独特の作風には、東北の重さが伝わってきます。

救いは、男(織田あきら)が盲娘(中川三穂子)と出会ったり、漁師(西村晃)と船に乗って労働する喜びを知ったりするところ。

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盲娘の、トーホグらしい朴訥としたたたずまい、はにかみ、ほっぺを赤くして「あんちゃ、手ぇさ、つないでけろ」と織田あきらを慕う様には、こういう女性が本当に現地にいるのなら、冬はあまりの寒さに車中でストープをたく電車に乗る“恐山ツアー”に行きたくなります。←そういうツアーあるんですよ

ちなみに、この“津軽ゴールデンコンビ”は、翌年は西城秀樹と早乙女愛の『愛と誠』にも出演しています。

津軽の荒海、実際にご覧になったことありますか。

実は私は、妻が青森出身ですが、まだ行ったことがありません。

そういう人には、十分に現地の様子が伝わる観光映画になっています。

機会があれば、ぜひ覧ください。

津軽じょんがら節 [DVD]
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風雪平野 (長部日出雄・津軽の本)
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kiki

5年前、弘前のホテルで年末年始を過ごしました。
毎晩、じょんがら三味線の演奏があり、
毎晩聴きに行きました。
胸の奥を揺さぶる音色ですね。

by kiki (2018-09-03 08:38) 

hana2018

映画「津軽じょんから節」は観ていませんが、この一度見たら忘れないインパクトの強いポスター、監督の斎藤耕一の名前も懐かしく思います。
津軽はほとんど夏にしか行った事がなくて、また弘前の街は11月に出かけた時でさえ降雪の跡が残っていました。
恐山のある下北、五所川原からストーブ列車の走る津軽半島間は少々距離がありますが、その間は在来線?またはバス移動になるのかしら?
津軽じょんがら節の演奏は何度か。独特の旅情、迫力を感じるのが定番ながら、演奏者&演目によっては全く違った心もちになる場合があるのも経験しました。
by hana2018 (2018-09-03 09:59) 

えくりぷす

津軽の海は、反対側の函館から眺めたきりです。長部日出雄は、『邦画の昭和史―スターで選ぶDVD100本―』を図書館で借りて読んだ覚えがあります。DVDを借りるときの参考にしたいと思いまして・・・。
by えくりぷす (2018-09-03 10:52) 

pn

いいよー津軽下北。小雨混じりの龍飛崎なんてこの世の果て感満載(失礼だ)、太宰治だっけかな?そんな事言ってたのは。
階段国道があるんですよ。まだあるのかな?
by pn (2018-09-03 12:35) 

末尾ルコ(アルベール)

映画『津軽じょんがら節』は荒波、寒風、イタコの津軽地方を描く・・・これは映画が近々ぜひ鑑賞したいですし、原作も未読なので読んでみたくなりました。
それにしても、『小さなスナック』の藤岡弘、セクシーな二枚目ですね!昨今の貧相なジャニーズの手合いとは雲泥の差です。男から見てもカッコい男ですよね。子どもの頃に『仮面ライダー』に憧れた自分が(間違ってなかった)と誇らしくなります。
長部日出雄はとても映画ファンなんですよね。1988年に出た『大アンケートによる洋画ベスト150』という本で中野翠らと対談をやっておりまして、とてもおもしろい内容になってました。ちなみにこのアンケートで1位は『天井桟敷の人々』でした。『津軽じょんがら節』はATGというのもいいですね。ATGのような活動が普通にあって、一定のファンもいた時代は豊かでした。
この作品の織田あきら、悪そうですね~(笑)。サングラス姿はダウンタウン時代の宇崎竜童のようです。わたし、「霊媒」の類いは原則信じないのですが、「いたこ」は伝統がありますし、東北地方の厳しい歴史とも深くかかわっている存在ですので、以前から興味はあります。

>こういう女性が本当に現地にいるのなら

納得です(笑)!と言いますか、わたしは高知生まれだので、東北や北陸の女性に憧れがあるのです。色白で、時々遠くを眺めて(笑)、しっとりとしているけれど、芯がしっかりとしているという・・・高知の多くの(←すべてではありません 笑)女性と真逆のキャラクターがわたしの心に描かれ続けております。明らかに「隣の芝生は~」状態ではありますが(笑)。


