ケンタロウ、車椅子で一周忌に出席した高次脳機能障害の状態は? [遷延性意識障害]
ケンタロウが3年ぶりに「復帰」したことが『女性自身』(2015年2月17日号)で記事になっています。ネットでも配信されたので、私のところにもFacebookのシェアが来ました。車椅子で目以外は隠されており、本人が話したり動いたりはしていません。改めて高次脳機能障害が重いことを伺わせています。
当ブログの3日のアクセス解析では、直近の記事とトップページに続いて、次の記事が続いています。
4.記事:意識不明の大事故受傷に備えて、準備できることは?
5.記事:足裏みがき、脳の活性化と毛細血管再生につながるか
どうしてかなあと思ったら、思い当たるニュースがありました。
ケンタロウ 事故から3年…母・小林カツ代さんの一周忌で見せた今
http://parusoku.com/archives/42602268.html
↑
初出はYahoo!ニュースですが、ニュースはすぐリンク切れになるので、まとめサイトにリンクしておきます。
3年前に、バイク事故で重い障害を負ったケンタロウが、母の小林カツ代さんの一周忌に、車いすで姿を見せたという話です。
『女性自身』(2015年2月17日号)より
意識障害を起こしているケンタロウについて、マスコミは当初、「遷延性意識障害」ではなく「高次脳機能障害」と“誤報”の見出しをつけていましたが、どうやら3年たって、ケンタロウは本当に高次脳機能障害まで「回復」しているようです。
ただ、高次脳機能障害と言っても、症状は重い場合も、比較的軽い場合もあります。
以前ご紹介した山田規畝子さんのように、不自由はあっても、講演も書籍の執筆もできる人は、やはり「軽い」方なんです。
もちろん、そこに行くまではご本人だけでなく、ご家族を含む必死のリハビリがあったこそだというのはわかりますし、それでも山田規畝子さんが、いまなお無介助では生活が難しいことも書籍には書かれています。
ただ、ケンタロウの「障害」の度合いは、今もそんなもんじゃないようです。
記事によると、ケンタロウは自力で食べることかできないので、胃ろう手術を受けているようです。
食物や薬品などを、経口で入れられない場合に、胃の中に管を通して入れるのが胃ろうです。
もちろん、排泄や身の回りの世話も「全介助」状態です。
移動は車椅子ですが、写真を見ると全身をダウンのジャケットやフットカバーで覆い、頭はニットキャップをかぶっています。
寒いからということもありますが、おそらく中は、ストレッチャーベルトのように、体を固定するベルトをがっちり巻いているのではないでしょうか。
それは、ズレても自力で戻せないからです。
受傷1年後に、「介護スタッフに支えられれながら少しだけ歩けるようになりました」と書かれていますが、たぶん、まわりで人が支えて、わずかに足が動いた、ぐらいじゃないのでしょうか。
尖足や肘の硬直などが残っている可能性もあります。
発語があったとも書かれていないので、会話も行われていないのでしょう。
ですから、体の方はほとんど自分の意志で自由に動かせない、遷延性意識障害と変わらない状態ではないかと思われます。
要するに、意識障害ではないから、遷延性意識障害ではなく高次脳機能障害、ということに過ぎず、高次脳機能障害の中では最も重い、要介護5、身体障害も1級の状態ではないでしょうか。
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私の長男は、3年前の火災により、受傷後4ヶ月を過ぎてもケンタロウと同じような状況(要介護5、1級身障者)でした。
ただ、ケンタロウとの大きな違いは、若かった(7歳)ことと、胃ろうを行っていないことでした。
胃ろうは私が拒んだわけではなく、そういう話自体がなかったですね。
経鼻胃管栄養といって、鼻から管を入れ、液体の栄養食品を胃に入れていましたが、嚥下能力が回復したら、いつでもご飯に切り替えようという前向きな対応だったのだろうと思います。
やはり、自分の顎で噛み、飲み込むという動作ができるようになると、発語や、脳と体の各機能の連携にはいい影響を与えようです。
自分でごはんを食べる喜びを自覚する。
