『テレビドラマ版「男はつらいよ」』(松竹)を鑑賞しました。国民的映画といわれた『男はつらいよ』が、もともとテレビドラマだったことは有名です。DVDには、現存するVTRから第1回と最終回の他、途中のあらすじ、プロデューサーの小林俊一氏が、脚本の山田洋次氏や主題歌を作詞した星野哲郎氏と行った対談、当時のスタッフとの座談会なども収録されています。(以下敬称略)
テレビドラマの『男はつらいよ』が放送されたのは、1968年10月3日~1969年3月27日の木曜22時。
DVDは松竹発売ですが、番組の制作は、フジテレビと高島事務所(渥美清の所属事務所)です。
当時はフジテレビのプロデューサーだった小林俊一が、渥美清で大型喜劇を作ろうと考え、松竹で『
馬鹿まるだし』(1964年)など喜劇を撮っていた山田洋次を紹介したといわれます。
企画段階では、『愚兄賢妹』という堅苦しいタイトルだったのが『
男はつらいよ』になったのは、小林俊一が北島三郎の歌の歌詞にあった「つらいもんだぜ男とは」と、山田洋次が脚本を書いた『
泣いてたまるか』の最終回『男はつらい』から命名したといわれています。
車寅次郎の衣装はテレビから映画に引き継がれた
収録されている第1回は、家出していた
車寅次郎が、18年ぶりに東京・葛飾柴又に戻ってきたところから始まります。
テキ屋の仲間を招き入れてさっそく酒盛り。夜中までどんちゃん騒ぎの挙句、久々の対面でほとんど他人に等しい妹・さくら(長山藍子)にお酌をさせようとして断られ、気まずくなります。
寅次郎は居づらくなって東京を離れようとしますが、ふらっと挨拶に立ち寄った恩師・坪内散歩先生(
東野英治郎)の娘(佐藤オリエ)にひと目惚れ。
仮病を使って、結局とらやにとどまることになりました。
DVDでは、第1回の後、静止画と露木茂のナレーションによってその後のストーリーを紹介。
さくらが恋人(横内正)と別れて博士(井川比佐志)と結婚したり、寅次郎の異母兄弟の雄二郎(佐藤蛾次郎)が登場したり、佐藤オリエはバイオリニストの加藤剛と結婚したりといろいろあります。
そしてドラマは最終回に。
スポンサードリンク↓
失恋から東京を離れた寅次郎は、雄二郎とともに奄美大島に赴き、ハブ捕獲でひと山当てようとしますが、ハブに噛まれてしまいます。
しかし、人里離れた場所なので病院にも連絡できず、そのまま寅次郎は亡くなり、雄二郎は遺品の帽子をさくらに届けます。
最終回の後は、小林俊一と当時のスタッフが作品を思い出し、エピソードを語るシーンになります。
たとえば、作品はその後、松竹で映画化されましたが、渥美清は松竹が用意した衣装では馴染めず、フジテレビのドラマで使っていた衣装を使うことになった、といった話などです。
そして、渥美清とはスリーポケッツというトリオを組んでいた関敬六と谷幹一が、
渥美清の眠る「田所家」の墓参りをします。
関敬六は、映画の『男はつらいよ』ではテキヤ仲間ポンシュウ役などでほとんど出演していました。
谷幹一は、『夢であいましょう』(1961年4月8日~1966年4月2日、NHK)に渥美清と出ていました。
『坂本九 上を向いて歩こう』(日本図書センター)より、上から2列目、右から6人目が谷幹一、13人目が渥美清
今はこの2人も故人になりました。
テレビと映画の共通点と相違点
ストーリーは、この後に作られた映画で“リメイク”されている部分と、独自の部分があります。
たとえば、久しぶりの対面で、さくらが寅次郎を怖がって逃げてしまうところは同じです。
さくらがキーパンチャーであるのは同じですが、テレビ編では結局別れてしまう恋人がいます。
結婚相手の博は、テレビでは裏の工場の工員ではなく医師です。
そもそも、とらやの裏に工場はないので、タコ社長も出てきません。
恩師が坪内散歩先生で、その娘に一目惚れする設定は、映画の第2作目『続・男はつらいよ』でそのまま使われています。配役も同じです。
映画では、とらやの店員や寅次郎の舎弟から寺男になった源公役の佐藤蛾次郎が、テレビでは寅次郎の腹違いの弟・雄二郎になっています。
配役は、さくらがテレビでは長山藍子で、映画では倍賞千恵子。
おいちゃんが森川信は、映画でも引き継がれましたが、テレビ版のおばちゃんは杉山とく子です。
寅次郎の舎弟でとらやの従業員が、津坂匡章(秋野大作)なのはそのままです。
テレビでは、幼なじみ(田中邦衛)や兄弟など、寅次郎の人間関係を賑やかにしていますが、映画では御前様やタコ社長など、寅次郎に人の道を説く人や、ストーリー上のコミック・リリーフ役を設定しています。
そういえば、映画の『男はつらいよ 望郷篇』(1970年)では、テレビ版のさくら役である長山藍子がマドンナでしたが、その相手が井川比佐志で、杉山とく子も出演するなど、テレビ版を意識した人選でした。
それにしても、テレビドラマが、国民的映画とされる大作になるとは、出演者もスタッフも考えなかったでしょうね。
小林俊一は、田宮二郎版の『
白い巨塔』(1978年)のプロデューサーとしても有名です。
時代を超えて評価される作品を生み出す名クリエーターだったのでしょうね。
Facebook コメント