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高橋ジョージと三船美佳離婚騒動から、モラハラを考える [芸能]

高橋ジョージと三船美佳の離婚が話題です。ワイドショーは“温度差離婚”と煽り立て、その原因は高橋ジョージのモラハラ(モラルハラスメント)にあるとしています。しかし、離婚調停は当事者だけで行われているはずです。つまり、その真相をメディアは知らない。にもかかわらず、憶測で判断してレッテルを貼ってもいいのかという疑問は残りました。

すべてをくまなく読んだわけではありませんが、見出しを見る限り、ワイドショーはこぞってこの問題を取り上げていますね。

それだけでなく、社会・芸能が大きなウエイトを占める夕刊紙も熱心です。

たとえば、『日刊ゲンダイ』では、高橋ジョージがモラハラ夫である、という前提で関連記事を掲載しています。

高橋ジョージと三船美佳

同紙は、オンライン版でそのまま公開されています。

高橋ジョージ後手後手 三船美佳主導「モラハラ離婚劇」のウラ
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/156534

私はこの記事を見て、高橋ジョージをモラハラと決めつける女性識者に対して素朴な疑問をいだきました。

2人の生活見たのか? 離婚調停に立ち会ったのか?

見てきたようなこと書くんじゃねーよ
見てきたようなこと書くんじゃねーよ

高橋ジョージは、「身に覚えがない」という以外に口を閉ざしているのに、どうして三船美佳の言い分だけで結論を出してしまうのでしょう。

こういう報道って、モラハラ云々以前に、おかしいと思いませんか。

女性は女性のカタを持たなければならない、と思っているのかな。

モラハラ認定後のことは配慮されているのか?


しかし、同じ女性でも、池内ひろ美さんは、高橋ジョージ=モラハラ夫というレッテル貼りには懐疑的です。

高橋ジョージ氏はモラハラ夫?
http://ikeuchi.com/archives/959

主要な部分を引用します。
さて、「モラハラ(モラル・ハラスメント)」という、身体的暴力を伴わない精神的暴力、支配・コントロールは、想像する以上に激しいものです。女性の人格を傷つけるものであり、夫婦間に育つ子どもの人格をも傷つけかねないものであり許されることではありません。が、三船美佳さんに対して高橋ジョージさんが行ったことは本当にモラハラ夫だったのでしょうか?
16歳で結婚した当初から高橋さんはある意味支配的な面があったと報道されています。しかし、未成年や女子学生と結婚した男性が、彼女の外出先や帰宅時間を親のように管理することはあるでしょう。未成年と結婚した夫はある意味保護者的な立場でもありますので、これをもってモラハラとするのは少し無理があります。
なぜ私がこれらを力説するかといえば、過去受けてきたご相談の中でさまざま見てきたからです。「モラハラ」あるいは「DV」の酷い被害を受けている女性がいらっしゃる一方、「モラハラ夫」「DV夫」とレッテル貼りされてその後の人生を生き辛くなった男性たちも多く見てきているからです。

池内ひろ美さんのポイントは2点。

1.高橋ジョージは報道されている限りではモラハラとまでは言えない
2.安易なレッテル貼りは相手のその後の人生に禍根を残す

ということです。

私が以前、「モラル・ハラスメント=モラハラの虚実」という記事で言いたかったことが書かれていて、「我が意を得たり」と思いました。

私はモラハラ問題の専門家でもないし、離婚経験もありません。

高橋ジョージのところは、これから裁判らしいですから、真相もわかりません。

もとより、どちらかのカタをもつ義理やこだわりもありません。

が、少なくとも2番目の問題は、「そうだ、そうです、その通り!」と声を上げたいほど実によく分かるのです。

配偶者に嫌な目にあわされたからといって、相手のその後の人生の可能性まで奪う権利はないですよね。

モラハラを軽視しているのではありません。

人権意識とルールがより高次なコンセンサスを得る先進国なら、「言葉の暴力」に踏み込むことは必然だと思っています。

ただし、こういうことは、往々にして、関係を自分に有利に清算するための、“被害者を装う口実”にならないとも限らないので、その運用や評価については、慎重な判断をした方がいいといっているだけです。

三船美佳がそうだとはいいませんが、『日刊ゲンダイ』でさえ、「「モラハラ」も三船サイドの主導でマスコミに情報がリーク」と書いています。

それが事実なら、三船美佳側が、高橋ジョージを、世論誘導でモラハラ夫にしたがっていると解釈することもできるでしょう。

離婚という当事者の問題に、どうしてその内幕をマスコミを使って一方的にぶちまける必要があるのでしょうか。

おかしいと思いませんか。

人間は、自分が可愛くて、ずるくて、弱い生き物である


良くも悪くも、人は誰でも自己愛を持っています。

私は、人間性悪説者ではないけれど、性弱説の立場にたっています。

ですから、人間がときには、ずるく汚く立ちまわる生き物であることを見逃すつもりはありません。

みなさんは、他人から裏切られたり、罠にハメられたりなど、計画的で理不尽な仕打ちを受けたことありませんか。

そういう経験があれば、人間というのがいかに弱くて汚い生き物であるか、縷説は要らないですよね。

私は妻に暴力を振るったことは1度もありませんが、モラハラ認定される暴言はあると思います。

逆に、妻からモラハラを受けていることもあると思います。

でも少なくとも私は、モラハラは不快ではあるけれど、一方で、それも私に対する評価のひとつであると割り切っています。

それをもって、婚姻継続に絶対影響なしとは断言できませんが、相手に社会的制裁を加える可能性はもっと少ないですね。

だって、もし、私や妻が、自己愛性パーソナリティ障害だったらどうでしょう。

ぶしつけであったり、相手の立場を慮れない暴言でしか、自己表現や相手への訴求ができない人もいるかもしれません。

一般論として、「モラハラ」の背景にはそういうことも、ありえるのではないのでしょうか。

そういう人ほど、自分がそうだと気づかないものですが、コミュニケーションが出来ない障害って、この世には本当に存在するんですよ。

そんな人と結婚した責任はどうなんでしょう。

結論として、モラハラとして事を構えるべきかどうかについては、いちがいに良し悪しは言えません。

ただ私は、繰り返しますが、「きたない暴言者に転落する」ことも、「それを利用してうまく立ちまわる」ことも、人間なら誰でもあり得ると思っています。

人間というのは、しょせん、男も女もそういうものなんです。

ですから、モラハラに対するルールや客観的な見定めを掘り下げることには賛成ですが、そういうものがはっきりしないまま、社会的制裁を伴う判定ばかりセンセーショナルにひとり歩きするのは慎重に願いたいと個人的には思っています。

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