これが、病人・けが人、すべてに言える回復の基本かもしれません。
あとは、脳の可塑性は、やはり若いほうがいいのかもしれません。
長男の場合、5ヶ月目に歩行と発語があってからは徐々に回復してきたので、購入するつもりだった車椅子は必要なくなりました。
当時は、実家を車椅子が入れるように改造することも覚悟していました。
私が介護で何より大変だったのは、風呂に入れる時でした。
7歳で28キロぐらいあったので、腰を痛めてしまい、コルセットのお世話になっていましたが、さらに成長するのに
もし寝たきり生活がずっと続いていたらと思うと、ちょっと怖すぎて想像できません。
ですから、ケンタロウ夫人は今、そしてこれから、ほんとうに大変だろうなあと思います。
経験者としては、このニュース、ネット掲示板には、くれぐれもくだらない誹謗は書かないでほしいと思います。
以前も書いたんですが、九死に一生を得ると、亡くなっていないことをもって「よかった」という考え方を押し付ける人がいるのですが、「重い後遺症で生きる」ことと、「死ぬ」ことを、「どっちがより不幸か」と比較するのは意味のないことなのです。
亡くなったら、そこで終われるけれど決定的な喪失感が残ります。
重い障害で生き残ったら、本人も家族も不幸が生涯続き、健常時と比べる喪失感も残ります。
さて、どっちが不幸でしょう。
ね。そんなことに白黒をつけられないし、つけたって仕方ないでしょう。
ただいえることは、どちらも、並大抵の不幸ではないということです。
私はもともとラッキー人生とはいえませんでしたが、さすがに3年前の火災で人生観が決定的に変わりました。
ただ、どん底にいきなり叩きつけられると、その時は叩きつけられた痛みに耐えることで精一杯なのですが、痛みが和らいでくると、次第に周りの景色がすごく冷静に見えてくるのです。
痛みに耐えているうちに、それまでの欲も得も忘れてしまうんでしょうね。
私の今の立場や心境は、そんな感じです。
きっとケンタロウ夫人は、私とは比べ物にならないほど大変な介護生活の中で、人のあり方とか、社会に対する見方とか、いろいろ思うことがあるんじゃないでしょうか。
いずれ機会を見つけて、そうした書き物などをされたらいいんじゃないかなあなんて思います。
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4.記事:意識不明の大事故受傷に備えて、準備できることは?
5.記事:足裏みがき、脳の活性化と毛細血管再生につながるか
どうしてかなあと思ったら、思い当たるニュースがありました。
ケンタロウ 事故から3年…母・小林カツ代さんの一周忌で見せた今
http://parusoku.com/archives/42602268.html
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初出はYahoo!ニュースですが、ニュースはすぐリンク切れになるので、まとめサイトにリンクしておきます。
3年前に、バイク事故で重い障害を負ったケンタロウが、母の小林カツ代さんの一周忌に、車いすで姿を見せたという話です。
『女性自身』(2015年2月17日号)より
意識障害を起こしているケンタロウについて、マスコミは当初、「遷延性意識障害」ではなく「高次脳機能障害」と“誤報”の見出しをつけていましたが、どうやら3年たって、ケンタロウは本当に高次脳機能障害まで「回復」しているようです。
ただ、高次脳機能障害と言っても、症状は重い場合も、比較的軽い場合もあります。
以前ご紹介した山田規畝子さんのように、不自由はあっても、講演も書籍の執筆もできる人は、やはり「軽い」方なんです。
もちろん、そこに行くまではご本人だけでなく、ご家族を含む必死のリハビリがあったこそだというのはわかりますし、それでも山田規畝子さんが、いまなお無介助では生活が難しいことも書籍には書かれています。
ただ、ケンタロウの「障害」の度合いは、今もそんなもんじゃないようです。
ケンタロウの状態
記事によると、ケンタロウは自力で食べることかできないので、胃ろう手術を受けているようです。
食物や薬品などを、経口で入れられない場合に、胃の中に管を通して入れるのが胃ろうです。
