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『縁の切り方 絆と孤独を考える』人生は「友人」棚卸しの連続 [生活]

『縁の切り方 絆と孤独を考える』(中川淳一郎著、小学館)を読みました。タイトルの通り、人と仲良くしましょう、人脈を作りましょう、と煽るのではなく、逆に友だちと「切る」ことを述べている書籍です。といっても友人全否定ではなく、「友だちを選べ」ということを身も蓋もなく言っている、実は至極オーソドックスな内容です。



中川淳一郎氏については、これまで2度記事にしてきました。

『ネットのバカ』の中川淳一郎氏、ネットとスマホに警鐘を乱打!
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『ネットのバカ』に書かれていることは、ネットの「友達」づくりに熱中するなら、自分の葬式で泣いてくれるリアルな友人を大切にしろ、というものです。

中川淳一郎氏によれば、その数は30人だそうです。

そして今回は、更に踏み込み、リアルな付き合いでも、自分にとって必要ない「友人」は切りましょう、という内容です。

人間関係を説く啓蒙書というと、決まって、人脈が大切だ、友だちを大事にしろ、と人とのつながりを絶対化していますよね。

それに比べて、同書はかなり異色に見えます。

中川淳一郎氏は、どうしてそのような考えをもつに至ったのか。

中川淳一郎氏は、父親の仕事の関係で、中学から高校という多感な時期に友人や日本を離れて、5年間を差別と異文化のアメリカ暮らし。20代後半に婚約者が自殺して別離も経験したそうです。

また、現在はネットニュースの編集者として、ネット掲示板やSNSの動向、さらにはネット関連の事件を見てきたことから、同書のタイトル通り、人間の「絆」と「孤独」について、きれいごとではない本音の提案をしているのです。

それでも、「人脈」至上主義を信じて、人とのつながりを作ってきた実直で礼儀正しい「人格者」である中高年のおっさんたちは、自分の生きざまを否定するような同書の考え方を受け入れられないでしょうね。

でも、私も「中高年のおっさん」ではありますが、少しばかり他人にセンシティブで不寛容なので、中川淳一郎氏の主張はおおむね理解できるのです。

では、具体的に同書ではどのようなことが書かれているのかを見て行きましょう。

出会いはマイナスになることだってある


序章では、人と分かり合えないことはちっともおかしいことではない。無理せずもっと自分を大切にしよう、嫌なら付き合うな、ということが述べられています。

たとえば、こういったことが書かれています。

・人と人は意気投合するよりも、分かり合えないまま軋轢が発生することのほうが多い

・縁は人生において大切なものではあるものの時にはキケンである。適度な距離感を保ちつつ、必要な縁と不要な縁を見極めなければならない

・東日本大震災以降流行した「絆」や「つながり」は、他者への過度な配慮とコミュニケーション下手な人への排外主義を感じる気持ち悪い言葉だ

私には、「そうだそうですその通り」の連続です。

袖すり合うも他生の縁などといいますが、縁を持ったばかりに足を引っ張られ不幸になることだってあるのです。人脈を大切だという書籍は、そのプラス面は説いても、マイナス面はスルーです。

同書は、そのマイナスを見ている書籍なのです。

第1章では、ネットの「絆」や「つながり」の脆さが、実際のネットの事件なども例にして書いています。

ネットの絆

第2章では、悪い「出会い」で不幸になるということを、実際の事件や自身の経験を例にあげて書いています。

第3章では、具体的に縁を切る時のタイミングや縁の切り方が書かれています。

第4章では、「諦念」をもたされた自身のアメリカ生活や、婚約者の自殺による「死別」などから、人との距離感を説いています。

第5章では、孤独は恥ずかしいことのように思われるが、孤独こそ人間を成長させるきっかけであり、正対して自分の幸せとは何かを考えてみるべきだ、ということが書かれています。

「友人」はどんどん棚卸しをしよう


では、中川淳一郎氏は、友だちはいらないといっているのか。

いいえ、決してそうではありません。同書から引用しましょう。
ここまで出会いを恐れた場合、「じゃあ、何もできないじゃないか! 一人で生きろってか!」と思われるだろう。それは違う。だからこそ、私たちは、出会うべき人間を見極める眼力が必要だし、八方美人でいることをやめることも必要だし、人間関係の棚卸を適宜行うことが必要なのだ。或いは最悪の事態に陥ったとしでも、「まっ、彼みたいな一生の親友が主張したことに従った結果だから仕方がない……」と恨み言一切なく、悟りの境地に入った状態で死ねるほど素晴らしき人間関係を築いておくことが重要だ。

要するに、付き合う人を厳選しろ、ということです。

「友だち」とする基準を高くして、それに満たないものについては自分が振り回されるようなら切っていけばいい、ということです。そこは、生きている限り「棚卸し」を繰り返すところだというのです。

何をもって友達というかは、ひとによって様々で、中には名刺交換しただけで友だちということにしてしまう人もいますが、私もそういう“友人のインフレ”はおかしいよなって思っていました。

私は2011年に火災を経験し、無一文になり、たった1人で生死の境を彷徨う妻子の面会のはしごをし、火災の後始末や諸手続きに奔走していた時期がありました。

その人生最悪といえる不幸で多忙な時に、さらに私の足を引っ張る人もいれば、何の見返りも期待できやしないのに先方から善意で支援してくれる人もいました。

そのとき、人間が生きていくのに何が必要なのか。大切にすべき人とはどういう人か、ということを私は考えさせられました。

そうした経験があったので、今、中川淳一郎氏の考えを理解できるのかもしれません。

ごくフツーの人生を歩んだ苦労知らずの「友人」の中には、私に対して、「そうはいってもやっぱり人脈が大事だ」などと、堂々巡りのお説教をしてくれることがあります。

うっせんだよ

私こそ、その人には、私と同じ経験をしてみなさい、と言ってやりたいところですが、それこそ「わかりあえない」奴には言うだけ無駄なので、心のなかで「こいつは棚卸しの対象だな」と思うようにしています。

縁の切り方 (小学館新書 228)

縁の切り方 (小学館新書 228)

  • 作者: 中川 淳一郎
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2014/12/01
  • メディア: 新書


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