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泉ピン子、ご意見番報道で改めて考える“最恐論” [芸能]

泉ピン子が芸能界ご意見番として支持されている、という記事が『日刊ゲンダイ』(2014年12月10日付)に出ています。泉ピン子といえば、これまで芸能マスコミでは共演者イビリや意地の悪さばかり報じられ、少なくない視聴者が“嫌われ者”だと思い込んでいたのではないでしょうか。でももし心底嫌われているなら、むしろご意見番などさせたくないはずですが……。

“新・ご意見番”泉ピン子
『日刊ゲンダイ』(2014年12月10日付)より

記事によると、和田アキ子の舌にキレがなくなってきたことから、泉ピン子が“新ご意見番”として、テレビの若手スタッフから絶大な支持を受けているという話です。

記事はWebサイトにも出ているので、関心のある方は御覧ください。

和田アキ子食い “新・ご意見番”泉ピン子にTV界が熱視線
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/155610

記事で興味深いのは、これまでの泉ピン子のイメージとは少し違った描き方がされていることです。

「若手スタッフから絶大な支持を受けている」という件です。

泉ピン子は後輩の共演者をイビる、とこれまでは書かれてきました。どちらかというと扱いにくい人というイメージがあったのではないでしょうか。

と同時に、泉ピン子自身も、そうした自分の立場は認識しているようです。
「ピン子が受ける理由は潔さにある。普段から自分のことを『どうせ私はうるさいババア』とか『嫌われ者だから』と公言し、視聴者受けを狙わない。だから、誰はばかることなく思ったことを口にするんです。嫌われ者の境地と言ってもいいかもしれない」(制作プロデューサー)
つまり、これまでの泉ピン子関連の記事は、泉ピン子が「嫌われ者」を計算し、最恐の泉ピン子というフィクションをずっと演じ続け、マスコミもそのキャラクターを守ってきた、と見ることもできるのではないでしょうか。

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改めて考える“泉ピン子最恐論”


泉ピン子については、以前、このブログでは「泉ピン子、“最恐”なふるまいの真相」という記事で取り上げたことがあります。

泉ピン子は共演者をいびるといわれているが、テレビカメラの回っていないところでも“最恐なふるまい”をすると書かれていた新聞記事を引きました。
2時間ドラマの制作スタッフが明かす。
「楽屋へあいさつに行くじゃないですか。するとピン子さん、テレビを見てたりしててこちらには目も一切くれず、万札を投げつけるんです。それが“今回よろしくね”の意味で、受け取らないと収録中は完璧に無視されるんですよ。スタッフの階級などによって額は違いますが、相場はだいたい1万~5万円です」(『東京スポーツ』2012年11月29日付)
この記事を額面通り受け取った一部の人は、「泉ピン子はけしからん」という紋切り型の批判的感想をもたれたようです。

げんに、当時の私の記事には、そういうコメントもいくつか入っています。

が、私はそうは思いません。

芸能人のプロ根性という意味では、テレビカメラの回っていないところでも、ブラウン管で見た通りのキャラを貫くことはむしろ積極的な評価を与えられることですし、それがどう報じられるかは記者の書き方次第でもあるから、それで即泉ピン子が非常識な人であると決め付けることもできないからです。

下積み時代にお金で苦労した泉ピン子が、安い給料で働く下請け制作会社のスタッフに対して、“これでうまいもんでも食べなよ”という気持ちは持つものの、自分のキャラクターも守るため、「札を投げる」という“乱暴な”行為を選んだのかもしれません。

もしそこで、渥美清演じる車寅次郎のように、やさしくスタッフの手に札を握らせて、「あんちゃん、いいから、いいから。これでなんか食べなよ」とやってしまったら、泉ピン子のキャラクターはそこで終わってしまうのです。

「最恐な人、でも実はいいところもある」という結論が出てしまうからです。

そういう結論が出てしまったら、もう「最恐」というイメージも崩れてしまうのです。

そうではなくて、「最恐な人、でももしかしたらいい人かもしれない」という謎や可能性が残るところで止めておくのがいいのです。

「かもしれない」が大切なのです。

結論を出させない。視聴者の想像にお任せする。

それによって、泉ピン子は、「最恐」「実はいい人の可能性」という、どちらのイメージも生きるのです。

そこが、当時の私の記事に対する一部のコメント者には理解できなかったようですね。

そもそも、現場はもっと違う光景だったのに、記者が泉ピン子が意地悪に見えるように、記事はそう描いたのかもしれません。

いずれにしても、そういう報道があったのは、いじわる最恐女優・泉ピン子としては“してやったり”だったのだろうと私は思います。

げんに、泉ピン子が「意地悪だ」という芸能記事は今までいくらでもありましたが、泉ピン子はそれに対して、1度でも取材拒否をしたり、名誉毀損で訴えたりしましたか?

泉ピン子は、ずっと前から、そういうイメージで生きていこうと腹をくくっているのです。

なのに、記事を額面通り受け止めて、泉ピン子に腹を立てているのは単純な捉え方です。

それは、マスコミと泉ピン子の詐術に引っかかっているのです。

記事の眼目は、泉ピン子の行為を即人格評価に結びつけて批判することではなく、また泉ピン子に対する好き嫌いの議論でもなく、芸能人というのはそういうデリケートな虚実ないまぜの仕事なのだ、ということを見抜くことにあるのではないでしょうか。

何度か書いてますが、非常識を非常識と見る分別自体は、社会人として大切です。

ただし、その狙いを読めないと、作家や芸能人にも、その批評者にもなれないでしょう。

世間の常識や評判に埋没せず非常識を描ききれるか、非常識を演じきれるか、ということがそれらの真骨頂だからです。

いや、もっと厳しいことをかけば、人間の心を読める人にもなれないかもしれません。

事の真相・真実にアプローチするというのは、一筋縄ではいかない、ということです。

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  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2012/02/18
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