『馬鹿まるだし』ハナ肇と渥美清の関係、山田洋次監督の“毒” [懐かし映画・ドラマ]
『馬鹿まるだし』(1964年、松竹)を鑑賞しました。ハナ肇の主演、山田洋次監督による「馬鹿シリーズ」第一弾です。『男はつらいよ』のパイロット版という評価もあり、ネットでは両作品を比較する意見をよく見かけます。ハナ肇とは犬猿の仲と云われた渥美清も出演しており、見どころの多い作品です。
ネットのレビューを見ると、『馬鹿まるだし』と比較して、どちらかというと『男はつらいよ』に軍配を挙げる人が多いのですが、なかなかむずかしいところです。
『馬鹿まるだし』の後に『男はつらいよ』が作られ、しかも48作続いて、最終作の『男はつらいよ 寅次郎紅の花』は1995年公開ですから21世紀直前。
そりゃ、『男はつらいよ』の方がこんにちの価値観に近く、キャラクターも作りこまれ、作品も洗練されているのは当然です。
それと、『男はつらいよ』の車寅次郎も、おいちゃんから『バカだねえ』と言われていましたが、『馬鹿まるだし』の主人公の松本安五郎の「馬鹿」とは、少しニュアンスが違うような気がします。
『馬鹿まるだし』の『馬鹿』は、後先考えずに突っ走る直情的な生き方をそう呼ぶのに対して、車寅次郎の場合は、惚れた女性に対する熱中ぶりだけでなく、気を回しすぎて自分からその恋愛を降りてしまう、むしろより繊細で深いふるまいをも指しているからです。
ネタバレ御免のあらすじ
シベリアから帰ってきた松本安五郎は、抑留される和尚がいる寺(花沢徳衛と高橋とよ)に厄介になることに。和尚の妻(桑野みゆき)に熱を上げる安五郎は、“ご新造さん”に好かれたくて、町のために何事も恐れず問題解決にチャレンジして人気者になります。
それに対して町民は勝手なものです。町の勢力が変わると安五郎を疎んじるようになるのですが、ダイナマイトを持った脱獄囚が女性を人質に裏山に立てこもる事件が起こると、一転して安五郎待望論がおきます。
考えてみると、大衆というのは、現実もこんな身勝手なもんなのかもしれませんね。
子分(犬塚弘)が止めたにも関わらず、安五郎は脱獄囚とたたかい、ダイナマイトに飛ばされます。
てっきりこれで終わりかと思ったら、物語は15年後に……。
寺の末子(植木等)のもとに、安五郎が死んだ、と子分と思われる人からはがきが来ます。
安五郎はダイナマイトに飛ばされても生きていたのです。ただし、目は潰されてしまいました。
ご新造さんは、抑留されていた夫の死を確認した後、別の人と結婚してしまいます。
末子は、東京から里帰りしていた、人質の女性(清水まゆみ)と偶然会ったので安五郎のことを伝えましたが、女性は命の恩人である安五郎を、すっかり忘れていました。何とも切ないラストです。
ハナ肇と渥美清に似ていた主人公、山田洋次監督の“毒”も描かれていた
松本安五郎と車寅次郎はキャラクターが違うと書きましたが、これは、ハナ肇と渥美清の違いをあらわしているかもしれません。
作家の小林信彦氏が、『おかしな男 渥美清』(新潮社)の中で、ハナ肇と渥美清の不仲を書いていますが、その人物評が興味深い。
才能の不足を人徳で補う利口者というべきか。これは渥美清とは合わないだろう、と思った。どちらも、本質的には柄が悪い。しかし、渥美清はそれを恥じて、スマートになろうとしている。一方のハナ肇は「おれの特徴は下品さだ」と開き直っている。そして、やたらに大きな声で喋る。
結論として小林信彦氏は、「才能の不足を人徳で補う」ハナ肇よりも、“才能はあるが人徳はない”渥美清の方を嫌っています。
その真相に今回は踏み込みませんが、その人物評は、まさに、“馬鹿まるだし”の松本安五郎と、より繊細で分別くさい車寅次郎のキャラクターそのものです。
ちなみに、クレージーキャッツの犬塚弘も、ハナ肇が役者として不器用であることは自著『最後のクレージー犬塚弘』の中で述べています。
山田洋次監督と何本も仕事をしてきたハナ肇は、『男はつらいよ』に一作も出ていません。そして、臨終間際のハナ肇が、見舞いに来た山田洋次に「謝らなきゃならない」と言ったと、元付き人のなべおさみは、自著『病室のシャボン玉ホリデーーハナ肇、最期の29日間』の中で書いています。
山田洋次監督をはさんで、ハナ肇と渥美清の間に、やはり何かがあったのかもしれませんね。
もうひとつ面白かったのは、山田洋次監督の“毒”が、すでにこの作品で見られていたことです。
東大法学部卒の山田洋次監督の人情礼賛映画など庶民におもねる欺瞞だ、と評している個人ブログを観ましたが、私は違う意見です。
なぜなら、そもそも山田洋次監督の描く世界はきれいごとの人情映画ではなく、人間の持つ“毒”を描いていると思うからです。
それでもなお、人間として生きていく以上、それと折り合いを付けなければならないし、まあ人間も悪いところだけではなくいいところもあるんだ、という“悟った人情”であり、人情礼賛のようなお花畑物語ではありません。
では“毒”というのは何かというと、ヒロインの冷酷さです。
『馬鹿まるだし』では、目を潰してまで助けた女性が、命の恩人である安五郎を覚えていないと答える、エピローグ的なラストシーンをわざわざ作っています。
山田洋次監督が、他人に幻想を抱いていない、善意ははかないものなんだという厳しい見定めを主張したかったのだと私は感じました。
『男はつらいよ』でも、女性が寅次郎に対して、わざわざ結婚を決意したり夫とよりを戻したりしたことを言うシーンが時折出てきます。
だったら黙ってそうすればいいのに、女性の無神経さは、車寅次郎にとって残酷なシーンです。
事程左様に、気持ちが繊細で、ひとがいい人は、傷つけられるのが世の常なんだ、ということを山田洋次監督は実は一貫して描き続けているのです。
『馬鹿まるだし』は喜劇ですが、私はそんなところも観てしまいました。
いずれにしても、『男はつらいよ』のファンは、観比べてみると面白いかもしれません。
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