『どですかでん』人生は貧富や倫理で幸福か否かは決まらない!? [懐かし映画・ドラマ]
『どですかでん』(1970年、東宝)を鑑賞しました。ごみの集積所の一画に形成されたスラムを舞台とした、そこに生きる人びとの生活を描いた群像劇です。『どですかでん』というタイトル名は、知的障害がある主人公・六ちゃん(頭師佳孝)が日課とするエア都電運転で、電車の走る音を表現した擬音です。人生は貧富や倫理で幸せかどうかが決まるわけではない、ということを考えさせる作品です。(画像は『どですかでん』より)
『どですかでん』は、黒澤明監督が初めてカラーで撮った作品です。邦画ファンなら少なくとも名前ぐらいは聞いたことがあるかもしれません。
ただ、この作品は、一部ではクロサワ時代を終わらせた作品とも言われています。
要するに、不入りで評判も悪かったということでしょう。
たしかに、ネットでざっと見ただけですが、8対2ぐらいで否定派が多いような気がします。
その理由は主に、
黒澤明はオーソドックスに大作を撮っていればいい。
登場人物が変人ばかりで、生活ぶりも気味が悪く結末も救いがない
カラーを意識しすぎて色使いが気に入らない。
こんな感じかな。
私は結論から述べると、この映画『どですかでん』は面白いと思います。
作品は「変人」が描かれているように見えますが、実は“良識ある一般市民”と紙一重ですし、変人は悪人ということではありません。何より、必ずしも救いがないわけではありません。
救いがないように見えるものもあったけれども、それも含めて私たちの社会は回っているということを淡々と描いたわけで、むしろそうした酷評を承知で、そのプレッシャーに負けずにあの世界を描き切った黒澤明という人に私は敬意を表します。
個性豊かな登場人物たち
三船敏郎のような大スターは出ていないのですが、ある程度名前の知れた個性派が、もったいないくらい小さな役も含めてたくさん出ています。それをひと通り羅列するだけでブログ記事の常識的な字数を突破しそうです。
六ちゃん(頭師佳孝)と母親(菅井きん)
物語の中心です。菅井きんは天ぷらを揚げて生計を立てています。朝晩法華経を唱えているのは、六ちゃんを案じてのことらしい。
母子家庭のようです。発達障害の子どもがいる家庭は夫婦で力を合わせて子育てを、というキレイ事通りにはいかずに、離婚するケースはあります(それだけ子育ては大変なんです)。そこまで考えた設定かどうかわかりませんが、そうだとするなら、とてつもないリアリティです。
六ちゃんは、朝から晩まで、寒い日も風の日も、ひたすらスラムの端から端まで「どですかでん」と言いながらエア都電運転で往復しています。
絵本や『しまじろう』でお勉強する普通のこどものように「ガタンゴトン」と表現しないところに、黒澤明の知的障害の人に対する畏敬ともいえる思いを感じます。
後に『飛び出せ!青春』の柴田を演じた頭師佳孝の、数分に渡る運転士パントマイムが素晴らしい! 何より冒頭の絵のように表情が明るいのです。
川を隔てた向う側の「普通の小学生」たちは、「電車バカ」と罵って頭師佳孝に石を投げますが、スラムの人たちは決して彼を馬鹿にしません。といって気も使いません。ごく日常的な行為と受け止めています。
この当時、知的障害を偏見も同情も美化もなく、自然に描いているだけでもこの作品は評価できると私は思います。アンチの人たちは、そのへんの価値が理解できないのかもしれないな。
ただ、スラムの人たちの暮らしはたしかに一般的に見ると、おもしろ困った人たちです。
顔面神経痛で脚が不自由な伴淳三郎と鬼ワイフ・丹下キヨ子の夫婦
鬼ワイフは、八百屋のキャベツを「表面が腐ってるから」とむしって主人(谷村昌彦)に強引に量り売りさせたり、伴淳三郎が同僚を連れてきても挨拶もせず銭湯に行ったりします。
スラムのおばさんたちも、「旦那はいい人だけどかみさんは……」と敬遠しています。
同僚が、善意で丹下キヨ子を批判すると、伴淳三郎は「ワイフは苦労した時支えてくれたんだ」と怒り出します。
私たちの暮らしにもあるでしょう。なんでこんな女房と暮らしているんだって夫婦。
