『君は山口高志を見たか』(鎮勝也著、講談社)を読みました。阪急ブレーブスで現役時代を“太く短く”活躍した豪速球投手としての伝説の時代と、スター選手らしくない謙虚さと真面目さで、60歳過ぎてもユニフォームを着続けている現在までが書かれています。
山口高志は、「日本プロ野球史上最も速い球を投げた投手」(wiki)といわれています。
関西大学時代、ヤクルトからドラフト指名され、白紙の小切手が提示されたそうですが入団はしませんでした。
安定したサラリーマンを選択して松下電器に入社したのです。
しかし、野球人として腕を試したくなり、その2年後の1975年には、大学の先輩である上田利治監督率いる阪急ブレーブスに、阪急本社との契約(60歳までの終身雇用契約)で入団します。
私の記憶では松下電器時代、ドラフトではどこが指名するかとその年の目玉になっていました。
同書でも、山口高志入団は、『阪急ブレーブス50年史』の見出しになったことを紹介。いかに大きな出来事だったかがわかります。
当時の阪急ブレーブスは黄金時代でしたが、その時は先発と抑えの2役。
巨人が第一次長嶋政権時代の日本シリーズは、抑えの切り札として活躍しました。
日本シリーズ中継では、当時流行していた歌のタイトル(山口さんちのツトム君)から、「山口さんちのタカシ君はいつ登板するでしょうか」といわれ、巨人打線対山口高志が見どころといわれました。
先発と抑え2役の酷使で短かった現役時代
Google検索画面より
では、山口高志は無敵だったかというと、そうではないのです。
生涯成績を見ると、1年目~3年目の全盛期は、勝ちと負けの差が拮抗しています。というより負け越しています。
1年目は12勝13敗1セーブ(新人王)、2年目は12勝10敗9セープ、3年目は10勝12敗11セープ。
4年目は抑えに専念して、13勝4敗14セープで、タイトル(最優秀救援投手)を取りましたが、その翌年からはガクッと登板機会が減り、結局8年で現役生活を終わっています。
負けが多いのは、山口高志が真っ向勝負でストレートを投げ抜いた証ではないかと思います。
相手もブロですから、いくら速いと言っても「8割はストレート」ならミートされる確率は高くなります。
今の投手のように、ワンバウンドのフォークボールを投げれば相手は打てないでしょうが、山口高志はそれをしなかったのです。
「山口君、覚えているねえ。体は大きくなかったが、腕の振りがよく、ボールがホップしていたねぇ。逃げるのが嫌いなタイプで、ストレートで勝負するピッチャーに見えました。性格的にも力で押すタイプだったんじゃないのかな。印象は村山さんの若い時と同じですね。豪快なストレートとドロップを投げていた村山さんの姿と重なりますよ…」(同書で長嶋茂雄氏)
以前書いた
金城基泰もほぼストレートだけで活躍しましたが、山口高志もそうだったわけです。
打たれるリスクが高いからこそ、抑えた時の価値がある。
山口高志の豪速球が、今こうして書籍になって改めて語られるのは、まさにその「価値」によるものです。
当時の野球選手には、そういう意固地さがありました。
あの王貞治も、いくら王シフトでセンターラインより左側がガラ空きでも、しょぼい流し打ちはせず、ホームランにこだわりました。そして、スランプになっても2本足には戻しませんでした。
ファンの側からすると、チームがピンチの時はちょっと融通きかせたらいいのに、なんて思うこともありましたが、その頑なさがまた楽しかった。
山口高志の功績は、本人の残した成績だけではありません。
山口高志が後ろを引き受けたことで、先発との両刀使いだったエースの山田久志が先発に専念できました。
山田久志が、日本プロ野球史上に残る生涯成績を残したのは、山口高志の存在があってこそ、ともいえます。
ただし、先発と抑えを兼任した酷使が、現役生活をたった8年で終わらせてしまった原因でもあります。
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引退後は能力と人徳で現在も活躍
引退後は阪急、オリックスでコーチ、スカウトをつとめましたが、星野仙一監督に誘われて阪神に移籍。
藤川球児を育てるなど貢献しました。
阪急で結んだ終身雇用契約は、阪神が「六十歳までは面倒みます」(同書)ということで引き継がれましたが、現在は64歳。
もう「契約だから」ではなく、実力で現在も阪神の投手コーチをつとめています。
もっとも、同書を読んでいると、終身雇用契約がなくても、球団は山口高志を手放さなかったのではないかと思います。
山口高志は、サラリーマンを求めたノンプロ出身。浮ついたところはなく、給料は夫人が管理。
社会人としての常識もあります。プロ入り後の自主トレはスーツにネクタイで球場入りし、同僚の大橋譲をびっくりさせました。
そして、真面目で研究熱心。コーチになってからは、野手担当の大橋譲に相談を持ちかけることもあったそうです。
山口高志には、身長が低かった、私立強豪校に行けなかった、高校一年では野球を辞めかけたなど、野球人としてコンプレックスがあったそうです。
それが、真面目で控えめな態度につながったのでしょう。
周囲から信頼され、太く短かった現役生活と対照的に、引退後はコーチやスカウトとして、ずっとプロ野球に関わっているのです。
私はこの本を手にするまで、てっきり豪速球投手の太く短い現役時代をドラマチックに描いた読み物だと思っていました。
しかし、読んでみるとそうではなくて、なぜ山口高志が40年にわたってプロ野球人として必要とされているのか、地味な努力や人間性などをきちんと描いたノンフィクションであることがわかりました。
プロ野球ファンにはぜひお読みいただきたい力作です。
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