もちろん、排泄や身の回りの世話も「全介助」状態です。
移動は車椅子ですが、写真を見ると全身をダウンのジャケットやフットカバーで覆い、頭はニットキャップをかぶっています。
寒いからということもありますが、おそらく中は、ストレッチャーベルトのように、体を固定するベルトをがっちり巻いているのではないでしょうか。
それは、ズレても自力で戻せないからです。
受傷1年後に、「介護スタッフに支えられれながら少しだけ歩けるようになりました」と書かれていますが、たぶん、まわりで人が支えて、わずかに足が動いた、ぐらいじゃないのでしょうか。
尖足や肘の硬直などが残っている可能性もあります。
発語があったとも書かれていないので、会話も行われていないのでしょう。
ですから、体の方はほとんど自分の意志で自由に動かせない、遷延性意識障害と変わらない状態ではないかと思われます。
要するに、意識障害ではないから、遷延性意識障害ではなく高次脳機能障害、ということに過ぎず、高次脳機能障害の中では最も重い、要介護5、身体障害も1級の状態ではないでしょうか。
自分で食べることの大切さ
私の長男は、3年前の火災により、受傷後4ヶ月を過ぎてもケンタロウと同じような状況(要介護5、1級身障者)でした。
ただ、ケンタロウとの大きな違いは、若かった(7歳)ことと、胃ろうを行っていないことでした。
胃ろうは私が拒んだわけではなく、そういう話自体がなかったですね。
経鼻胃管栄養といって、鼻から管を入れ、液体の栄養食品を胃に入れていましたが、嚥下能力が回復したら、いつでもご飯に切り替えようという前向きな対応だったのだろうと思います。
やはり、自分の顎で噛み、飲み込むという動作ができるようになると、発語や、脳と体の各機能の連携にはいい影響を与えようです。
自分でごはんを食べる喜びを自覚する。
これが、病人・けが人、すべてに言える回復の基本かもしれません。
あとは、脳の可塑性は、やはり若いほうがいいのかもしれません。
長男の場合、5ヶ月目に歩行と発語があってからは徐々に回復してきたので、購入するつもりだった車椅子は必要なくなりました。
当時は、実家を車椅子が入れるように改造することも覚悟していました。
私が介護で何より大変だったのは、風呂に入れる時でした。
7歳で28キロぐらいあったので、腰を痛めてしまい、コルセットのお世話になっていましたが、さらに成長するのに
もし寝たきり生活がずっと続いていたらと思うと、ちょっと怖すぎて想像できません。
ですから、ケンタロウ夫人は今、そしてこれから、ほんとうに大変だろうなあと思います。
経験者としては、このニュース、ネット掲示板には、くれぐれもくだらない誹謗は書かないでほしいと思います。
どん底に叩き落とされてわかったことは?
以前も書いたんですが、九死に一生を得ると、亡くなっていないことをもって「よかった」という考え方を押し付ける人がいるのですが、「重い後遺症で生きる」ことと、「死ぬ」ことを、「どっちがより不幸か」と比較するのは意味のないことなのです。
亡くなったら、そこで終われるけれど決定的な喪失感が残ります。
重い障害で生き残ったら、本人も家族も不幸が生涯続き、健常時と比べる喪失感も残ります。
さて、どっちが不幸でしょう。
ね。そんなことに白黒をつけられないし、つけたって仕方ないでしょう。
ただいえることは、どちらも、並大抵の不幸ではないということです。
私はもともとラッキー人生とはいえませんでしたが、さすがに3年前の火災で人生観が決定的に変わりました。
ただ、どん底にいきなり叩きつけられると、その時は叩きつけられた痛みに耐えることで精一杯なのですが、痛みが和らいでくると、次第に周りの景色がすごく冷静に見えてくるのです。
痛みに耐えているうちに、それまでの欲も得も忘れてしまうんでしょうね。
私の今の立場や心境は、そんな感じです。
きっとケンタロウ夫人は、私とは比べ物にならないほど大変な介護生活の中で、人のあり方とか、社会に対する見方とか、いろいろ思うことがあるんじゃないでしょうか。
いずれ機会を見つけて、そうした書き物などをされたらいいんじゃないかなあなんて思います。
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