『てなもんや幽霊道中』(1967年、東宝/宝塚映画/渡辺プロ共同制作)を鑑賞しました。2月22日は、同作とともに、テレビ版である『てなもんや三度笠』にも、蛇口一角という名の浪人役で出演した財津一郎の生まれた日です。『てなもんや幽霊道中』は、『東宝昭和の爆笑喜劇DVDマガジン』(Vol.15)にも収録されました。
『東宝昭和の爆笑喜劇DVDマガジン』(Vol.15)
『てなもんや三度笠』(1962年5月6日~1968年3月31日、朝日放送)は、リアルタイムで視聴経験がなくても、番組名はご存じの方が多いのではないでしょうか。
昔の番組を紹介するときに、必ずと言っていいほど出てくるのは、オープニングで藤田まことが、「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」と、スポンサーの前田製菓のクラッカーを持って見得を切るシーンです。
前田製菓は現在もクラッカーを販売中です。
同作は、渡世人・あんかけの時次郎役の藤田まことと、小坊主役の白木みのるの珍道中を描く喜劇。ABCホールの舞台から中継した18時からの30分番組でした。
詳しいストーリーは忘れましたが、私もリアルタイムで見ていました。
その時の記憶で言うと、もちろん、「あたり前田のクラッカー!」も同番組が生み出した流行語ではありますが、それだけではなくて、たとえば口の周りを黒く塗った三波伸介の「びっくりしたなあ、もう」とか、財津一郎の「ひっじょーに……」というのもウケていたと記憶しています。
『てなもんや三度笠』は人気番組だったので、東映や東宝で映画化。東宝では3作上映され、『てなもんや東海道』(1966年)は、『東宝昭和の爆笑喜劇DVDマガジン』(Vol.11)に、『幕末てなもんや大騒動』(1967年)は「Vol.13」に収録されました。
本作はその3作目にあたります。
ストーリーは、テレビと同じで、2人で旅をするのですが、そこに、
ハナ肇、
谷啓、野川由美子、
ザ・ドリフターズ、漫画トリオ(
横山ノック、フック、
上岡龍太郎)などが絡みます。もちろん財津一郎も出演しています。
社長シリーズでお馴染みの、
松林宗恵監督作品です。
財津一郎の必笑パターンは新喜劇仕込みか
Google検索画面より
タイトルで、財津一郎を「クドイけど軽い」と書きました。
もちろん否定的な意味ではありません。
人を傷つけたり陥れたりせず、周りくどい哲学を表現しているわけでもないけど笑わせてしまう絶妙の芸だなと思います。
『東宝昭和の爆笑喜劇DVDマガジン』(Vol.15)にも、当時の財津一郎の芸についてこう書かれています
「舌で刀をペロペロなめまわしたり、地面をはいつくばってのオーバーアクションが何よりの持ち味となってゆく。その上で、「サミシーッ!」「キビシーイッ!」という、キレのいい決め台詞が人気となり、大流行した。
財津一郎も、実は
大田区ゆかりの人です。
大田区にあった榎本健一映画演劇研究所(エノケン学校)出身だからです。
そして財津一郎はもともと東京生まれ。
ただ、上記の芸は、やっぱり大阪なんですよね。
さんざんクドい芸で“タメ”を作って、最後にセリフで落とす。
これ、テレビ版の『てなもんや三度笠』で藤田まことの敵役だった原哲男の「誰がカバやねん」とか、未知やすえがさんざんガラの悪い啖呵きってから「男って怖いわあ」とか、
岡八郎のバタバタぎこちない動きの後、「くっさー」と言うアレと同じパターンですよね。
財津一郎と“共演”を思い出す
財津一郎をナマで見たのは、今から30年ぐらい前です。
チェッカーズの『CHECKERS in TAN TAN たぬき』という映画があって、チェカーズはタヌキだというストーリーなのですが、財津一郎も重要な役で出ていました。
DVDパッケージより
私はエキストラで、4シーン全て違う役で出ているのです。
ひとつはオープニングの、チェッカーズの記者会見で新聞記者。これはいま見ても自分を見つけられません。
2つ目は、財津一郎が「チェッカーズはタヌキなんですよ」と記者会見で発表して、記者たちが「あほらしい」と言って去っていくシーンの記者の1人。
3つめは、入谷でロケをしたのですが、大衆食堂でかつ丼を食べる労働者です。3分の1ぐらいの量の丼を3回ぐらい食べました。
4シーン目は、財津一郎が食堂でカレーライスを食べるシーン。後ろでお茶を飲んでいました。これは当時新宿・河田町にあったフジテレビの食堂で夜中に撮影したため、チケットもらってタク送になったのを覚えています。
2つめのシーンを同じ日の朝に撮ったので、1日“待ち”でした。ねるとん何とかで
石橋貴明とか、『オールナイトフジ』の本番前で片岡鶴太郎も食堂に来ていました。『夕やけニャンニャン』の最終オーディションもそこで行っていたので、
おニャン子クラブの国生さゆりとかもいたんでしょうね。
その時の財津一郎は、ニコリともせず、2シーン目はちょっと絡みがあったので、「これでいい?」と本人から確認されたのですが、なんか怖さと緊張感で、よく考えもせず「は、はいーっ!」と上ずった声で返事をした記憶があります(笑)
財津一郎は病気も克服して御年80歳。いつまでも現役でご活躍いただきたいと思っています。
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