『福島県下での放射能調査に取り組んで』というレポートを、著者の安斎育郎氏からいただきました。安斎育郎氏は平和学者(立命館大学名誉教授)として活躍していますが、かつては放射線防護学者として東大医学部助手時代、日本の原発政策を批判して17年にもわたるネグレクトやアカハラを受け続けた“伝説の人”です。
安斎育郎氏は、立命館大学の教授を退官後も、立命館大学国際平和ミュージアム終身名誉館長のほか、日本科学者会議代表幹事などいくつもの肩書で活躍しています。
安斎科学・平和事務所公式サイトより
http://asap-anzai.com/
テレビや書籍でご存じの方も多いのではないでしょうか。
私は、安斎育郎氏とは20年前にある仕事でご一緒し、その後9年間、安斎育郎氏が会長を務めるある団体で副会長などの肩書でお仕えしてきました。
「お仕え」というと忠実な部下のような表現ですが、実際には私の一本気な性格のためにずいぶん嫌な思いをさせてしまい、申し訳ないことをしたなあと深く反省しています。
私が3年前の火災で公私ともに壊滅的なダメージを受けたことについて、心配をしてくださり、そのやりとりをする中で、今回のレポートをいただきました。
安斎育郎氏は、冒頭に書いたように日本の原発政策に批判的立場です。
理由は次の6点です
1.エネルギー政策の自主性
2.経済開発優先か安全性優先か
3.内発的地域開発を阻害しないか
4.軍事利用への歯止めは十分か
5.労働者と住民の安全を保障する技術は実証的か
6.民主的な原子力行政が保たれているか
安斎育郎氏は1973年に、国会の参考人としてこの提起を行い、日本の原子力行政を批判しています。
ところが、これが原発推進派には「痛いところを突かれた」のか、その後17年にわたってネグレクト・排除・恫喝・罵倒・差別・嫌がらせ・尾行・密偵・懐柔など、私のような市井の凡人では想像を絶する経験をされたようです。
3年前には、『アンカー』という関西地区の人気テレビ番組で、青山繁晴氏もそのことを紹介していました。
原発政策批判派ではないのに、それをきちんと紹介した青山繁晴氏は、フェアな人だとその時私は思いました。
それはともかく、私はマスコミには書かれていないその頃のご苦労も、直接安斎育郎氏から伺ったことがあります。
まあとにかく、世の中は汚いということが、安斎育郎氏の経験からはよくわかります。
そんな安斎育郎氏にとって、福島の原発事故は、福島の人への思いは別として、推進派に対しては「それ見たことか」という心境のはずです。
が、それでも安斎育郎氏は、毎月福島へ赴き、現在も除染の実験や調査を行い、復興しつつある福島を見守っています。
放射線の専門家として重大な事故を防ぎきれなかったことを「申し訳ない」と思うだけでなく、東京出身の安斎育郎氏自身が、空襲を逃れて福島の二本松で暮らした経験があるからだそうです。
それに引き換え、先祖代々福島なのに、火災になったからその「ほしのもと」を怨み、先祖の墓を処分して福島と縁を切ろうと思っている私とは、心の広さや福島に対する思いが違いますね。
レポートには、どのような除染実験を行い、福島がこの3年でどう変わっていったかが克明に書かれています。
全てをご紹介することはできないので、中身についてはまた改めて書きたいと思います。
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脱原発のスタンス
今回の記事で明らかにしたいのは、脱原発とはなんぞや、ということです。
脱原発といっても色々な人たちがいて、その全てに賛成できるわけではありません。
中でも、科学的根拠を無視して恐怖感だけを煽る「反対派」を私は絶対に認めません。
今回は名指ししませんが、いずれその人の著書を批判するレビューでも書きましょう。
安斎育郎氏は、話題になった『美味しんぼ』鼻血問題について、ブログ記事でこう記しています。
結局、日本人の放射線リテラシーが低すぎるという問題があるでしょう。放射線に関する知識、情報を読み解いて、その危険度がどのくらいかを理解する基本的素養をまったく学校教育その他で就けてこなかった。そのため『放射線を大量に出した原発事故がある福島』と聞いただけでいろんな影響が起きてくることはある。巨大なストレスが生じるような状態になっている。家を放棄して他県に移る人もいるぐらいだから。
もちろん心理的バイアスだとしても、それに対してはきちっと対応しなければいけないことです。が、これがメインの問題かと言われると、それどころじゃない、もっと重大な問題がある、というのが私の意見です。また、福島の200万人のかたが希望を紡ぐような内容を次は書いてほしいと希望します。http://asap-anzai.com/2014/06/%E3%80%8C%E7%BE%8E%E5%91%B3%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%BC%E3%80%8D%E9%BC%BB%E8%A1%80%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88/
要するに、鼻血は科学的にはあり得ない。ただ、そういう恐怖感をもったら何でもそう見えてしまう。しかし、福島の問題の本質はいずれにしてもそれどころじゃないんだ。書くんなら、福島の人々の心を折るようなことはやめてくんないかな、と安斎育郎氏は述べているのです。
放射線リテラシーのないキケンキケンの煽りは、福島の人にとっても迷惑なのです。
このブログの『
“反原発”の意味を考える』でも書きましたが、原発を批判している人の中には、事故後、東京(福島の避難勧告の出た地域ではない)から関西に逃げ出し、いまだに関西に「避難」したまま福島に怖がって足も運ばず、それでいて福島の人がかわいそうだのハチノアタマだのと口だけ批判している人もいます。
おい、ちょっとまてよ、と思いませんか。
東京から逃げ出すこと自体、「福島の200万人のかたが希望を紡ぐ」ことを見事にぶっ壊していると思わないのでしょうか。
鼻血が出るかどうか、暮らせるかどうかというのは、線量測定とこれまでの研究で判断がつくことでしょう。
それを否定するなら、今までの放射線防護の研究ってなんだったの、ということになります。
逃げ出した人たちは、それをすべて否定できるだけの根拠や見識があるのでしょうか。
もちろん、暮らしたくないのは自由ですし、怖がって「東京から」逃げ出すのも勝手です。
でも、そういう人の話には何の合理的根拠もないし、そんな人に何か言われて福島の人が喜ぶことはないでしょう。
だいいち、そういう「反対運動」をされたら、
脱原発っていうのは、科学的な根拠もなく福島の人を不安に陥れる人々の身勝手なイチャモンつけなのか、
と思われるだけです。
原発に関する議論は、捕鯨反対レベルのメンタリティでは困るのです。
科学的に正しく恐れよ
電磁波、食品添加物、PM2.5……。
私たちの暮らしには、未知の要素があって引き続き調べる必要はあるものの、それを超えて、根拠の定かでない説によって過剰な怖がり方をしているものがあります。
予防原則と、いわゆるトンデモというのは似て非なるものだと思います。
放射線というのはその最たるものではないでしょうか。
個人的なふるまいを妨げるつもりはありませんが、せめて人前で意見を述べるなら、たとえこうした個人ブログであっても、いい加減なトンデモ話で不安を煽るのではなく、科学的に正しく恐れる、という方向性を打ち出していきたいと私は思っています。
原発事故の理科・社会
- 作者: 安斎 育郎
- 出版社/メーカー: 新日本出版社
- 発売日: 2012/09
- メディア: 単行本
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