>作家であれジャーナリストであれ当然のこと

おっしゃる通りです。「創作」というものの大原則ですよね。思いますにいつしか日本人の多くがこの感覚を失ってきているのかもしれません。かつて英会話教室へ足繁く通っている頃ですが、文学好きの英国人女性に三島由紀夫を紹介したんです。予想通り彼女は三島にはまってしまい、他の生徒とのレッスンでも三島の話題をよく出したそうです。ところがほとんどの生徒は、「三島」と耳にしただけで、「ギョッとした表情になり、話題にしてはならない存在のような雰囲気になった」という話しをしていました。間違いなく彼らは、「読んだこともなく」「三島についての知識もほとんどゼロ」なのに、イメージだけで「嫌い」としているのですね。そのイメージというのは、(危険そう)(極端そう)(異常そう)・・・とかいったものなのでしょう。これはわたしの個人的体験なのですが、しかし現代の一般的日本人のレベルを表しているのだと考えております。つまり、「多少なりとも彼らの貧困な価値観から逸脱する表現は受け付けない」といったところではないでしょうか。そしてこういった人たちって、日本の文化レベル、社会レベルをどんどん下げているんですよね。
それと、「自分の好みのジャンルの映画(小説、ドラマ・・・)しか受け付けない人たちがいるんですよね。例えば映画では、アクション映画を端から馬鹿にしている人たちがかなりいます。つまらないアクション映画も多くありますが(笑)、しかし無声映画時代から、映画の基本はアクションで、絶対にこの伝統は守り、発展させていくべきなのですよね。ところが、「社会的メッセージの無い映画はレベルが低い」とか思い込んでいる人がいて、話していて頭痛がすることがあります。どんなジャンルの芸術も、「多様な愉しみ方」があることを知らない人たちなんですね。

グレート小鹿のお話ですが(笑)、日本でももっとヒール的なイメージのキャラクターで試合した方が生かされたかもしれませんね。まあ当時はなかなか、「日本陣営=ベビーフェイス」という公式が根強かったですからそんな発想は特に硬い馬場にはなかったのでしょうが、今考えるともったいなかったです。大熊と組んだことで、コミカルな展開が多かったですよね。さらにタイクーンズ(イヤウケア、ラモス)に失神させられて、場外を引き摺り回されるという憂き目に(笑)遭ったことも。実はこのシーン、わたしは目撃してないのですが、山田隆が解説で言ってました。まだプロレス観戦初心者だったもので、(プロレスとは何と残忍なことが起こる世界なのか!)と驚愕し、逆に魅惑もされた(笑)と同時に、「グレーと小鹿はイヤウケア、ラモスに失神させられるくらい」と摺り込まれました。
しかし思えば、米国の実績を買い、ヒール的なファイトスタイルでイヤウケアあたりと因縁を作ったら、凄くおもしろくなっていた気がします。小鹿は顔も体型もいいですしね。そして小鹿も含め、当時の全日は、手持ちのレスラーをなかなか有効に使えなかった感がありますね。新日の方は何だかんだ言って、全日よりは使い切っていたのではないでしょうか。RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2018-09-03 15:31) 

ヨッシーパパ

津軽半島には、レンタカーで行きました。
GWか、夏頃だった様な気がします。
冬なら、荒波が凄いのでしょうね。
by ヨッシーパパ (2018-09-03 18:50) 

そらへい

ポスターは記憶がありますが、映画は覚えていません。
ATGの映画は時々見ていたのですが、
見直したら思い出すかも。
渋谷のジャンジャンで高橋竹山の津軽三味線を聞きました。
凄い迫力。
津軽の海を見たのは夏でした。
by そらへい (2018-09-03 20:30) 

ヤマカゼ

題名は聞いたことありますが、内容は初めてしりました。
日曜日は、朝から雨ふりでどこかラーメン屋さんないか、いっぷくさんの過去のブログ内をサーフィンさせてもらいました。
いつもコメントありがとうございます。
by ヤマカゼ (2018-09-03 22:41) 

ナベちはる

行ったことがない場所でもその情景が伝わる、一つの職人芸ではないかと思いました。
by ナベちはる (2018-09-04 00:47) 

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