でも、本人がいいと言ってんだから大きなお世話なんですよね。
夫婦交換してしまった田中邦衛・吉村実子と井川比佐志・沖山秀子
2組の日雇い労働者夫婦は仲がいいのですが、あることがきっかけで夫がそれぞれ相手の家に住むようになってしまい、また別のきっかけで元に戻ります。
トンデモないことですが、どっちかがコソコソ不倫するよりみんながお互い様でいいだろうって感じでおおらかなところが笑えます。
ヘアブラシ職人(三波伸介)とスラムのアイドル(楠侑子)夫婦
5人の子どもは、すべてスラムの別々の労働者たち(人見明、二瓶正也、江幡高志ら)が父親という不義の子ばかりの一家らしい。
子供の方から、「みんなが、父ちゃんの子じゃないという。本当?」と問われますが、三波伸介は明るく「人が何と言おうが、みんな父ちゃんの子どもだ」と子どもたちの前で明るく胸を張って子どもたちを安心させます。
呑んだくれオヤジ(松村達雄)と女房(辻伊万里)と姪(山崎知子)
理屈ばかり立派で働かないオヤジと、過労で倒れた女房。仕方なく女房の姪は寝る時間も惜しんで内職しますが、疲れて寝入った時に、松村達雄がのしかかって姪を妊娠させてしまいます。
その後、姪が好きだった酒屋の店員(亀谷雅彦)を刺してしまい、それがきっかけで自分の破廉恥行為がバレそうになった松村達雄はスラムから逃げ出してしまいます。
酒を飲むと気が荒くなる亭主(ジェリー藤尾)と女房(園佳也子)
何かというと喧嘩っ早いジェリー藤尾ですが、女房(奈良岡朋子)が間違いを犯したことで虚脱状態になってしまった男(芥川比呂志)にはシカトされても何もできず、木刀を振り回しているとき、彫金師(渡辺篤)に「手伝うよ」と言われたら「農作業じゃねえんだから」とすごすご引き下がるなど、ちょと空威張りの人。
園佳也子はスラムの井戸端会議のメンバーで、何とミニスカートを履いています。この作品は、根岸明美、吉村実子、沖山秀子など、男好きする肉感的な人がやたら出てくるので、園佳也子も頑張ったのでしょう。
物乞いの親子(三谷昇、川瀬裕之)
アンチがこの作品を好まない最大の理由が、この親子だと思います。おもらいで食べた鯖があたったことがきっかけで、子が死んでしまうからです。
いくらなんでも死なせちゃったら救いがないだろうということですね。
でも、どん底スラムの人びとの生活が明るく楽しいだけでハッピーエンドというのもウソくさいですから、現実との兼ね合いで、「こういう不幸なこともあるんだよ」というキャラクターを作ったのではないかと思います。
その他、荒木道子、桑山正一、塩沢とき、三井弘次、藤原釜足、小島三児などが出ていました。
人生は通俗的な価値観が決め手ではない
冒頭に群像劇と書きましたが、スラムに住む人々の生活を順番に、淡々と紹介している作品です。
「人生における幸福とは、貧富や倫理や障害など通俗的な価値観が決め手ではない」ということを言いたかったのかな、という気がします。
それは表現を変えると、貧富や倫理などで人生の価値を決めつけることを否定しているわけですが、それは決してお説教や啓蒙という形で描かれないところがいいですね。
ネットでは、アンチが「登場人物に救いがない」と酷評する一方で、「登場人物は憎めない人ばかり」という擁護の意見もあります。
姪をはらませたり、子を死なせてしまったりすることは由々しきことですが、なぜそうなってしまうのかという、登場人物たちの人間としての弱さや愚かさも隠さず描かれています。そこが、実はだれでもそうなるかもしれない危うさを感じ、それをもって「憎めない」という見方になるのだと思います。
そういう意味で、繰り返しますが、『どですかでん』の登場人物は変人ではあるけれど「普通の人」とは紙一重なのです。
『どですかでん』。奥が深い作品です。私も何度も観直したわけではありませんが、繰り返し観ることで、さらにこの作品の奥の深さを知ることができるかもしれません。
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